第一コリントの手紙12:19~25
- sgbc-devotion
- 2017年12月22日
- 読了時間: 7分
GOD said,
『あなたは癒された』
『愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい』
『神は愛です』
『主のしもべは栄える』
2017年12月23日(土)
ディボーション聖句
第一コリントの手紙12:19~25
19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
20しかしこういうわけで、器官は多くありますが、神のからだは一つなのです。
21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。
22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
[聖句メッセージ]
昨日の続きです。
では、聖句をあげてから説明します。
・ローマ信徒への手紙12:5
『教会に大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。』
・ローマ信徒への手紙12:16
『ですから、互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。』
19節 (19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。)
このようにBibleは、神が教会に集めた人々は皆、神のからだの一部の器官として機能できる時、個々に神の似姿と奇跡的な祈りの応答が表れると教え説きます。Jesus信仰を信じて「神の子」とされて、神のカラダの役割を担う教会の働きや使命に精を出せば、神の祈り以上の奇跡を表すことが可能だと、教え説くのです。
あなたは、神のカラダなる教会で、神の使命や奉仕活動をしっかり果たせていますか?
なぜなら聖書は、人は皆、それぞれに特性や違いがありますが、神のカラダなる教会内で神の使命や奉仕の役割を果たそうと結束できれば、個々に偉大な神の奇跡が期待できると、約束するからです。これがJesusが教えてくれた、神の教会の黄金律です。胸に書き記してください。
20節 (20しかしこういうわけで、器官は多くありますが、神のからだは一つなのです。)
このように聖書は、神のカラダとなる教会の使命とビジョンでひとつになれる人は皆、Jesusのような奇跡や救霊の実を結ぶ可能性に恵まれると、預言します。
あなたは、神のカラダとなる教会の使命とビジョンでひとつになろうと尽力していますか?
それとも、個人プレイの自己満足なご利益宗教の罠に陥っていませんか?
もし、あなたに神の奇跡や祈り通りの応答が必要なら、日々のBible&メッセージからこれらの点を自己分析し続けることも重要なのです。
・ローマ信徒への手紙2:11
また『神にはえこひいきなどはないのです。』
・ローマ信徒への手紙2:6
『神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。』
21節 (21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。)
またBibleは、「神の子」とされた教会のJesus Familyたちは神のカラダの一部分である以上、それぞれが自分本位のご利益宗教と独自の聖書解釈と思考や、独りよがりの頑固な生活を押し通せば、やがて、その人はそのマイナスの報いを刈り取る羽目になると、忠告しています。人は皆、何をしても、何を考えても自由ですが、結局、神のみことばの預言通りに、マイナスの報いでさえ刈り取ることになると忠告するのです。ですから、神を知らない人たちと同様な悲しい結末を迎えないように、いつも主イエスの十字架にすがり続けながら、真心から悔い改めようと尽力し続けることも重要です。なぜなら、あなたの神様はえこひいきをせず、すべての人の心の深みや生き様を見て、良い報いも悪い報いさえも振り分けられるからです。肝に命じましょう。
・ルカの福音書24:25
『すると主イエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。みことばの預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。」』
・箴言12:15
『愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。』
また聖書は、永遠なる真理であるBible&メッセージに反することの多い自己満足な信仰生活は愚かで、哀れだと忠告します。Bible&Jesusは神の奇跡や良い実を結ぶのに、何よりも重要なのはBible&メッセージを聞き取ろうとする姿勢だと教え説くからです。
・第一コリントの手紙1:25
『なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。』
・第一コリントの手紙1:27
『神は、この世の知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。』
22~23節 (22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、)
またBibleは、この世界の魅力的な物事よりも、むしろ魅力的に感じられない物事の方が、実は神の大きな祝福と感動的な恩恵を手にする術が隠されていると、教え説いています。この世界の魅力的な価値観や流行ごとばかり大切に生きてしまえば、人は皆、神の偉大なる奇跡や感動的な恩恵を手放す羽目になると預言するのです。ですから、神の御子Jesusも父なる神様の後継ぎ、救い主であったのに、格好いいヒーローを演じず、あえて恥と苦しみの十字架上の身代わりの死と愛の弁護の道を選ばれたのです。本当の格好良さ、本物の美しさは見せかけではなく、その人の生き様と人生の結末に現れるものなのです。
あなたが夢見ている格好良さや美しさ、そして成功と幸福は、見せかけばかりの姿ではありませんか?
なぜなら聖書は、本物の格好良さと美しさや、本当の成功と幸福は見せかけばかりでは立ちいかなくなると預言しており、その人の本質や動機など、内側が、それ以上に大切なだと、忠告するからです。聖書は内なる心霊を磨ける、神様公認の鍛錬書。日々のBible&メッセージを吸収し続ける人は皆、世界一完全な人生を生きたと言われる「Jesus」のような人格と格好良さや美しさに近づけるのです。
・第二コリントの手紙12:10~11
使徒パウロは言った『ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は神によって強くなれるからです。ですから、私はあえて愚か者になっています。』
24~25節 (24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。)
そしてJesusは本物の成功的かつ幸福な人生を掴むのに大切なのは、罪深い、格好悪い自分の部分を受け入れられる謙遜さであり、また罪深い、格好悪い他者を理解してあげて、受け入れてあげようとする忍耐力と隣人愛だと、教え説きました。主イエスの十字架による贖罪は、わたしたち人間の弱さと足りなさを完全に補える神の力と愛そのものなのです。あなたの弱さと足りなさを補える、Jesusの十字架力と聖霊力に期待します。
・イザヤ書38:17
『ああ、主よ。私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。』
また聖書は、人生は目に見えない敵(悪霊)や人間の身勝手な罪悪や欲望が渦巻いているため、誰もが、もがき苦しむことになると預言します。
そして聖書は、「Jesus信仰を信じて悔い改め続けるあなたは、もう充分に苦しんだ。もう二度と、同じような苦しみはしなくていい。」と、約束してくれます。
聖書は日々のBible&Jesusのみことばに人生の舵取りを任せられれば、絶対的に報われる人生に成り変われりと約束するのです。日々のBible&で悔い改め続けることで、自分自身を助け、永遠に幸せにしてあげてください。
AMEN
(祈り)
主なる神様、皆に主イエスの十字架力と神の教会力の偉大さと権威を真心から悟らせてください。
そうすれば皆、今まで以上に主イエスの十字架力に守られながら、見えない敵に打ち勝てる神のカラダなる教会力や聖霊力も手に入れられるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。
AMEN!!!
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