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第一コリントの手紙9:9~14

Bible said,

『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』

『心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな』

『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』

2017年12月5日(火)

ディボーション聖句

第一コリントの手紙9:9~14

9 モーセの律法には、「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」と書いてあります。いったい神は、牛のことを気にかけておられるのでしょうか。

10 それとも、もっぱら私たちのために、こう言っておられるのでしょうか。むろん、私たちのためにこう書いてあるのです。なぜなら、耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分配を受ける望みを持って仕事をするのは当然だからです。

11 もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。

12 もし、ほかの人々が、あなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権利を用いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです。

13 あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずかることを知らないのですか。

14 同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。

[聖句メッセージ]

昨日の続きです。

9節 (9 モーセの律法には、「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」と書いてあります。いったい神は、牛のことを気にかけておられるのでしょうか。)

『モーセの律法』とは、旧約聖書に書かれている、モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の全てのみことばを意味します。

また『モーセの律法』は、神に選ばれし預言者モーセが、世界で初めて創造主なる神様から直接の啓示を頂いて書いた、神のみことばと言われているのです。信じるか、信じられないかはあなた次第です。しかし世界史を調べても、聖書のみことばが全て成就していることを疑う余地がないために、こうして世界中にみことばが語り継がれていることを忘れてはなりません。

9節 (9 モーセの律法には、「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」と書いてあります。いったい神は、牛のことを気にかけておられるのでしょうか。)

『くつこ』とは、気性の荒い牛や馬が人にかみついたり、農作物を食べたりするのを防止する、牛や馬の口を覆い隠すかごのような物を言います。

『穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない』とは、「主人に忠実に農作業をこなしている、全く危害を加えない牛に対しては、この口のくつこをかけてはいけない」という意味です。

・第一テモテの手紙5:17~18

『よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。御ことばと、その教えのためにほねおっている長老は特にそうです。聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」、また「働き手が報酬を受けることは当然である」と言われているからです。』

10~11節 (10 それとも、もっぱら私たちのために、こう言っておられるのでしょうか。むろん、私たちのためにこう書いてあるのです。なぜなら、耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分配を受ける望みを持って仕事をするのは当然だからです。11 もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。)

使徒パウロは、この『くつこ』のたとえを用いて、主なる神様に忠実な教会の聖職者たちの口から語られるBible&メッセージの働きや牧会を妨げたり、ヤル気を失わせないように、必要な謝礼を怠らないようにと、神の忠告を書き記した聖句になります。なぜなら聖書は、神の教会の働きは、目に見えずとも背後で神の聖霊が働かれているので、教会の聖職者たちの牧会を協力せずに妨げてはならないと、忠告するからなのです。

あなたは教会の聖職者や奉仕者たちの働きに協力せず、やる気を失わせたり、主の働きを妨げることはありませんか?

聖書は神の働き人たちにコップ一杯の水さえ協力して与えるのなら、その人は神様に救われるほどの恵みを受けられると約束しているからです。神の働きに協力する人は皆、永遠にいく倍も報われるのです。

・第一コリント人への手紙3:9

使徒パウロは言った。『私たち牧師は神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。』

・ローマ信徒への手紙12:13

『聖徒の入用に協力し合いなさい。』

・第一コリント人への手紙1:10

『兄弟姉妹たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。』

10~14節 (10 それとも、もっぱら私たちのために、こう言っておられるのでしょうか。むろん、私たちのためにこう書いてあるのです。なぜなら、耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分配を受ける望みを持って仕事をするのは当然だからです。11 もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。12 もし、ほかの人々が、あなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権利を用いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです。13 あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずかることを知らないのですか。14 同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。)

そして聖書は、教会の聖職者や監督者たちは、神様がたてた神の協力者たちだと、教え説きます。そして聖書は、神のカラダなる教会に集められたJesus Familyたちが日々のBible&メッセージから、同じ信仰心と判断力を保てる時、個々に神の祈り以上の応答や人を救う聖霊力が任されると約束するのです。

この聖書の預言通り、周囲のクリスチャンたちを見渡してみてください。神のカラダなる教会の働きから孤立している人に、神様からの祈り以上の奇跡や隣人の魂を救う働き(洗礼など)は表れにくいことが分かるでしょう。あなたの神様は見せかけの信仰ではなく、一人一人の信仰心とその生き様を見て、神の祈り以上の奇跡や、神の愛の実を振り分けられているからです。あなたとあなたの関わる教会力に表れる、山をも動かせる程の信仰と御霊の一致に期待します。

