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ルカの福音書16:19~31

2019年11月26日(火) ディボーション聖句 ルカの福音書16:19~31 19 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。 20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、 21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。 22 さて、この貧しい人は死んで、神の御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。 23 その金持ちは、ハデス地獄で苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。 24 彼は叫んで言った。『信仰の父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』 25 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。 26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』 27 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。 28 私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』 29 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと神の預言者があります。その言うことを聞くべきです。』 30 彼は言った。『いいえ、信仰の父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』 31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」 [聖句メッセージ] 本日でルカの福音書16章は終わりです。 19節,この時Jesusは『金持ち』を 神に選ばれていたのにみことばに従わない形式的なご利益宗教であった「パリサイ人」として、たとえており、『いつも紫の衣を着ていた人』は、当時のユダヤ国の絶対的な権威を誇っていたのに神のみことばをしっかり教えなかった「大祭司」のことを指して、たとえ話をしたのです。 20節,またJesusがたとえ話に使った、この『ラザロ』とは、「神に助けられる人」という意味を持つ、身寄りと家がなかった貧困者の信仰者、社会的弱者をたとえています。 19~21節,以下は、この時のJesusのたとえ話の内容です...あるユダヤの街に、エリートのパリサイ派で、金育ちの大祭司が 大きな家に住んでいました。その大祭司は、神の恵みを多く受けている裕福な信仰者であったのに、みことばを教えたり、みことばに従うどころか、いつも身勝手に生きていた形式的な信仰者だったのです。すると、その大祭司の家の前に、身寄りと家のなかった社会的弱者で貧困者の『ラザロ』が 物乞いをしに来たのでした。このラザロという人は、全身がおできだらけのひどい皮膚病で、非常に貧しかった為に、犬以外、誰も近づかなかった社会的弱者だったのです。しかし、このラザロは、神信仰だけは立派であり、いつもみことばに生きた本物の信仰を、持っていたのです。 第一テモテの手紙6:17~19『この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、人の徳と益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のため、天に宝を築き上げるように。』 ガラテヤの手紙6:9~10『善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。』 22~23節,しかし、お金持ちであったパリサイ人の大祭司は、このラザロに訳も聞かず、また、一食の食物を与えるどころか、逆に、見かけが悪く、体も臭い酷い皮膚病もあったので、今後二度と自分の家のそばに近づかないようにと、冷たく追い返したのでした。 あなたはこのパリサイ派の大祭司のような見せかけの信仰者、偽善的人生を築いていませんか? それから しばらくすると、ラザロも、お金持ちも、肉体の死を迎えたのでした。 さあ、二人の死後の行く先は、どうなったのでしょうか? ローマ信徒への手紙2:6『神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。』 ヤコブの手紙2:17『信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです』 マタイの福音書25:45~46『すると、主は彼らに答えて言います。「まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この世の最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったことと同じなのです。」こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、隣人を愛した正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。』 22~23節,そしてJesusは、以下のようにたとえ話を続けられました。...貧しい信仰者のラザロは、この世界では信仰以外は、全く取り柄がなく、またいい思いをできませんでした。しかしこのラザロは、本物の信仰を持って、みことばを大切に生き続けていた為に、肉体の死後、天国の最高な場所である、信仰の父・アブラハムのそばに住むことが できたのです。 しかし、見せかけの信仰に生きた金持ちのパリサイ人は、いつも、みことばに従わない形式的宗教者だった為に、肉体の死後、天国ではなく、ハデス地獄という、永遠に苦しい場所に行かされていたのです。 あなたの人生とその死後は、どちらになるでしょう? しかし、あなたはラザロのように本物の信仰に悔い改められる天国人になると期待します。 ヘブル人への手紙9:27『人間には、一度死ぬことと死後に、神のさばきを受けることが定まっている。』 24~28節,そして金持ちの形式的な信仰者だったパリサイ人は、苦しみのハデス地獄から信仰の父アブラハムにこう叫びました。「なんで、ラザロが天国にいるのに、同じ信仰を持っていた私は、天国に入れずに地獄なのですか。。。では、せめてわたしの五人の家族だけは死後、天国に行けるように、神の預言者を遣わして、神のみことばを教えて助け導いてあげて下さい。お願いします!」と話したのです。 このように、父なる神様はあなたの口先だけの宗教心を見て、神の報いや天国行きを与えるのではなく、あなたの信仰の姿勢と生き様や、あなたの本心を深く探られてジャッジされるのです。 しっかりと、神の救い主Jesusの十字架うの身代わりの贖罪信仰とそのみことばを 握り締めて、祈りつつ悔い改め続け、神のみことばを手放さない信仰心が 問われるのです。 マタイの福音書7:21~23 Jesusは言った。『わたしに向かって、「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみことばを行う者が入るのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。「主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。」しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。「わたしはあなたがたを全然知らない。みことばの不法をなす者ども。わたしから離れて行け。」』 使徒の働き16:31『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』 マルコの福音書16:16 Jesusは約束した。『わたしを信じてバプテスマ(洗礼)を受ける者は、必ず救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。』 29~31節,このようにBibleは...もし、あなたが Jesusのみことばを信じて祈り悔い改め続けるのならば、このパリサイ人のように、昨日まで神愛と隣人愛を おろそかに生きてきたとしても、Jesusの十字架上の身代わりの死が弁護して下さり救い導いて下さると、約束しています。 神の救い主Jesusを信じて、みことば通りに洗礼を受けて、神礼拝奉仕や福音宣教を大切に祈り悔い改め続けるのなら、神の奇跡や天国行きの救いを獲得できると、約束してくれたのです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆の霊の目を開いて、日々のBible&メッセージからJesusの十字架贖罪信仰とそのみことばにすがり続けられるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆に、神の奇跡や永遠に救われる天国人生の道が切り開かれるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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