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ヨハネの福音書4:42〜45

2020年2月4日(火) ディボーション聖句  ヨハネの福音書4:42〜45 42  さて、二日の後、イエスはナザレを去って、ガリラヤへ行かれた。 44 イエスご自身が、「預言者は自分の故郷では尊ばれない」と証言しておられたからである。 45 そういうわけで、イエスがガリラヤに行かれたとき、ガリラヤ人はイエスを歓迎した。彼らも祭りに行っていたので、イエスが祭りの間にエルサレムでなさったすべてのことを見ていたからである。 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 マタイの福音書4:12~13『洗礼者ヨハネが捕らえられたと聞いたイエスは、すぐにガリラヤへ立ちのかれた。そしてナザレを去って、カペナウムに来て住まわれた。ゼブルンとナフタリとの境にある、湖のほとりの町である。これは、旧約聖書の預言者イザヤを通して言われたみことばが、成就するためであった。すなわち、「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」』 42節,世界人類の救い主Jesusは、旧約聖書の預言者イザヤの預言通りに30歳までナザレで暮らした後、神に選ばれし洗礼者ヨハネが捕らえられたという噂を聞くと、生まれ故郷ナザレに二日滞在してから、ガリラヤ地方・北西のカペナウムに移り住み、福音宣教を開始したのです。 このように神の救い主Jesusは、Bibleが預言した救い主の条件を満たす生涯を生きた、世界人類で唯一の神の御子キリストでした。 マタイの福音書1:22『このすべての出来事は、主が聖書の預言者を通して言われた事が成就するためであった。』 マタイの福音書5:17~18主イエスは言われた。『わたしが来たのは、聖書の律法や預言者のことばを廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、すべて成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、聖書の律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』 42節,このようにBibleとは、全てが神の霊感により書かれており、全世界と全人生に、たとえ話を含めて必ず成就する、神の預言的書物だと教え説きます。 聖書は...どんな人生でさえも、Bible&Jesusを信じて 読み続けるのならば、永遠に満たされた幸福人生に必要な神のみことば、預言、たとえ話、未来への約束が書かれていると教え説くのです。 あなたは、聖書をただの権威ある本だと、その他の書物と同等に考える傾向がありませんか? なぜなら聖書は、全人生と死の完全なる取扱説明書であり、聖書の福音なくして、人は皆、永遠に満たされた幸福人生、死後の天国行きの救いはなし得ないと教え説くからです。ですから、神の救い主イエスキリストの誕生を祝うクリスマスだけが、世界共通のお祭りとなっているのです。これらの世界情勢の現実から目を覚まして、Bible&Jesusのみことばと向き合いましょう。 ローマ信徒への手紙3:10『義人はいない。ひとりもいない。』 箴言29:25~26『人を恐れると人生のわなにかかる。しかし主のみことばに信頼する者は守られる。支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし人をさばくのは主だけである。』 また聖書は、神のみことば、真理から外れた偉人たちのことばに神の聖霊の言霊は宿らないとハッキリ教えます。 聖書のみことば以外に神の聖霊は、宿っていないと教え説くのです。聖書のみことばには神の権威、神の聖霊力が備わっていると、教え説くのです。 ですから聖書は、こうして 日々Bibleを読みつつ黙想しながら、神からの知恵と真理を学んで、 何が善と神の祝福であり、何が罪悪で、敵(サタン"悪魔,悪霊,悪運)を呼び込む誘惑、偽物なのか見分けれると教え説くのです。 第一コリントの手紙1:21『事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵とご計画によるのです。それゆえ、神はみこころによって、人の語る宣教のみことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。』 42~45節,尚、30歳になるまでのJesusをよく知っていた、地元のナザレの人々は、Bibleのみことばの預言を見逃して、Jesusの過去の生い立ちばかりを 思い出して考え過ぎてしまい、Jesusが「世界人類の救い主」であるという事実に気づけませんでした。 その為にJesusは、不信仰であった地元のナザレの人々に対してだけは、全く奇跡を起こさず、久々の故郷であったのに、わずか二日で街を出て、新しい街カペナウム(ガリラヤ地方)に移り住んで行ってしまったのです。 あなたは友人、知人のクリスチャンから語られる、聖書のみことばによる預言や忠告を 軽視する傾向がありませんか? なぜなら聖書は、信頼を置ける聖職者がみことばの預言や戒めを語ろうが、友人、知人のクリスチャンが同じようにみことばの預言や戒めを語ろうが、神のみことばに変わりないので、ナザレのように人を見て、みことばに従うかどうか判断すれば、神の奇跡を手放すと忠告するからです。神のみことばを語る人を見て、みことばを判断するのではなく、誰が語ろうが神のみことばに集中できるか、従えられるかがどうかが、重要だと教え説くのです。神の奇跡、永遠に満たされた幸福人生を取り逃さないように、気をつけましょう。 第一テサロニケの手紙5:20『預言をないがしろにしてはいけません。』 マルコの福音書9:23『するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。わたしを信じる者には、どんなことでもできるのです。」』 42~45節,聖書は、誰がみことばを語ろうとも、相手が真心から正しく語るBibleのみことばには、神の知恵、預言や神のご計画や神の聖霊力が 隠されていると教え説くのです。 意固地にならず、また目に見える人の姿ばかり見過ぎずに、教会や周囲から語られる みことばだけに、霊の耳を傾けることが大切です。 あなたの関わるJesusの教会と友人、知人のJesusFamilyたちから語られる、神の不思議な御声とその奇跡に 期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、意固地にならず、人の語る姿ばかり見過ぎずに、教会と友人,知人のクリスチャンたちから語られるBibleのみことばを真摯に受け入れて、神の知恵と預言や忠告を見極められる信仰力とインスピレーションを増し加えて下さい。 そうすれば皆、永遠に満たされた幸福人生に必要な、神の奇跡と不思議が増し加わり続けるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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