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ヨハネの福音書6:22~37

2020年2月16日(日) ディボーション聖句 ヨハネの福音書6:22~37 22 その翌日、湖の向こう岸にいた群衆は、そこには小舟が一隻あっただけで、ほかにはなかったこと、また、その舟にイエスは弟子たちといっしょに乗られないで、弟子たちだけが行ったということに気づいた。 23 しかし、主が感謝をささげられてから、人々がパンを食べた場所の近くに、テベリヤか数隻の小舟が来た。 24 群衆は、イエスがそこにおられず、弟子たちもいないことを知ると、自分たちもその小に乗り込んで、イエスを捜してカペナウムに来た。 25 そして湖の向こう側でイエスを見つけたとき、彼らはイエスに言った。「先生。いつこにおいでになりましたか。」 26 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。 27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」 28 すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行うために、何をすべきでしょうか。」 29 イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」 30 そこで彼らはイエスに言った。「それでは、私たちが見てあなたを信じるために、しるしとして何をしてくださいますか。どのようなことをなさいますか。 31 私たちの父祖たちは荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」 32 イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。 33 というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」 34 そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」 35 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。 36 しかし、あなたがたはわたしを見ながら信じようとしないと、わたしはあなたがたに言いました。 37 父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 22~25節,この直前Jesusがわずかな食料しかなかったのに、一万人以上の人々にパン(食事)を振る舞う奇跡を行った後、ユダヤ人の民衆たちは、今まで以上に熱心になって、Jesusと使徒たちを 追いかけ回すように信仰し出しました。しかし、彼らは真心から自分の人生での罪悪や過ちを悔い改めようと信仰したのではなく、Jesusがパンの奇跡を行った為、Jesusは自分たちに利益をもたらせると、ご利益宗教によって、Jesusたちを追いかけ回していただけでした。 あなたは、聖書から永遠なる真理や神の摂理を知った為、真心から自分の人生での罪悪や過ちを悔い改めようとする本物の信仰が備わっていますか? なぜなら聖書は、形式的なご利益宗教心では、永遠に満たされる幸福人生や天国行きの確信は得られないと預言するからです。聖書から罪や過ちを見つけて、真心から祈りつつ悔い改め続ける本物の信仰を働かせなければ、人生は虚しく、死は恐怖でしかなくなると教え解くのです。肝にめいじあいましょう。 26節,しかしJesusは、彼らの本心、ご利益宗教を見抜いて、ガッカリされたのでした。彼らはJesusの教える神のみことばを通して悔い改めようとする純粋な信仰心ではなく、Jesusがパンによる神の奇跡を見せた為、Jesusの神のパワーを利用して、少しでも良い生活をしようという、貪欲なずる賢いご利益宗教心で、Jesusたちを追いかけ回していただけだったのでした。聖書は、このような聖書からの悔い改めのない信仰心には、永遠に満たされる人生を築ける神の奇跡や天国行きの確信は任されないと預言するのです。 ヤコブの手紙4:3~4『あなたが願っても受けられないのは、自分の快楽と欲望のために使おうとして、悪い動機で願うからです。貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。』 あなたが神礼拝したり、Jesusに祈り求めている一番の理由は何ですか? そして、あなたに祈祷課題があるのなら、その真の動機は何ですか? もし、あなたに祈りの応答が必要ならば、それらを、よく吟味してみることが重要です。なぜなら聖書は、聖書からの悔い改め続けるない、自分本位な欲にまみれたご利益宗教心では、永遠に満たされて人生、死を超越した天国の喜びは得られないと預言するからです。 伝道者の書5:10『金銭と権力を愛する者は生活に満足できない。富を愛する者は結局、収益に満足できない。これもまた、むなしい。』 マタイの福音書6:30~34『きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、父なる神様が よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って、生活のことで心配するのは、もうやめなさい。こういうものはみな、神を知らない異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父なる神様は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。 そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用なのです。』 ローマ信徒への手紙12:2『この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。』 28~34節,このようにBible&Jesusは...神の救い主Jesusの十字架上の身代わりの死による贖罪信仰のおかげで、人生の罪悪や過ちを 神にゆるされて、「天国人」とされている あなたは、聖書の教える悔い改めさえ 大切に生き続ければ、もう未来での衣食住と仕事や死さえも、あれこれと思い悩む必要などなくなると約束してくれます。それさえ生活習慣に備われば、不思議に、永遠に満たされた人生や死の必要は満たされ続けると約束するのです。 また聖書は、いつも衣食住や仕事ばかりを 心配して、ただ忙しく生きることは、神を知らない哀れで無知な人生であり、そういう生活習慣と心の持ちようでは、永遠に満たされる人生など築けないと忠告しているのです。 あなたは、今 何のために生きており、何を一番信頼して生活していますか? なぜならBibleは、天国人とされた あなたは、聖書から自分自身にとって何が善で悪なのか、何が徳を生み、何が損を刈り取るのか。などを日々のみことばから吟味しながら、祈りつつ悔い改め続ければ、永遠に人生は安泰だと預言するからです。主なる神の為にも生き、主イエスを何よりも一番信頼し続ければ、永遠に必要が満たされ続けると約束するのです。 ヨブ記1:21『私たち人間は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私たちはかしこに帰ろう。主は全てを与え、主は全てを取られる。主の御名はほむべきかな。』 35~37節,あなたは、いつか失ってしまう、この人生の物事ばかり思考して頑張り過ぎたり、思い悩んだりなどして、必要以上のストレスを抱え込む傾向がありませんか? なぜなら聖書は、あなたの人生は、この世界だけでは終わらないと預言するからです。 そして聖書は、聖書から永遠なる人生にパラダイムシフトできた人は皆、何をしても神様が報いて下さるので、結果として、全ての必要が満たされたり、何事もうまくいくようになるとまで、約束してくれたのです。これが 聖書の教え与える、永遠なる命のパンであり、全知全能なる神様の幸運を 永遠に味方につけられる人生の生き方なのです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、Bible&Jesusのみことばを何よりも信頼しつつ、永遠なる人生観、世界観にパラダイムシフトできるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆、永遠なる自由感と幸福感に満ちた、真の自分らしい勝利的人生を築けるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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