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ルカの福音書22:1~2

2019年12月24日(火) ディボーション聖句 ルカの福音書22:1~2 1 さて、過越の祭りといわれる、種なしパンの祝いが近づいていた。 2 祭司長、律法学者たちは、イエスを殺すための良い方法を捜していた。というのは、彼らは民衆を恐れていたからである。 3 さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンが入った。 4 ユダは出かけて行って、祭司長たちや宮の守衛長たちと、どのようにしてイエスを彼らに引き渡そうかと相談した。 5 彼らは喜んで、ユダに金をやる約束をした。 6 ユダは承知した。そして群衆のいないときにイエスを彼らに引き渡そうと機会をねらっていた。 [聖句メッセージ] 本日からルカの福音書は22章です。 1節『過越の祭り』とは、ユダヤ教の祭日の一つ。英語では'Passover'。 尚、過越の祭りの由来は...昔ユダヤ人は、長い期間(神からの夢と預言を成就させた男・ヨセフの時代頃から十戒のモーセの時代)、当時の中東の強国エジプト王国の奴隷として虐げられるようになっていました。しかし父なる神様は、神に選ばれしユダヤ人たちを哀れみ、当時80歳になっていた信仰深いモーセを神の預言者、指導者に任命して、ユダヤ人たちに奇跡的な神の御業を起こして助け、エジプトの支配から独立させ、ユダヤ人たちを新たな約束の地へと向かわせたのです。 しかし、エジプトの王ファラオはこれを認めずに妨害しようとしたので、父なる神様は敵国エジプトに対して10もの災いを与えたのです。尚、その10番目の大きな災いが...エジプト人とその家畜に至るまでの「すべての初子を病死させる」という災いであったのです。しかし当時、神のみことばに従って、戸口に子羊の血の印をつけたユダヤ人の家だけには災いを臨ませないと、神様はモーセに預言させたました。 このように聖書はBibleのみことばに 人生を賭けて従う人には必要以上な見えない敵(サタン、悪魔、悪霊、悪運)や災いは及ばないと約束してくれます。 あなたは、災いや疫病を逃れられた、ユダヤ人たちのように、神のみことばに信頼して従順になろうとする人ですか? それとも、昔のエジプト人のように神のみことばに聞き従おうとしない頑固な人ですか? なぜなら聖書は、神のみことばに信頼して聞き従おうとする人々には必要以上の悪運や災いは起こらず、しかしエジプト人たちのように神のみことばに聞き従えない頑固な人々の未来や死後には、事故、災いが襲いかかると預言するからです。聖書の預言は、私たちにとって良いことも、嫌なことも、永遠に必ず成就します。未来や死後に必要以上の悪運、災いや事故を刈り取らないように、聖書のみことばを通して気をつけあいましょう。 これらのユダヤ人たちへの特別な神の援護と恩恵や、不信仰なエジプト人たちへの事故、災い、疫病の過越こそが、ユダヤ人たちの『過越の祭り』の起源となったのです。 つまり、過越の祭りとは 奴隷状態にあった、ユダヤ民族のエジプト脱出を記念する祭りであり、神が敵対者・エジプト中の初子を殺したとき,仔羊の血を門口に塗ったユダヤ人(信仰者)の家だけは、災いを過ぎ越させたという故に、過越の祭りと名付けられたのです。聖書は、Bibleのみことばに耳を貸して祈りつつ悔い改め続ける素直な人々にエジプト人たちのような事故、災い、疫病はないと預言するのです。 使徒の働き12:11『そのとき、使徒ペテロは言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、敵・ ヘロデの手から、また、すべての敵対者たちが待ち構えていた すべての災いから、私たちを救い出してくださったのだ。」』 1節,このようにBibleは...主イエスの十字架上の血潮による贖罪信仰を信じて、神のみことばに聞き従おうとして生きている人々に、見えない敵(サタン、悪魔、悪霊、悪運)による災いは及ばなくなると約束しています。聖書は神の救い主Jesusを信じた あなたが神のみことばに従順に耳を貸し続ければ、あなたの人生を、目に見えずとも、いつも天の御使いたちから守られると約束しており、Bibleを100%堅く信じ続けるのなら、やがて試練や苦難は人生の益となると預言するのです。 