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第二コリントの手紙11:16~21

Jesus said,

「あなたの信じた通りになるように」

「何も思い煩わなくてもいい」

「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」

2018年2月19日(月)

ディボーション聖句

第二コリントの手紙11:16~21

16 くり返して言いますが、だれも、私を愚かと思ってはなりません。しかし、もしそう思うなら、私を愚か者扱いにしなさい。私も少し誇ってみせます。

17 これから話すことは、主によって話すのではなく、愚か者としてする思い切った自慢話です。

18 多くの人が肉によって誇っているので、私も誇ることにします。

19 あなたがたは賢いのに、よくも喜んで愚かな者たちをこらえています。

20 事実、あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、だまされても、いばられても、顔をたたかれても、こらえているではありませんか。

21 言うのも恥ずかしいことですが、言わなければなりません。私たちは弱かったのです。しかし、人があえて誇ろうとすることなら、――私は愚かになって言いますが――私もあえて誇りましょう。彼らは神の民ヘブル人ですか。私もそうです。彼らは神の民イスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫の神の民ですか。私もそうです。

[聖句メッセージ]

昨日の続きです。

では、聖句をあげてから説明します。

・マタイの福音書19:19

主は言われた。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」

・エペソの手紙2:19

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。」

16〜20節 (16 くり返して言いますが、だれも、私を愚かと思ってはなりません。しかし、もしそう思うなら、私を愚か者扱いにしなさい。私も少し誇ってみせます。17 これから話すことは、主によって話すのではなく、愚か者としてする思い切った自慢話です。18 多くの人が肉によって誇っているので、私も誇ることにします。19 あなたがたは賢いのに、よくも喜んで愚かな者たちをこらえています。20 事実、あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、だまされても、いばられても、顔をたたかれても、こらえているではありませんか。)

この時の使徒パウロは、コリント教会の仲間たちが同じクリスチャンたちの陰口など言って裁きあっていたことを知り、教会外では頭を下げて謙虚に暮らしているのに、なぜ神の家族同士では和解できないのかと、熱く叱咤激励したのです。使徒パウロは、コリント教会の仲間たちに、あなたは神様とその真理に反する愚かな人々の前では、我慢したり、奴隷のように働き続けているのに、なぜ教会内では神の家族同士いつまでも反抗しあったり、神の家族とぶつかり合い続けるのかと悔い改めを促したのでした。

あなたには、このコリント教会の人々のような神の家族関係はありませんか?

なぜなら聖書は、教会のクリスチャンとは神の家族だと教え説くからです。尚、家族は、簡単に代わりがきかない関係性を意味します。

・マタイ福音書22:37~38

『イエスは言われた。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」これが人生で一番たいせつな戒めです。』

尚、この第2コリントの手紙を書いた使徒パウロは、Jesusが人生で一番大切だと教えた上記のみことばを堅く信じて、何よりも、そして誰よりもBible&Jesusのみことばと情熱的な愛を大切にする人生を選択して生きることを決断していました。そのためパウロは、今日の聖句のように、時には愚か者のようになって自慢したり、必死に兄弟姉妹たちを叱咤激励しながら教え説いていたのです。彼はある意味で、聖書のみことばクレージーと情熱的な愛の馬鹿、愚か者に徹したのです。

・ヨハネの黙示録3:15〜16

主は言われた。「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが敵対するのか、熱いかの、どちらかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された情熱的なみことばの金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、みことばの目薬を買いなさい。」

あなたはJesusや使徒パウロのように、神愛や真理や福音を教え諭す隣人愛のために、時には情熱的に熱く、また愚か者のように、必死で語ることがありますか?

それとも、常に自己保身的な、偽りの平和や二心を持ったクリスチャンライフや人間関係形成に甘んじていませんか?

なぜなら聖書は、Jesusや使徒パウロのような情熱的な姿勢や愛ある生き様なくしては、周囲の人々を救えず、永遠の神の家族愛に程遠い宗教生活に成り下がると、預言するからです。聖書の教える神の聖霊のご性質とは、燃える火のような、情熱的な愛の御霊なのです。もし情熱的になれず、あまり満たされない宗教生活を強いられているのなら、聖霊の満たしを祈り求めることも重要です。

またBibleは、使徒パウロのように何よりも、誰よりもBible&JesusのみことばとJesus Loveを第一に表現して生きようと決断すれば、Jesusや使徒パウロのような情熱的な愛や聖霊力が備わっていき、祈り以上の応答や、大切な周囲の人々を救える説得力や、一生涯の戦友も与えられると約束します。

使徒パウロにも、数多くのJesus信仰の戦友、まことの神の家族に支えられていたのです。

あなたには、情熱的に愛し合い、一生涯を共に分かち合えそうな神の家族、Jesus信仰の戦友たちがいますか?

もしいないなら、なぜ作ろうと尽力しないのですか?

