マタイの福音書26:26~35

2019年5月21日(火)
ディボーション聖句

マタイの福音書26:26~35
26また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
27また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
28これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
29ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
30そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。
31そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。
32しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
33すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」
34イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
35ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。

[聖句メッセージ]

昨日の続きです。

26~28節,これらの聖句は、主イエスキリストと12使徒たちとの最後の晩餐(世界初の聖餐式)の聖書のみことばになります。このようなJesusは、この世界の終末まで、定期的に聖餐式を行なって、神に救われた恵みを覚えながら生きるように教えられたのです。

ヨハネの福音書6:35『イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。』

ヨハネの福音書6:48~51主イエスは言われた。『わたしはいのちのパンです。あなたがたの父祖たちは荒野でマナを食べたが、結局、皆死にました。しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」』

マタイの福音書4:4『イエスは悪魔に答えて言われた。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのみことばを食べて生きる。」と書いてある。』

26~28節,人は皆、パンなどの食物を食べられなくては生きていきませんが、聖書は、それと同じように、人は皆 Bibleのみことばを信じて、それを消化し続けなければ、その人の心霊は永遠に報われる幸福人生はなし得ないと教え説くのです。信じるか、信じられないかはあなた次第。しかし、これが聖書の教える神の奥義、摂理、人生と死の真理なのです。肝にめいじあいましょう。

第一コリントの手紙11:24~26『イエスは感謝をささげて後、パンを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。』

ヨハネの福音書14:6主イエスは言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父なる神のみもとに来ることはありません。』

26~29節,Bible&Jesusは、主イエスの十字架贖罪信仰のみことばとは、それを信じて悔い改め続ける人々を永遠にゆるして生かせる、この世界で唯一の神の道、福音だど教え説きます。ですから聖書は、この神の救いと恵みを永続して憶える為、世界中のイエスの教会は、今日の聖句のような聖餐式を行い続けるように教え説くのです。
聖餐式を行う時は、この主イエスの十字架の血の贖いによる神の愛とゆるしの恵みを思い巡らすことが大切なのです。また聖書は、日々の礼拝生活や聖餐式を いい加減な気持ちで、マンネリ的に済ませては、永遠に報われる幸福人生に必要な神の聖霊力は衰えていくと預言します。素直な幼児のような清さを大切に生き続けることも重要です。あなたが、主イエスの十字架信仰力と内なる聖霊力が満ち溢れるほどの聖餐式、ディボーション(聖書の黙想)、教会礼拝奉仕生活を行えるように祈ります。

マタイの福音書26:55~56『そのとき、イエスはご自分を捕まえに来た多勢に言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってわたしをつかまえに来たのですか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、あなたがたは、わたしを捕らえなかったのです。しかし、すべてこうなったのは、聖書の預言者たちのことばが実現するためです。」そのとき、イエスの弟子たちはみな、イエスを見捨てて、逃げてしまった。』

30~35節,当時のイエスは、側近のペテロを含む12弟子の他に、約70人の使徒(聖職者)たちの面倒を見て、まるで家族のように衣食住を共にして暮らしておりました。しかし彼らは、この世の悪い権力が無実のイエスを捕えると、すぐに皆、裏切って逃げてしまったのです。
またイエスは、数えられないほど多くのユダヤ人たちの心霊体を奇跡的に癒し、貧しい人々の飢えをも満たしてあげたのですが、誰一人、無実なイエスを罠に陥れた悪い権力や政府に対して、立ち向かおうとする人はおりませんでした。聖書は、人は皆、自分を守るためなら、悪い権力に加担する罪悪性があると教え説くのです。
あなたは、自分自身やあなたの利益を守るために、偽善的な権力に加担することがありませんか?
なぜなら聖書は、人は皆、自分自身や自分の利益を守る為なら、悪い権力にでも加担する罪悪性があるので、神の御子イエスの十字架贖罪信仰が必要不可欠だと教え説くからです。

ヨハネの福音書15:13『人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。』

しかし主イエスは、ご自分を裏切って見捨てた仲間や国民たちを 救うために、ご自分の気持ちと人生や命を犠牲にして、ただ十字架贖罪の愛を全うされたのです。これが 最大級の「神の愛・見返りを求めない無限なる愛、アガペー」のカタチなのです。まことの『愛』は、常に相手の気持ちを自分のように思考してあげたり、私利私欲を求め過ぎずに、すべてを我慢して、全てを信じてあげて、ただ期待して、お互いの徳を立てあげようとする心のあり方であり、不正を喜ばずに、真理を追求する人生の情熱なのです。
あなたはまことの愛を 知り、まことの愛に生きられていますか?
なぜなら聖書は、愛の分からない人に神は分からず、愛の乏しい人生に幸福などあり得ないと預言するからです。
あなたの人生と人間関係に現れる、Jesusのような本物の『愛』に期待します。AMEN

(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たして、いつも、主イエスのように真理と愛を大切に生きられるように助け導いて下さい。
そうすれば 皆、父なる神様と大切な人々とも相思相愛に生きられ、永遠に報われる幸福人生を築けるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!! 

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マルコの福音書 4章 20節
良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、
三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。

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