2019年9月23日(月) ディボーション聖句 ルカの福音書 6:41~49 41 あなたは、兄弟姉妹の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか。 42 自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟姉妹。あなたの目のちりを取らせてください』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。 43 悪い実を結ぶ良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。 44 木はどれでも、その実によってわかるものです。いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。 45 良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。 46 なぜ、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。 47 わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。 48 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。 49 聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」 [聖句メッセージ] 本日でルカの福音書6章は終わりです。 マタイの福音書7:1~2『他人をさばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。』 41~42節,このようにBible&Jesusは...人は皆、不完全であり、何らかの偽善、罪悪、過ちを犯す性質があるので、その点をしっかりと受け留めて、他人の罪悪や誤りばかり指摘する生活を送らぬように。また、自らの欠点や短所は さて置き、他人ばかりを責めないようにと、教え説きます。 あなたには、そのような傾向がありませんか? なぜなら聖書は、自分を省みるよりも、他人のせいや欠点を探す人々に永遠に報われる幸福人生はなし得ないと預言するからです。気をつけあいましょう。また聖書は、穏やかな平和や愛に満ちた人生や人間関係を築くには他人の罪悪や過ちを、いつまでも責め過ぎないことが 大切だと教え説くのです。 ルカの福音書6:37『さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も神様から罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。』 41~42節,また聖書は、自らの過去の罪悪や失敗を反省することよりも、人のせいや他人の欠点を探すことに捕らわれている人は皆、いつの日か、神様から罪に定められると教え説きいます。聖書は自分自身や他人を いつまでもゆるさずに、いつも責めてばかりいると、いつの間にか 見えない敵、サタン、悪霊、悪運に支配される人生となり、結果、神様までを敵に回す破滅的不幸になり得ると教え説くのです。主イエスの十字架とは、不完全な全人類をゆるす 神の恵み。わたしたちも神様の気持ちになって赦し合うこと重要です。肝に銘じあいましょう。また聖書は、怒りや復讐心は、神に祈り任せることが 大切であると教え説きます。復讐や悪に報いられるのが、神様の役割だからと教え説くのです。 ヨハネの福音書3:17~18『神が御子イエスを世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子イエスによって、罪深い世が救われるためである。 御子イエスを信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子イエスの御名前を信じなかったので、すでにさばかれている。』 42節,このように聖書は、主イエスキリストの十字架上での贖罪の死とは...人はみな、不完全な自らの人生を認めて、永遠の神のゆるしを祈り求めつつ 悔い改め続ける気さえあるのなら、神のゆるしと救いを受けられる、神の救い主ね身代わりの死、「神の無限なる愛」となり得ます。聖書は、神の御子であり、世界人類の救い主Jesusを信じて 祈りつつ 悔い改め続けようとする人はみな、永遠に神様からゆるされ、そういう人の霊の目と人生のチリは、徐々に取り除けられて完全な大人へと成長していけると、教え説くのです。その助けや恵みとして、聖書のみことば、主イエスの教会、聖霊様が存在していると教え説くのです。 マタイの福音書12:34~37『まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。人は心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだな言葉や行動について、さばきの日には、神の御前で言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことば使いによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことば使いによるのです。』 マタイの福音書13:23『ところが、良い地に蒔かれる人とは、みことばを聞いてそれを語り行なう人のことで、その人はほんとうに良い実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。』 43~45節,またBibleは、人は皆、人生を何のために費やし、また何を語り、何を残して生きてきたのか? また、他人や未来の徳を高めるためにどんな影響を与えてきたのか? 人は皆、肉体の死後、神様の御もとに連れて行かれて、人生の言葉使いや行いについて神の裁きを受ける羽目になると教え説きます。 くちびるは、まさに、永遠なる災いの元とも、なり得るのです。聖書は、あなたの言葉は、自らと他人の人生を活かしたり、その可能性を広げることもできますが、逆に、あなたの言葉は、自らと他人の人生を曲げて不幸におとしめたり、偉大な可能性を阻む恐れもあると教え説くのです。 あなたは、言葉の持つ力、重要性を知りながら 発していますか? 聖書は、あなたの語る言葉が、あなたの人生の未来や死後の天国人生での恩恵に大きく左右すると教え説くからです。 第一コリントの手紙14:3『ところが、みことばの預言をする者は、人の徳を高め、慰めを与えられます。』 43~45節,しかしBibleは、聖書のみことばをしっかり蓄えながら 祈り、物事を語り行い続ける人は皆、自らと他人の徳を高められる言葉使いや行動が段々と出来るようになれると、教え説きます。聖書のみことばには神の聖なる言霊力や聖霊力が流れていると教え説くのです。 マタイの福音書7:24~27 イエスは言われた。『だから、わたしのみことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのみことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。』 46~49節,またBible&Jesusは、聖書のみことばを素直に受け入れて、出来る限り、証し伝えて行動する人は皆、何をしても、神様と天使が味方につくことになるので、全てのマイナス的な事件が いつか必ずプラスに転じると約束してくれます。 神のみことばは、全人生にプラスしか与えない、神の恵みなのです。信じる者はいつか必ず報われます。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、日々のBible&メッセージを蓄えさせて祈らせ、出来る限り、Jesusの言霊と生き様を表現出来るように、助け導いて下さい。 そうすれば、皆と周囲の人々に神の偉大なる御業が表れるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!
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