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マルコの福音書15:26~36

2019年8月16日(金) ディボーション聖句 マルコの福音書15:26~36 26 イエスの罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。 27 また彼らは、イエスとともにふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけた。* 29 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。 30 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」 31 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。 32 キリスト、イスラエルの王様。今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。 33 さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。 34 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 35 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言った。 36 すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、イエスに飲ませようとしながら言った。「エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう。」 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 レビ記19:12主なる神様は言われた『あなたがたは、わたしの名によって、偽ってはならない。あなたの神の御名を汚してはならない。わたしは主である。』 レビ記22:31~33『わたしは主なる神である。わたしの聖なる名を汚してはならない。むしろ、わたしは神を信じるイスラエル人のうちで聖とされなければならない。わたしはあなたがたを 聖別して選んだ主である。わたしはあなたがたの神となるために、あなたがたを敵の地から連れ出した者、わたしは、あなたの主である。』 申命記10:17『あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、何よりも恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行い、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。』 26~27節,以上の旧約聖書の律法とみことばから、ユダヤ教の指導者たちとイスラエルの最高法院の議員たちは、無理やりイエスを「ユダヤ人の王と偽って、天地万物の創造主なる神様の聖なるお名前を汚した、神への冒涜罪」として、他の二人の死刑囚と一緒に、十字架の死刑を執行したのです。彼らは聖書のみことばを 自分たちの都合で湾曲して、無実のイエスを十字架処刑にしてしまったのです。 あなたは、自分の都合で聖書のみことばの意味や戒めを わん曲したりすることがありませんか? なぜなら聖書は、聖書のみことばの意味や戒めを 自分の都合で湾曲する人は皆、いつか 災いが及ぶと警告するからです。聖書のみことばを 自分の都合で省いたり、曲げる大罪を犯すことのないように気をつけあいましょう。ユダヤ人たちも、聖書のみことばを 自分たちの都合とイエスへの怒りでみことばを湾曲する大罪を犯してしまったので、歴史に残る汚名や様々な災難を 刈り取る羽目に陥りました。聖書は、もし、昨日までのあなたが 聖書のみことばを自分の都合で湾曲したり、省いたりした経験があるなら、今日、すぐに主イエスの十字架贖罪信仰を仰ぎ見ながら悔い改めることが必要不可欠だと、教え説くのです。 ヨハネの黙示録 22章18~19節 「私は、この聖書の預言のみことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの聖書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の聖書のみことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この聖書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。」 ローマ信徒への手紙12:19『愛する人たち。自分で復讐してはいけません。父なる神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と父なる神様は言われる。」』 マタイの福音書5:39イエスは言った『わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。』 29~32節,このように神の御子であり、世界人類の救い主イエスは、ご自分が教えられた みことばの預言通りに、ご自分が不正裁判で十字架死刑宣告を受け、罵倒されながら暴力を受けても、また、服をちぎられて裸の恥をさらされても、父なる神のみことば通り、ただ黙って 耐え、十字架上で命を 落とされました。聖書は、全く無実な完全な神の御子イエスの十字架上の死とは、主イエスを信じる人々の罪、咎、過ちを 贖罪して、永遠なる救いをもたらせる 神の愛の御業だと教え説くのです。しっかり 胸に書き記して下さい。 また聖書は、主イエスキリストの十字架贖罪信仰は、今や世界一の権威と影響力を誇っており、当時のユダヤ人たちが どれだけ愚かな罪悪、過ちを犯したのかうかがい知れており、それこそが 神の御子イエスの代わりに父なる神様が報復された神の御業だと教え説くのです。 聖書は、あなたの神様は、あなたが神のみことばに人生を託せるなら、あなたの敵に、あなたの代わりに、必ず 何倍にも報復して下さるお方だと教え説くのです。ですからあなたが、たとえ、ひどい仕打ちを受けたとしても、主イエスの十字架贖罪信仰を胸に抱いて、暴力、暴言、罪悪の復讐を避けて、神様に報復を任せることが得策なのです。あなたの人生に現れる、イエスのような忍耐力と、あなたの代わりに父なる神様が 特別な報復をして下さると期待します。 26~27節,またこの時、イエスの十字架処刑の罪状書きには「ユダヤ人(神の選民)の王」と書かれていました。この罪状書きは、死刑執行員たちの いたずら書きだったのですが...マタイの福音書1:22『すべての出来事は、主が聖書の預言者を通して言われた事を成就するためであった。』と、これら一つ一つの出来事も、聖書が預言して出来事でした。聖書のみことばからの預言は、どんな預言や占いよりも、正確であるのです。また聖書は、聖書以外の預言や占いなどは当たることがありますが、悪運や悪霊を呼び込むと教え説きます。聖書以外の預言、占いとは絶対的に関わらない方が 得策だと教え説くのです。肝に銘じあいましょう。 26~27節,また、この時のイエスの罪状書きの内容は、旧約聖書の「神の選民の王。贖い主、救い主」としてのみことばの預言通りだったのです。 29~35節,以下は、神の御子・救い主イエスキリストに関する、聖書の預言のみことばになります。 イザヤ書49:26『すべての者が、わたしが主、あなたの救い主、あなたの贖い主、力強き者であることを知るようになる。』 ルカの福音書3:15『民衆たちは、旧約聖書の預言を信じており、救い主キリストを待ち望んでいた。』 ルカの福音書2:10~11『天の御使いは言った。「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそあなたがたの救い主イエスキリストです。」』 32~36節,このように聖書は、神の御子で、神の救い主Jesusの十字架上の死とは、あなたの人生でのありとあらゆる罪悪、病魔、不条理、恥、裏切りによる苦しみ、痛み、怒り、嘆き、裁きなど...あなたの全ての負の遺産を 全て身代わりに贖って、癒し、救う為であったと教え説きます。神の御子で、神の救い主イエスは、ご自分を信じる全人生でのマイナスの出来事や負の遺産を とりなし贖うために、世界至上 最も卑劣で残酷な十字架の処刑を受けられたと教え説くのです。そしてこの時、主イエスは 神の実子であられたのに、世界人類の痛み、苦しみや呪いを 贖うために、6時間もの間、十字架上での痛み、苦しみを味わわれ、午後三時頃、息を引き取られたと教え説くのです。主イエスは、全人生の痛み、苦しみを 哀れみ、励ますために、誰よりも痛み、苦しみ悶える十字架上の贖罪の死を 成し遂げられたのです。主イエスは、誰よりもあなたの痛み、苦しみ、恥、怒りを 理解できるお方なのです。 ヨハネの福音書3:16~17『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、この世を愛された。それは御子イエスを信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子イエスを世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子イエスによって世が救われるためである。』 33~36節,このように聖書は イエスキリストの十字架上での恥と苦しみの死とは、主イエスを信じる あなたのすべてのマイナスを 身代わりに贖い、神様からの永遠のゆるしと永遠の恵みを受けられる、神の愛に満ちたギフトだったと教え説くのです。主イエスの十字架上での苦しみ、痛み、死、そして 主イエスの復活とは、信じる あなたの永遠の希望、救いとなるのです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆の霊の目を開いて、Bibleメッセージから 神の愛に満ち溢れたJesusの十字架信仰力を はっきり悟らせて下さい。 それさえ感じ取って、聖霊に満たされれば、皆にも永遠に報われる幸福人生に必要なみことばの預言と約束が 確信できるようになれるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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