top of page
  • 執筆者の写真sgbc-devotion

ヨハネの福音書3:3~13

2020年1月25日(土) ディボーション聖句 ヨハネの福音書3:3~13 3 イエスはニコデモに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」 4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」 5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。 6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。 7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。 8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」 9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」 10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。 11 まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。 12 あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。 13 だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 3節,この日 Jesusは、ご自分を訪ねてきたユダヤ人の国会議員・ニコデモに神のゆるしを受けて死後の地獄行きを免れ、肉体の死後に永遠なる救い、天国行きを内定させる為に、必要な神のみことば(神の国の律法)について教え伝えました。 あなたは、人は皆、死んだら天国に行けると過信していませんか? なぜなら聖書だけでなく、世界五大宗教は人は皆、誰もが永遠に報われる訳がないと教え解くからです。自分の利益、生活の為に嘘、偽りを語る宗教家には気をつけあいましょう。ユダヤ教は神に特別に選ばれし民しか救われず、イスラム教やヒンドゥー教は戒律を守らなければ救われず、仏教は生きている間に悟りを開いて改心できなければ、報われる訳がないと、正式には教え説くからです。しかしJesus信仰だけは、神の救い主Jesusがあなたの罪、過ちの身代わりに贖罪して下さるので、特別な人でなくても、戒律を完全に守れなくても、また完璧な悟りを切り開いて、完全に改心できなくとも、聖書から祈りつつ悔い改め続けようとさえ神礼拝奉仕し続ければ、永遠に救われると教え説くのです。キリスト教だけが唯一、救いがあるため、世界中にクリスマスの祭りが伝わったのです。しっかり胸に書き記し、嘘、偽りの宗教家たちには気をつけあいましょう。 ローマ信徒への手紙12:2〜3『この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。』 ヨハネの福音書3:17〜21『神が御子イエスを世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子イエスによって世が救われるためである。御子イエスを信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子イエスの御名を信じなかったので、すでにさばかれている。そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。』 ヨハネの福音書12:24〜25『まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。 しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。自分のいのちを愛して守ろうとする者は、かえってそれを失い、この世でそのいのちを憎むほどにわたしを信じる者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。』 4~9節,以下は、Jesusが ニコデモに語られた、たとえ話のみことばの意味になります。 Jesusは以下のような内容のみことばを たとえて語られたのでした。 「人は皆、この世で培ってきた知識と経験や常識論よりも神の教える永遠なる真理(聖書)から教えられる善悪を判断できる 新しい価値観と世界観を身につけながら、自らの人生での罪悪と過ちを認めて、Jesusの十字架贖罪信仰を持って祈り悔い改め続けようとしなければ、絶対に神のゆるしと永遠に報われる天国行きなどあり得ません。 また、人は皆、幼児のように素直にみことばを信じて洗礼を受けて、新しく生まれ変われる為に必要な聖霊を受けなければ、神のみことばの知恵やインスピレーションを獲得しにくいので、永遠に報われる幸福人生や天国行きの確信を獲得するのも難しいのです。」と、教え伝えたのでした。 新しく生まれ変わるとは、世界観を一新する(パラダイムシフト)と言う たとえであったのです。 しかし、この時のニコデモは、このたとえの意味を理解できませんでした。 ヨハネの福音書19:39~40『前に、夜イエスのところに来たニコデモも、イエスを葬るために、高価な没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いて、墓に葬った。』 10節,しかし...ニコデモは、のちにJesusの言う通りに洗礼を受けて、世界観を聖書にパラダイムシフトした為、永遠に報われる幸福人生に必要な神の知恵と天国行きの確信が理解できるようになり、Bibleの善悪に従って 自らの人生の罪悪や過ちを 祈りつつ悔い改める人生を築けたので、今や世界中の聖書に永遠に報われた最高の政治家、クリスチャンの英雄として語り継がれているのです。 聖書を信じて行動を起こし続ける人は皆、それだけで永遠に報われて救われるのです。 あなたはニコデモのように人生観や世界観を聖書にパラダイムシフトして、聖書を信じてアクションし続けようとしていり人ですか? なぜなら聖書は、ニコデモのように人生観や世界観を聖書にパラダイムシフトして、聖書を信じてアクションし続けようと祈りつつ悔い改め続ける人たちにだけ、何をしても、永遠に報われる幸福人生、天国行きの確信が任されると預言するからです。 第一コリントの手紙1:19~21『聖書には、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。 神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵とご計画によるのです。それゆえ、神はみこころによって、人の語る宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。』 11~13節,このようにBibleは、ユダヤの優秀な政治家のニコデモや世界的な学者や知者たちであったとしても、人は皆、限界があり、天地万物を創造された神の存在(知恵)や無神論さえも 論証することなど、不可能だと教え説きます。 聖書は、ニコデモのように人間の限界を悟って、ただ素直にみことばを信じて従ったり、洗礼を受けなければ、真の神の存在や確信を手に入られることはあり得ないと教え説くのです。信じて従う人たちだけが、永遠に報われる幸福人生に必要な神の不思議と永遠なる命を 体感できるのです。 そしてあなたも、人間の限界や限度を悟って、益々、幼子のように素直にみことばをアクションできる知者となり、何をしても、永遠に不思議に報われる幸福人生や天国行きの確信を体感できるようになれると期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆の霊の目を開いて、人間の限界や限度を悟らせ、聖書と聖霊にパラダイムシフトして、神のみことばに素直に従順になれるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆、何をしても不思議に報われ、神の永遠なる報いと奇跡や天国行きの確信を体感できるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!! 

閲覧数:3回0件のコメント

最新記事

すべて表示

ヨハネの福音書7:14~18

2020年2月23日(日) ディボーション聖句 ヨハネの福音書7:14~18 14 しかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた。 15 ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」 16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。 17 だれでも神

ヨハネの福音書7:10~13

2020年2月22日(土) ディボーション聖句  ヨハネの福音書7:10~13 10 しかし、兄弟たちが仮庵の祭りに上ったとき、イエスご自身も、公にではなく、いわば内密に上って行かれた。 11 ユダヤ人たちは、祭りのとき、「あの方はどこにおられるのか」と言って、イエスを捜していた。 12 そして群衆の間には、イエスについて、いろいろとひそひそ話がされていた。「良い人だ」と言う者もあり、「

bottom of page