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マルコの福音書15:37~47

2019年8月17日(土) ディボーション聖句 マルコの福音書15:37~47 37 それから、イエスは大声をあげて息を引き取られた。 38 神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 37~38節,旧約聖書の預言通り...主イエスキリストが 十字架上で、全世界人類の罪、咎、過ちの身代わりの贖罪死を成し遂げられると 同時に、決して、破れるはずのない 神殿の幕屋の厚い幕が、縦に 真っ二つに破れてしまいました。 38節,以下は、神殿の幕屋(幕)についてのみことばです。 ヘブル人への手紙9:6~7『神殿の最初の幕屋には、祭司たちがいつも入って礼拝を行うのですが、第二番目の幕屋の中には、大祭司だけが年に一度だけ入って、やぎと子牛などの血を、自分と神の民たちが知らずに犯した罪のためにささげていたのです。』 ヘブル人への手紙9:12『神の御子イエスキリストは、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、幕屋の中の聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。』 ヘブル書9:25~28『年ごとに自分の血でない、やぎと子牛の血を携えて聖所に入る大祭司とは違って、神の御子イエスキリストは、ご自分を幾度もささげることはなさいません。もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかし、イエスキリストは、ただ一度、ご自身をいけにえとして、ご自分を信じるすべての人々の罪を取り除くために、来られたのです。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、救い主イエスキリストも、多くの人の罪と咎を負うために一度、ご自身の命をささげられたのです。』 38節,このようにBibleは、神殿の幕屋(厚い垂幕)の中とは、父なる神様の特別な聖所であり、神に選ばれし聖職者たちだけしか、その幕の中を、自由に出入りすることが許されなかったと、教え説きます。つまり神殿の幕屋の幕とは、神様と神に選ばれし聖職者と、そうでない人との壁の役割も果たしていたのです。しかし聖書は、この日、神の御子イエスキリストが 世界人類の贖罪の為にご自身の血と命を、いけにえとして捧げられた直後から幕屋の幕の隔たりと いけにえ制度も消え去ったと、教え説きます。このように聖書は、主イエスの十字架上の贖罪の血潮とその死のおかげで、人は皆、専門的な聖職者のとりなしがなくとも、主イエスを信じて告白して祈りつつ、悔い改め続ける気さえあれば、ただ それだけで、全ての罪悪や咎、過ちは神にゆるされて「神の子」とされ、死んでも地獄行きや滅びを免れて、永遠に報われる幸福人生、天国行きが許されるようになったので、もう 幕屋の幕は必要なくなったということになるのです。しっかり 胸に書き記して下さい。 まさか、あなたは人は皆、永遠に報われ、また人は皆、死んだ後、誰でも地獄行きを免れて、天国に行けると、安易に考えたことがありませんか? なぜなら聖書や他の世界5大宗教は、そんなことはあり得ないと教え説いているからです。甘い話しには、必ず 落とし穴があります。目を覚ましあいましょう。 ローマ信徒への手紙10:9~10『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「主イエスに信頼する者は、失望させられることがない。」』 しかし、あなたは主イエスの十字架贖罪信仰により、神の御子イエスの贖罪の死と弁護により、神の許しと天国行きの救いを獲得できる神の民だと期待します。日々の聖書のみことばを読みつつ祈り、悔い改め続ける気さえあれば、人は皆、永遠に報われる可能性、天国行きの道が切り開かれるからです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たして、日々のBibleメッセージから、真のJesusの十字架信仰力を 深く悟らせて、日々祈りつつ悔い改め続けられるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆と神様との要らぬ壁や誤解が取り去られて、もっと大きな神の御業を引き出して、永遠に報われる幸福人生や天国行きの確信を手に入れられるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!! 

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