2019年12月13日(金) ディボーション聖句 ルカの福音書19:41~48 41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、 42 言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。 43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、 44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」 45 宮に入られたイエスは、商売人たちを追い出し始め、 46 こう言われた。「『わたしの家は、祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にした。」 47 イエスは毎日、宮で教えておられた。祭司長、律法学者、民のおもだった者たちは、イエスを殺そうとねらっていたが、 48 どうしてよいかわからなかった。民衆がみな、熱心にイエスの話に耳を傾けていたからである。 [聖句メッセージ] 本日でルカの福音書19章は終わります。 マルコの福音書11:15~18『彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。そして、彼らに教えて言われた。「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」祭司長、律法学者たちは聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからであった。なぜなら、群衆がみなイエスの教えに驚嘆していたからである。』 41~44節,このように神の御子であり、神の救い主Jesusは、聖地エルサレムの神の宮(礼拝堂)に集まる人々が 純粋かつ悔い改めようとする信仰心ではなく、少しでも良い暮らしをする為とお金儲けの祈りの為に来ているご利益宗教者が中心であったために 嘆き、目をさますようにと怒られました。 あなたは、純粋かつ、素直に悔い改めようとする信仰心で礼拝に来る気持ちよりも、少しでも良い暮らしをする為とお金儲けの祈りの為に来ているご利益宗教者になり下ってしまうことがありませんか? なぜなら聖書は、少しでも良い暮らしをする為とお金儲けの祈りの為に来ているご利益礼拝者になり下ってしまうと、礼拝に来ようと悔い改めない人々と同様に、未来や死後にひどい倒れ方をすると預言するからです。聖書から悔い改め続けようとする礼拝心が何よりも重要だと教え説くのです。 マルコの福音書12:33 主イエスは言われた『「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主なる神様を愛し、また、隣人をあなた自身のように愛する。」ことは、人生のどんなことよりも大切で、優れています。』 46~46節,このようにBible&Jesusは、人間の存在意義、人生の意味の第一とは、経済と個々の欲望を満たすことではなく、神と隣人を愛する純粋な精神、生き様が重要だと教え説きます。Bibleは、この優先順位が崩れる人は皆、未来の死の直前や死後、必ず 後悔しながら破滅するとと教え説くのです。しっかり胸に書き記して下さい。 45~48節,しかし当時のユダヤ社会の権力の中枢を支配していた神の選民(信仰者)たちは、神を敬愛しながら隣人の救いに努めようとする姿勢や他人の徳を高める生活習慣を築くくとよりも、個々の経済と欲望や快楽を満たす為に大半の体力と時間を費やすご利益宗教かつ、形式的な信仰者になり下っていたので、神の救い主Jesusは以下のように、厳しく悔い改めを促されたのです。 「あなたがたは 神の宮(礼拝堂、祈りの家)に来てはいるが、心中は純粋かつ悔い改めようとする信仰心が乏しく、個々の経済と欲望や快楽に関する事ばかりを求め過ぎるご利益宗教になり下って、神の御名を汚し、また神の恵みを盗んでいる。今こそ、手遅れになる前に、目をさまして悔い改め、真心から礼拝を捧げなさい。」と、Jesusは悔い改めを促しました。しかし、Jesusの厳しい叱責を受けて、礼拝堂で恥をかいたユダヤ人権力者たちは怒りに燃えて、素直に悔い改めようとするどころか、Jesusを憎み、殺人計画まで企て始めたのです。 しかし...あなたはJesusの戒めから悔い改め、純粋かつ、真心から悔い改めようとする礼拝生活を大切に守るようになると期待します。 マタイの福音書7:15~19 主イエスは言われた。『にせ者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、人生の実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。同様に、良い人はみな良い実を結ぶが、悪い人はみな、悪い実を結びます。』 ヘブル人への手紙11:6『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。』 45~48節,またBible&Jesusは、他人を肩書き、財産、ルックスや口先の言葉と表向きの態度だけで評価しないで、それよりも聖書から真理を吸収しながら他人の人生に現れる生活の実を評価するように教え説きます。なぜなら聖書は、創造主なる神様の人間の真の評価、判断基準が書かれた神様からの正しい人間判別書だと教え説くからです。 また聖書は、大半の人は皆、他人の価値を財産、権力、知名度、肩書きとルックスや、表向きの言動と態度を見て判断する傾向がありますが、そういう判断基準を大切にしている人は皆、過ちを犯していると忠告します。聖書は、そのような見せかけの評価基準ぼかりでは神の祝福や幸福人生を手放しやすく、他人の心の本質と価値基準は、まことの神様のように聖書のみことばから隣人を評価した方が永遠に報われる人間関係を築けると預言するからです。 ヤコブの手紙2:20『ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。』 ヤコブの手紙2:17『信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。』 マルコの福音書11:18『しかし祭司長、律法学者たちはいえすのみことばを聞いて怒りに燃え、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからであった。』 マタイの福音書7:21 主イエスは言われた。『そして、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。わたしに向かって、 「主よ、主よ」と言う者が、みな天の御国に入れるのではなく、天におられるわたしの父のみことばを行う者が入るのです。』 しかし、あなたは聖書のみことばから隣人を正しく評価できるようになり、永遠に報われる人間関係形成を数多く築けると期待します。 AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、日々のBibleメッセージで 自分の心霊と人生のあり方や、他人の正しい価値、評価基準を築けるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆の人生と人間関係が、永遠に満たされる幸福人生になり変わるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!
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