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ルカの福音書 5:18~26

2019年9月16日(月) ディボーション聖句 ルカの福音書 5:18~26 18 するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。 19 しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした。 20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。 21 ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」 22 その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。 23 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。 24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。 25 すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。 26 人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た」と言った。 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 18節『中風』とは、「ちゅうふう」、地方によっては「ちゅうぶ」などと呼ぶところもあります。 この「中風」は、脳血管障害の後遺症である半身不随、片まひ、言語障害、手足のしびれや、様々な麻痺症状などを指す言葉として用いられているのです。 また『中風』は、当時も現在も難病であり、今日の聖句のように寝たきりになってしまうと、リハビリが必要であり、全くの完治は皆無に近い症状となるものです。 あなたは、主イエスはみことばに聞き従う人々に奇跡的な癒しを 施されれことがあることを 知り、信じていますか? なぜなら聖書は、主イエスのお名前と信仰が 世界中に伝わった原因は、不治の病、病院、医者に見放された病人たちの奇跡的な癒しによると教え説くからです。Bible&Jesusのみことば、命令、戒めに聞き従い続ける人々には奇跡的な癒しのチャンスが巡ってくるのです。 ヤコブの手紙5:14~15『あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、祈ってもらいなさい。そのような信仰による祈りは、病む人を回復させます。 主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されるからです。』 18節,この時、Bibleのみことばを 絶対的に信じられていた為に聖霊と神の愛に満ちていた信仰者たちは、中風のひどい麻痺状態になった友人の一人を担ぎ上げて、必死で、Jesusの神礼拝の場所に連れて来ました。彼らは 自分たちの祈りでは癒されない病や罪悪さえも、Jesusの教会の長老(聖職者)たちの祈りで癒される みことばの奇跡の可能性を信じていたのです。そして彼らの純粋かつ従順な信仰による行いゆえに、中風の友人は奇跡的や癒しを受けられたのです。聖書のみことばを絶対視しながら、神礼拝に来て、敬虔な聖職者やまことのクリスチャンたちの祈りを引き出せる人々に神の奇跡的な癒しのチャンスが巡ってくるのです。 あなたやあなたの大切な人々の中には重病な人、不治の病の人はいませんか? なぜなら聖書は、不治の病、重病な人々を神礼拝に誘って、敬虔な聖職者やまことのクリスチャンたちに祈りを 引き出すことが奇跡的な癒しに繋がると教え説くからです。 マタイの福音書16:18~19 主イエスは言われた。『では、わたしはわたしの教会を建てます。ハデス・地獄の門もそれには打ち勝てません。わたしは、教会に天の御国のかぎを上げます。』 マタイの福音書8:13『それから、イエスは言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。』 19節,これらの神のみことばを信じ切っていた、Jesusの教会の仲間たちの純粋な聖書信仰と情熱的な愛の行動のかいがあって、この中風の人の神への罪はゆるされ、麻痺も奇跡的に癒されました。 このようにBibleは、あなたの救い主Jesusは癒し主でもあり、あなたとあなたの大切な人々の不治の病や重病さえも癒す御力があると教え説きます。聖書のみことば、神礼拝、主イエスの十字架贖罪信仰を大切に生き続ける人々に神の奇跡的な癒しが任されるのです。 第一コリントの手紙1:18『十字架のみことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。』 また聖書は、主イエスの十字架上の身代りの打ち傷や身代りの死なくして、神の奇跡的な癒しや永遠の救いなど、あり得ないと教え説きます。主イエスは、ご自分を信じる人々の罪悪や過ちを贖って ゆるし、信じる人々の人生での痛み、苦しみや病魔を 身代りに背負って癒すために、十字架につかれたと教え説くのです。しっかり 胸に書き記して下さい。 マタイの福音書10:1『イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。それは、霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやすためでもあった。』 マタイの福音書28:18『イエスは言われた。「わたしには天においても、地においても、父なる神から、いっさいの権威が与えられています。』 20~26節,またBibleは...Jesusのお名前を呼ぶ祈りと、Jesusの教会礼拝には、すべての霊を支配する権威や、神と人を和解させられる権威、また、御心であるのならば病や災いを 一切取り除く権威も任されていると教え説いています。この3つの権威を 行使し続ける人々に神の奇跡が任されやすいのです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆が いつもJesusのお名前を呼んで祈れるように、また、何よりも聖書のみことばに信頼して、Jesusの教会礼拝奉仕を 大切に生き続けられるように、助け導いて下さい。 そうすれば 皆、聖書の約束通り、父なる神との絆を深められながら、見えない悪霊や悪運の攻撃を防御でき、神の奇跡的な御業や永続的な幸運も引き出せる幸福人生になり変わるれるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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