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マルコの福音書16:1~2

2019年8月19日(月) ディボーション聖句 マルコの福音書16:1~2 1 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。 2 そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。 [聖句メッセージ] 本日からマルコの福音書は16章です。 1節,『マクダラのマリヤ』とは、イエスに悪霊と悪運を取り除いてもらってから、ボロボロな人生から立ち直って、真の自分らしさと幸運な人生を手に入れられた、情熱的な女性信仰者のマクダラ地方出身のマリアを指します。 このように聖書は、マグダラのマリヤのように異性関係や家庭関係で傷ついて、幸運や幸福と言えない人生を築いた人々には、実は目に見えない悪霊、サタンが関係しており、主イエスのみことばに従って 神礼拝奉仕し続ける生活習慣にパラダイムシフトすれば、悪霊や悪運からの攻撃を退けられ、幸運や幸福に満ちた異性関係や家庭環境を回復できると預言するのです。 あなたの今までの異性関係や現在の家庭環境、家族関係は幸運、幸福と言えますか? 主イエスのみことばに従って、神礼拝奉仕生活を大切に生き続ければ、幸運、幸福が回復していくからです。 『ヤコブの母マリヤ』とは、ハッキリとは解明されていませんが、イエスとイエスの実弟ヤコブの母のマリヤの説が有力です。 そして『サロメ』とは、イエスの実母マリヤの実姉妹のサロメと言われています。 1節『安息日』とは、ユダヤ教ではこんにちの土曜日にあたり、基本的には、礼拝以外の奉仕や労働は 何もしてはいけない、心霊体を休ませて、神様のゆるしとHolrSpiritの充電を頂くために必要不可欠な休日(聖日)に当たります。尚、Jesus信仰は、基本的に日曜日を聖日として礼拝しているのです。 1節,この時、マクダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメの3人は、週一度の安息日(休日)は礼拝以外には、他のことをしてはいけない日だったので、主イエスの墓前に行きたい気持ちを抑えて 、1日待ってから、イエスを埋葬するための油と香料を塗るために、イエスのお墓にやって来ました。 尚、この油と香料とは没薬というもので、遺体の防臭・防腐処理のために使用されていたり、神の聖所を清めるための香の調合に用いられたり、 当時の医師たちが薬としても使用していたことから、「神の救世主の油注ぎ」の象徴としても、用いられていたものでした。 イザヤ書41:10~11 主なる神は言われた。『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、恥を見、はずかしめを受け、あなたと争う者たちは、無いもののようになって滅びる。』 1~2節,この三人の女性たちは、イエスの墓に行けば、捕らえられて、大変な目に合うかもしれないことを承知で、イエスの墓に向かったのでした、彼女たちは形式的なご利益宗教ではなく、JesusとBibleのみことばを 真心から愛して信頼していた 本物の信仰心があったのでした。 第一ヨハネの手紙4:7~8『愛する者たち。私たちは、神を愛して、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているからです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。しかし愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。』 第一ヨハネの手紙4:18『愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出すからです。』 1~2節,聖書は、永遠に報われる幸福人生や天国行きの確信を享受できる まことのJesus信仰の基盤は、この三人の女性たちのように、形式的なご利益宗教や刑罰の伴う恐怖感のある宗教ではなく、神に選ばて救われた恵みと、神様から愛されていることに気づいて、神と隣人を愛そうと真心から神のみことばに従おうとする純粋な動機に基づく信仰心が必要不可欠だと教え説くのです。 あなたの信仰心は、如何でしょうか? 何事も、また信仰も本物を 目指さなければ報われないのです。目を覚まして まことの信仰心を目指しあいましょう。 ヨハネの福音書3:16『神は、実に、そのひとり子イエスの命をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子イエスを信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』 1~2節,このように聖書は...世界人類の創造主かつ主権者である神様は目に見えない霊的なことや死について無知であった、あなたに聖書のみことばを示すことで、目を開かせて 永遠に救い出すために、ご自分の御子イエスキリストの人生と命を十字架上に差し出してくれたと教え説きます。 それは、あなたの自分勝手さ、人生での様々な罪悪、うそ、偽り、咎や、あなたの人生での全ての勘違いや過ちの裁きと罰を 主イエスが身代わりに引き受けるという、十字架上で命を捧げる 無限の愛の業でした。 聖書は、それこそが 世界人類の父なる神様からあなたへの無条件な愛のカタチだと教え説くのです。しっかり胸に書き記して下さい。 マルコの福音書12:30~31 主イエスは言われた。『「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」そして「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」この二つより大事な命令は、ほかにありません。」』 あなたの人生を通して現れる 神愛と隣人愛の姿勢、生き様に期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、マクダラのマリヤたちのように、いつも神愛と隣人愛を 大切に抱きながら、それを具体的に表現して生き続けられる、まことの信仰者にして下さい。 そうすれば 皆の人生に、神の感動的な奇跡と無限の幸福感が現れ出すからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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