2020年1月12日(日) ディボーション聖句 マタイの福音書24:13~26 13 ちょうどこの日、ふたりの弟子が、エルサレムから十一キロメートル余り離れたエマオという村に行く途中であった。 14 そして、ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。 15 話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。 16 しかしふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった。 17 イエスは彼らに言われた。「歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか。」すると、ふたりは暗い顔つきになって、立ち止まった。 18 クレオパというほうが答えて言った。「エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか。」 19 イエスが、「どんな事ですか」と聞かれると、ふたりは答えた。「ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で、行いにもことばにも力のある預言者でした。 20 それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです。 21 しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました。事実、そればかりでなく、その事があってから三日目になりますが、 22 また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、 23 イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして神の御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです。 24 それで、仲間の何人かが墓に行ってみたのですが、はたして女たちの言ったとおりで、イエスさまは見当たらなかった、というのです。」 25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。聖書の預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。 26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 13節『エマオ』とは、聖地エルサレムから11km程離れた、田舎町。 この日、Jesusの弟子のクレパオと、もう一人の弟子は、十字架につけられる以前のJesusの神の御業や奇跡の証しをし合いながら、エマオという田舎町に行く途中、復活したJesusに出会いました。しかし彼らは、聖書のみことばの預言や約束を中途半端に信じる程度の形式的な信仰心だった為、最初、死から復活したJesusの姿に気づけなかったのです。 あなたは、聖書のみことばの預言や約束を、中途半端に信じる傾向がありませんか? なぜなら聖書は、このクレパオたちのように、聖書のみことばを中途半端に信じる形式的な信仰心では、永遠に満たされる幸福人生に必要な神体験、神奇跡は任されず、天国行きの確信も損なわれると預言するからです。何事も中途半端では、立ち行きません。気をつけあいましょう。 エレミヤ書29:12~13 主なる神様は言われた『あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。』 14節,またBibleは、このJesusの弟子クレパオたちのようではなく、Bible&Jesusのみことばの預言や神の奇跡の証し話を、真心から信じて希望や期待を持ち続けられる人たちに神の感動的な御業や奇跡が現れやすいと教え説きます。 教会礼拝奉仕を大切に生きている教会のJesusFamilyたちと、Bible&Jesusのみことばや証し話 いつもシェアし合うことが、神の感動的な御業や奇跡に恵まれるチャンスに繋がるのです。しっかり胸に書き記して下さい。 使徒の働き1:3~5『イエスは十字架上で苦しみを受けた後、三日後によみがえって、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。そして復活してから、彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。預言者ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」』 14~16節,このように神の救い主Jesusは、聖書の預言通り、世界人類の罪ら咎、過ち、また必要以上の病や死の裁きや滅びを 身代わりに引き受けて十字架上で死なれて(贖罪の死)から、ご自分を信じる者たちに永遠のゆるしと天国行きの救いを 完成させて告げ知らせるために、三日後によみがえられました。 そして復活したJesusは、神の存在や死後の世界の存在を知らない人々に「天国」行きの救いの希望を宣べ伝えさせる為に、神に選ばれし500人以上の人々に、40日間、肉体の死後の新たな霊的カラダを表して、神の国について説明したのです。 16~24節,しかしそれでも、Jesusの半分以上の弟子たちは、最初Jesusの死からの復活を信じて受け入れる事が 出来ませんでした。 Jesusの死からの復活と、永遠なる天国行きの聖書信仰を信じるか、信じられないかは、あなた次第です。しかし 聖書は、Bible&Jesusのみことばを信じられる者たちだけが、永遠に満たされた幸福人生に必要な神の奇跡や永遠なる報い、天国行きの確信に恵まれると預言するのです。肝に銘じあいましょう。 マタイの福音書24:38~44 主イエスは言われた。『洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らは神の預言の意味がわからなかったのです。人の子イエスが来るのも、そのとおりです。そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子イエスは、思いがけない時に来るのですから。』 25~26節,またBibleは、ノアの洪水のような大災害や人生での大惨事や大苦難のタイミングや、人生での試練と、死のタイミングや、死後の行き先については、日々のBibleメッセージを深く読むことで、霊の目をさましていなければ、それらがいつ来るのか、また、どう対処すれば報われ、救われるのか、完全な判断ができないと預言します。 Bibleは、人生の試練、大災害、事故災、病魔、見えない敵からの攻撃や死を正しく向き合って消化できる、神からの唯一なる知恵と救いの書だと教え説くのです。Bibleは人生と死についての説明書となるのです。 また、Bibleは、人が二人いたとすると、ひとりはBible&Jesusの救いに気づいて救われますが、もうひとりの人は、いろいろな世の思い煩いと欲望や目に見えない敵(サタン、悪魔、悪霊)の攻撃が邪魔するので、Bible&Jesusのみことばと救いを 聞き逃してしまうか、軽視して破滅すると預言しています。Bibleとは、神公認の唯一の預言の書、Bible&Jesusのみことばを信じ続ける者は皆、必ず、人生で報われ、死んでも救われるのです。 あなたに聖書から人生のピンチや未来や死の恐れをも乗り越えられる神の知恵、インスピレーションと祈祷力が与えられると期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆の霊の目を開いて、Bibleから神の知恵と必要な預言を お与えください。 そうすれば 皆、人生での試練、敵の攻撃、自然災害、事故災、病魔と死の滅びに正しく対処でき、永遠なる幸福人生を手に入れ、天国での報いにも恵まれるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!
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