12節 (12 もし、ほかの人々が、あなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権利を用いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです。)

使徒パウロは、聖書のみことばの知恵に乏しく、いつもバラバラであったコリント教会の仲間たちの御霊の一致と神の愛を引き出すために、自身のプライドや献金などの権利を犠牲にしながら祈りつつ、耐え忍ぶ牧会をしていました。そして聖書は、この使徒パウロはこの逆境の中でも、ただJesusの十字架を仰ぎ見て、みことばだけを信頼して牧会していたので、いつも神の爆発的な聖霊力と感動的な奇跡を引き出せていたと、教え説くのです。聖書は、神の祈り以上の奇跡と大切な人々の魂を救うのに大切なのは、周りの人の反応を見過ぎずに、主イエスの十字架とそのみことばを仰ぎ見続けることだと、教え説くのです。人様を恐れては、まことの神様を見失うのです。肝に命じましょう。

・詩篇62:1~2

『私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。』

・ローマ信徒への手紙8:19

『私たちは、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。』

聖霊に満ちていた使徒パウロの霊魂は、ただただBible&Jesusのみことばの助けを待ち望みつつ、コリント教会の仲間達の霊の目が開かれ、それぞれが成長して、聖霊力が満ち溢れるのを主に期待して待ち続けたのでした。

あなたは聖霊に満ちた人パウロを見倣って、周囲の仲間たちの不信仰や罪悪に惑わされず、自分自身の信仰と聖霊との深い交わりを大切に生きられていますか?

また、あなたは周囲の仲間たちの霊性と信仰が成長するまで待とうと忍耐したり、教会の仲間たちの悔い改めを祈りつつ協力できていますか?

それとも、周囲の仲間たちの不信仰や罪悪に無関心で、見捨てようとしていませんか?

なぜなら聖書は、もしあなたが決してあきらめずに、不信仰な仲間たちが悔い改めることを信じて祈り協力し続けるのなら、あなたの神様は、あなたの祈りに感動的な奇跡や恩恵を増し加えると、約束するからです。周囲の仲間たちの救いや悔い改めに無関心な人に、神の永続的な祝福や感動的な奇跡は皆無なのです。なぜなら神様は、真理と愛なるお方だからです。

・ローマ信徒への手紙8:24

『私たちは、主イエスの十字架の贖いの望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。もし、まだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。聖霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈り、忍耐したらよいかわからないのですが、聖霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。』

13節 (13 あなたがたは、宮に奉仕している者が宮の物を食べ、祭壇に仕える者が祭壇の物にあずかることを知らないのですか。)

また聖書は、神の御子Jesusや使徒パウロたちのような山をも揺り動かせる信仰とは、聖書のみことばの約束を堅く握り締めながら、いつも神の助けをただただ忍耐して、熱心に待ち続ける信仰心とその生き様が重要だと教え説きます。聖書のみことばが成就することを忍耐して前進し続ける人は皆、必ず主が報いて勝利させてくださると、約束するのです。

・マタイ福音書25:13

Jesusは言った。『だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。』

そして聖書は、目に見える物事や神様からの報いばかりに心を奪われ過ぎて、結果を急いだり、焦らない事も重要だと、教え説きます。あなたへの神様の助けと祈りの応答に手遅れはないからです。

聖書は、あなたの内なる聖霊とはいつも、あなたのためにとりなし祈り支えてくださる祈りの聖霊であり、あなたに人をゆるす愛力と、試練や敵の攻撃から勝利する為の神のインスピレーションと知恵を与えてくれる不思議な助け主だと、教え説きます。

また聖書は、様々が起こる人生ですが、神のカラダなる教会のJesus Familyたちと共に礼拝して協力し合い、内なる聖霊の助けを待ち望める神の子たちには耐えられない試練や敵の攻撃などあり得ないと、約束するのです。この神の教会に繋がり続けるクリスチャンだけの特権をしっかり胸に書き記してください。

あなたが人生の試練と敵の攻撃を受ける時に与えられる、神のみことばの奇跡力と不可能を可能にできる聖霊力に期待します。

AMEN

(祈り)

主なる神様、皆を聖霊に満たし、どんな時も何が起ころうとも心騒がせず、教会の聖職者とJesus Familyたちと心一つで祈って支え合い、ただただ神の助けを期待し忍耐して、待ち続けられるようにしてください。

そうすれば、皆に神の愛の奇跡や不可能を可能にできる聖霊力が任されるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。

AMEN!!!

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