なぜなら聖書は、まことのJesus信仰とは形式的な礼拝生活や自己保身的なご利益宗教では、立ちいかず、神の教会から現れるJesus Loveと神の家族愛なくしては成り立たないと、教え説くからです。神は愛であり、まことのJesus信仰とは、形式的なご利益宗教ではなく、神愛と神の家族愛から生まれ出てくる神の御業だからです。

・第2コリントの手紙12:10~11

『ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は神の助けで強くなれるからです。だから、今の私は、あえて愚か者になっています。あなたがたが無理に私をそうさせたのです。私は当然あなたがたの推薦を受けてよかったはずです。たとい私は取るに足りない者であっても、私はあの大使徒たちにどのような点でも劣るところはありませんでした。』

18~21節 (18 多くの人が肉によって誇っているので、私も誇ることにします。19 あなたがたは賢いのに、よくも喜んで愚かな者たちをこらえています。20 事実、あなたがたは、だれかに奴隷にされても、食い尽くされても、だまされても、いばられても、顔をたたかれても、こらえているではありませんか。21 言うのも恥ずかしいことですが、言わなければなりません。私たちは弱かったのです。しかし、人があえて誇ろうとすることなら、――私は愚かになって言いますが――私もあえて誇りましょう。彼らは神の民ヘブル人ですか。私もそうです。彼らは神の民イスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫の神の民ですか。私もそうです。)

また聖書で、使徒パウロはコリント教会のほとんどのJesus Familyたちの信仰は形式的で愛に冷えており、神のみことばによる御霊の一致と使命の一致も得られなかったので、やむを得ず、時には自身の霊的体験を自慢して証ししたり、また、熱い福音メッセージや情熱的な愛の馬鹿を表現しながら、必死でBible&メッセージを語り続けていたと、教え説きます。このように聖書は、クリスチャンが神愛と隣人愛を第1に表現する「愛のバカ」に徹しようとすれば、結果、Jesusのような神の奇跡や良い実を引き出せると約束します。これが何者をもを恐れない、Jesusや使徒パウロのような神の奇跡を起こせる聖霊に満ちた信仰者の姿なのです。どんな世界や職業でも、ある意味、馬鹿になって、必死に徹底して生き続ければチャンスや道は切り開かれるもの。あなたの神様も、あなたの必死さに、御心を動かされるのです。

あなたには、必死になれる神の使命、必死になれる神の家族関係が存在しますか?

これらが備われば、パリサイ人のようなご利益宗教や形式的な宗教から開放されるからです。情熱的な神の使命や健康的な神の家族愛を見出せない信仰者は、パリサイ人のように誰も救い導けなくなり、他人を批評するだけのご利益宗教者に成り下がるのです。目をさましあいましょう。

・ヤコブの手紙2:20

『ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。』

そしてBibleは、真理による生き様や天国行きの救霊者を獲得しようと尽力しないクリスチャンLIFEほど、虚しい人生はないと預言します。本来、新約聖書と教会はそのために与えられた神の祝福だからです。

また聖書は、真理による生き様と福音宣教を怠り続ければ、クリスチャンは他人の陰口や批評しか言わない律法学者になり下がると、忠告します。使徒パウロはこのコリント教会の仲間たちがそのような敵の罠に陥らぬように、そして同じユダヤ人たちの目を覚まそうと、必死に、愚か者になって語り続けたのでした。

・マタイ福音書13:14~16

主イエスは言った。『こうして旧約聖書のイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。「あなたがたは確かにみことばを聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、霊の目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、神にいやされることのないためである。」しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。』

21節 (21 言うのも恥ずかしいことですが、言わなければなりません。私たちは弱かったのです。しかし、人があえて誇ろうとすることなら、――私は愚かになって言いますが――私もあえて誇りましょう。彼らは神の民ヘブル人ですか。私もそうです。彼らは神の民イスラエル人ですか。私もそうです。彼らはアブラハムの子孫の神の民ですか。私もそうです。)

かつての使徒パウロは、当時の最強国・ローマ帝国(イスラエルも統治していた)の市民権を持つ人であり、家柄も良く裕福であり、将来は政治家か、権威のある律法学者になれるほどの敬虔なユダヤ(ヘブルまたは、イスラエルとも呼ぶ)教徒でした。しかし、彼はJesusに救われて「まことの神の民」とされたために、神のみことばに背き続けるしかない施政者と律法学者の道を捨て、神の愛の使徒となり、様々な人々や諸国を救う神の働き人に徹した人でした。聖書は、「神の子」とされたあなたにも、同じような愛の使命が与えられていると、教え説きます。それを自覚して生き続ける人は皆、必ず、永遠に報われると、預言するのです。

あなたのJesus信仰と人間関係に表れる、Jesusや使徒パウロのような情熱的な聖霊力と愛に期待します。

AMEN

(祈り)

主なる神様、皆を聖霊に満たして情熱的な愛を注ぎ、自己保身的な二心な人間関係と伝道への恐怖心や神の家族とのトラブルをすべて解消させてください。

そうすれば皆に、Jesusや使徒パウロのような感動的な愛の御業と神の偉大なる奇跡が任されるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。

AMEN!!!

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