主イエスの十字架贖罪信仰を信じて、聖書を通して祈りつつ悔い改め続ける者たちに、災いは訪れません。 ヨハネの福音書7:7 主イエスは言われた。『この世は、わたしを憎んでいます。わたしが、世について、その行いが悪いことをあかしするからです。』 ルカの福音書16:15『イエスはパリサイ派の律法学者と政治家たちに言われた。「あなたがたは、人の前で自分を正しいとする者です。しかし神は、あなたがたの心のすべてをご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれるのです。」』 ヨハネの福音書3:20『悪いことをする者は皆、神の光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、神の光のほうには来ません。』 ヤコブの手紙5:16『ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。』 2節,このようにBibleは、自分は正しく、常に潔白だと思う人々や自己宣伝する人々ほど、実は多くの罪と過ちに気づけない愚かな罪人であると教え説きます。 あなたは、自分は正しい方だから、主イエスの十字架贖罪信仰のみことばに聞き従わなくても、未来はどうにかなる、また、死んでも天国に行けると過信する傾向がありませんか? なぜなら聖書は、自分には主イエスの十字架の贖いが必要だと、自らの足りなさと神の存在を認めて祈り悔い改め続けて、謙遜に神礼拝奉仕する人たちの方が神が認める正しさと謙遜を持つ真の知者であり、神が認める義人になり得ると教え説くからです。聖書の行いの乏しい人生は所詮、神様から見れば偽善者にしかなり得ず、人は皆、神の救い主イエスの十字架贖罪信仰と悔い改めが必要不可欠だと教え説くのです。 聖書は、人は皆、罪や過ちを犯しやすく、誰にでも限界があるもの。自分は一生懸命に生きてると自己満足に浸り過ぎず、また格好つけ過ぎたり、自分をよく見せようとばかりせずに、己の弱さと足りなさも受け入れて、神の救い主イエスな十字架贖罪信仰に頼るしか、永遠に報われて救われる道はないと教え説くのです。 2節,しかし、当時のユダヤの政治家、宗教指導者、学者たちは、自らの足りなさと過ちや限界を認めるどころか、逆にJesusの正しい指摘に腹を立てるばかりで、悔い改めるどころか、Jesusのみことばを無視して、かえって、Jesusを罠にかけて、殺そうとまで計画したのです。聖書は、神のみことばを聞かずに開き直る人は災いだと教え説きます。未来や死後に災いや破滅を刈り取らぬよう、主イエスの十字架贖罪信仰にすがりあいましょう。 ローマ信徒への手紙12:10『神に選ばれた あなたがたは、兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。』 2節,このようにBibleは、周囲の人を自分よりも賢く、優っていると他者を認められる人ほど、賢く、まことの大きな器になり得ると教え説きます。 あなたは、自分は人より優れていると過信する傾向がありませんか? なぜなら聖書は、人は皆、一長一短があり、大差はないと教え説いておひ、自分は人より特別に優れていると考える人は皆、未来や死後に破滅すると預言するからです。 しかしあなたは、時には バカになれる程に神のみことばに従順になったり、また、他者を敬愛出来る謙遜な姿勢や態度を表す知者になり変わり、永遠に満たされる幸福人生に必要な神の祝福や幸運を獲得できると期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、時にはバカ素直になって神のみことばに従順になれたり、また、誰に対しても、敬愛できる姿勢や態度を表せる、まことの知者になれるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆、主イエスのような大きな器になり変わり、永遠に満たされた幸福人生に必要な神の祝福や幸運を獲得できるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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