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ルカの福音書6:1~11

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2019年9月18日(水) ディボーション聖句 ルカの福音書6:1~11 1   ある安息日に、イエスが麦畑を通っておられたとき、弟子たちは麦の穂を摘んで、手でもみ出しては食べていた。 2 すると、あるパリサイ人たちが言った。「なぜ、あなたがたは、安息日にしてはならないことをするのですか。」 3 イエスは彼らに答えて言われた。「あなたがたは、ダビデが連れの者といっしょにいて、ひもじかったときにしたことを読まなかったのですか。 4 ダビデは神の家に入って、祭司以外の者はだれも食べてはならない供えのパンを取って、自分も食べたし、供の者にも与えたではありませんか。」 5 そして、彼らに言われた。「人の子は、安息日の主です。」 6 別の安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。そこに、右手のなえた人がいた。 7 そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。 8 イエスは彼らの考えをよく知っておられた。それで、手のなえた人に、「立って、真ん中に出なさい」と言われた。その人は、起き上がって、そこに立った。 9 イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」 10 そして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。 11 すると彼らはすっかり分別を失ってしまって、イエスをどうしてやろうかと話し合った。 [聖句メッセージ] 本日からルカの福音書6章です。 出エジプト記20:8~11『週一度の安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。人は皆、六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息日である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの使用人、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も――それは創造主なる神様が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖日と宣言された。』 出エジプト記31:14~16『これは、あなたがたにとって聖なる礼拝の日であるから、あなたがたはこの安息を守らなければならない。これを汚す者は必ず、いつか死ななければならない。この安息中に仕事をする者は、だれでも、その民から断ち切られる。人は皆、六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目は、主の聖なる全き休みの安息日である。安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず死ななければならない。神の民はこの安息を守り、永遠の契約として、代々にわたり、この安息を守らなければならない。』 1~2節,このようにBibleは、人は皆、最低、週に一度休まなければ、神の祝福や心霊体の健康も損なっていくと、預言します。人は皆、週に一度は休むように造られていると教え説くのです。何事もし過ぎには、注意することです。 またBibleは、週一度の休日とは、実は創造主なる神様が設けた安息日として与えられているので、週一度の聖日礼拝を守れないでいると、やがて、永遠の生命力、聖霊力、幸福感、天国行きの確信、生きる意味さえも衰え果てていくと、預言しています。 あなたは、週一度は休めていますか? また、あなたは聖日礼拝を 守っていますか? なぜなら聖書は、聖日礼拝を守ることとは、神の国とのパイプやその聖霊力や永遠の生命力と幸福感や天国行きの確信、生きる意味を強くする糧だと教え説くからです。週一度の休み無くして健康な身体は得られず、週一度の聖日礼拝なくして、健康的な心霊や神との絆は保てなくなると教え説くのです。目を覚まして 悔い改めあいましょう。 2節,そしてこの時、ユダヤ教パリサイ派の人々は、以下のようにイエスに質問しました。 「イエス先生。なぜ、あなたの弟子たちは、仕事を休むべき安息日に麦畑で農作業をしているのですか? 彼らは、週一度の安息日を しっかり守っていませんよ。」 3~5節,すると、イエスはみことばで言い返しました。「いいえ。彼らは安息日を破っている訳ではありません。彼らは農作業の仕事をしているのではなく、聖日礼拝の奉仕などでお腹が空いてしまったので、麦の穂を摘んで、食べているだけなのです。労働をしているわけではありませんよ。旧約聖書にも、模範的信仰者ダビデ王が、若い時に、食べ物がなくて、ひもじかった時、備え物のパンを料理して、食べていました。彼も料理人の仕事をしていたのではなく、食べる為だけに料理しただけでした。そして、以下の真理を胸に書き記しなさい。安息日の為に、人が存在するのではなく、神は人を休ませて、HolySpiritと永遠の生命力を充電させて救う為に、週一度の安息日と『聖日礼拝』制度を設けられたのです。」 6~7節,そしてこの時、イエスに説教されたことを憎んで、イエスのあら探しをしていた ユダヤの権力者とパリサイ派の人々は、片手の不自由な人が、安息日の礼拝に来ていたのを じっくりと観察していました。なぜなら、イエスが彼の手を直す医療をするか、どうか見ていたのです。イエスの癒しの御業を 医療行為をする労働だとなんくせつけようと伺っていたのでした。 このように聖書は、週一度も休まずに経済の為の労働活動をするのは、富や労働の卑しい奴隷のようだと忠告します。人生には富や労働以外に大切な物事がある為、人生もバランスが問われると忠告するのです。気をつけあいましょう。 7~8節,そして、イエスのアラ探しをして罠にかけようとしていたユダヤ権力者たちは、もしイエスが片手の萎えた人を癒した場合、イエスは安息日に医療活動をして、週一度休む安息日さえ 仕事に没頭する罪を犯したと言いふらすつもりだったのでした。 イザヤ書41:13『あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから。』 マルコの福音書12:33『「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主なる神を愛し、また、隣人をあなた自身のように愛しなさい。」ということは、どんな物事や全焼のいけにえよりも、ずっとすぐれています。』 9~11節,しかしJesusは、そんな罠を全く恐れもしませんでした。Jesusは、人が生きるためや、貧しさと飢えをしのぐ為なら、そして 他人を救う愛の為ならば、安息日に仕事をしてもやむを得ないと、教え説かれたのです。何らか愛の動機の為の活動なら安息日に労働しても、やむを得ないと教え説かれたのです。週一度の安息日を無視して、富や仕事の奴隷とならないように気をつけあいましょう。なぜなら聖書は、この世界で働き過ぎが美化されているが それは罪、過ちであり、週一度も休まずに働き続ける人生は不幸だと忠告するからです。愛の為、神との深い絆のため、週一度以上の安息日を大切に作る姿勢が重要です。 しかし、あなたは安息や聖日礼拝を 大切に守る生活習慣にシフトチェンジしていき、神との絆を深めつつ、永遠に報われる幸福人生を築けると期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆の霊の目を開かせて、神愛と隣人愛を大切にさせ安息となる完全オフの日や「聖日礼拝」を大切に守れるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆、健康的な心霊体を受けられ、神の国との太いパイプ、聖霊力、永遠の生命力、生きる意味、幸福感、神との絆が強められ、人生の未来と死後の両方で、最高の報いを受けられるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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