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ルカの福音書23:26〜43

2020年1月7日(火) ディボーション聖句 ルカの福音書23:26〜43 26 彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。 27 大ぜいの民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが、イエスのあとについて行った。 28 しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。 29 なぜなら人々が、『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ』と言う日が来るのですから。 30 そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ』と言い、丘に向かって、『われわれをおおってくれ』と言い始めます。 31 彼らが生木にこのようなことをするのなら、枯れ木には、いったい、何が起こるでしょう。」 32 ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれて行った。 33 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。 34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。 35 民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」 36 兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、 37 「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。 38 「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。 39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。 40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。 41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」 42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」 43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 [聖句メッセージ] マタイの福音書26:24『総督のピラトは、叫んだ。 「この人、イエスの血については、私に責任はない。あとは自分たちで始末するがよい。」』 26~31節,このように、最高法院の最終裁判判決決定権を持っていた、古代ローマ帝国のユダヤ属州のピラト総督は、全く無実なイエスがユダヤ人権力者たちの陰謀と策略により、罠に陥れられて、死罪にされそうなことを知りました。しかし、ピラト総督はユダヤ人権力者たちに、乗せられ踊らされた大群衆が暴徒化しそうなのを見て、仕方なく、イエスの裁判から手を引いたのでした。その為、イエスは全く無実であったのに死刑執行場に、連れて行かれたのです。 また、この時のJesusは極限のムチ打ち刑と暴力を受けて衰弱し切っていたので、クレネ人のシモンという通行人がイエスのつけられる十字架を運ぶのを 手助けさせられていたのです。 そして神の救い主Jesusは、旧約聖書の神の預言通り、全世界人類の罪悪と過ちを贖罪する救いと真の愛の模範を 示されるために、ただ 黙って、十字架の処刑場に向かわれたのです。 32~33節,また以下は、全く無実な神の御子で、世界人類の救い主イエスキリストの死刑による、世界人類の身代わりの救い(贖罪)が 預言されていた聖書箇所です。 イザヤ書53:5『彼は、私たち人間のそむきの罪のために刺し通され、私たち人間の咎のために砕かれた。主なる神は、私たち人類のすべての罪と咎を彼に負わせた。彼へのしいたげと、さばきによって、彼の命は取り去られた。』 34~38節,この日、イエスの十字架処刑が決定すると、早速ユダヤ人兵士たちは十字架の処刑の準備をし始めました。彼らは、まず処刑前のイエスを正装させてから、いばらの冠をかぶらせて罵倒しながらつばを吐き捨てました。また、Jesusは一人の死刑囚からも馬鹿にされたのです。 しかし聖書は、世界人類の救い主イエスは、全人類の罪悪や過ちを贖って救う愛の使命のために、自分を押し殺して黙り続け、ただ、みことば通りに忍耐しながら祈り続けていたのです。 ローマ信徒への手紙1:16『私は聖書の福音を恥とは思いません。神の福音は、世界中で信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力そのものなのです。』 40~43節,このようにBibleは、神に選ばれて救われたクリスチャンたちも、主イエスのように福音宣教と真理やまことの愛を証し伝えれば、時々、人生や死について無知な人々からイエスのように誤解されたり馬鹿にされることもありますが、それを耐え忍んで福音宣教や真理を証し伝え続ければ、イエスのような不可能さえ可能にできる奇跡が任され、福音宣教し続けることは人生で最も最高な神の栄誉、祝福だと教え説きます。 あなたは、周囲の反応や空気に動じず、福音宣教や真理を証し伝える、人生最高な使命や奉仕を全うしようとしていますか? なぜなら聖書は、それらの使命や奉仕は、人生最高な使命や奉仕であり、それらを全うする人々は皆、永遠に報われる幸福人生、天国行きの確信を受けられると約束するからです。しっかり胸に書き記すことです。 ルカの福音書8:5~14 主イエスは、たとえを言われた。『種を蒔く人が種蒔きに出かけた。すると、種を蒔いている時、種はいばらの真ん中に落ちた。ところが、その種の実は、いばらもいっしょに生え出て、それを押しふさいでしまった。このたとえの意味はこうです。種は神のみことばです。いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならない人たちのことです。』 第一テサロニケの手紙5:6,10『あなたがたは、ほかの人々のように眠っていないで、霊の目をさまして、慎み深くしていきましょう。主イエスが私たちのために十字架上で死んでくださったのは、私たちの霊が目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。』 第一テモテの手紙1:18 使徒パウロ言った。『「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」というみことばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私も かつて、その罪人のかしらでした。』 42~43節,こうして神の御子であり、世界人類の救い主イエスは、二人の極悪死刑囚と共に、十字架につけられて処刑されました。 このようにBibleは、神の救い主イエスは正しい人だけを救いに来られたのではなく、たとえ極悪人であったとしても、自らの罪や人生の過ちを反省して、聖書のみことばで悔い改め続けるすべての人のために十字架上で、その身代わりの贖罪の死を成し遂げられると教え説くのです。 主イエスを信じて、聖書から祈りつつ悔い改め続ける人は皆、昨日まで、たとえ、どんな極悪人であったとしても、差別なく、永遠に救われるのです。 大切なのは、正しさよりも、自らの非を認められる謙遜さと、神を信じて純粋に祈りつつ悔い改め続けようとする心のあり方と生き様なのです。肝に銘じあいましょう。 ローマ信徒への手紙8:1~2『こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。』 マタイの福音書10:38 主イエスは言われた。『自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。』 このように聖書は、Bible&Jesusの十字架贖罪信仰のみことばを堅く信じて、イエスのみことばについて行こうとさえすれば、あなたの神様は、あなたの人生に数多く現れて、あなたを永遠に助けて祝福して下さると約束してくれます。 あなたの人生に現れる、主イエスの感動的な奇跡に期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、Jesusのみことば力と十字架力を深く悟らせて、Bibleのみことばから悔い改め続けられるように助け導いてください。 それさえできれば、皆の人生に主イエスの感謝的な奇跡が現れ出し、永遠に満たされた幸福人生が任されるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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