2019年8月9日(金) ディボーション聖句 マルコの福音書14:32~42 32 ゲツセマネという所に来て、イエスは弟子たちに言われた。「わたしが祈る間、ここにすわっていなさい。」 33 そして、ペテロ、ヤコブ、ヨハネをいっしょに連れて行かれた。イエスは深く恐れもだえ始められた。 34 そして彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、目をさましていなさい。」 35 それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、 36 またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」 37 それから、イエスは戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「シモン。眠っているのか。一時間でも目をさましていることができなかったのか。 38 誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」 39 イエスは再び離れて行き、前と同じことばで祈られた。 40 そして、また戻って来て、ご覧になると、彼らは眠っていた。ひどく眠けがさしていたのである。彼らは、イエスにどう言ってよいか、わからなかった。 41 イエスは三度目に来て、彼らに言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。もう十分です。時が来ました。見なさい。人の子は罪人たちの手に渡されます。 42 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 32節『ゲッセマネ』とは 聖地エルサレムにある場所で、よく 主イエスが祈りに行かれたオリーブ山の北西麓にあった地名になります。 また『ゲッセマネ』は、オリーブの木の植えられた庭園風の場所であったので、「ゲッセマネの園」とも呼ばれていました。 この時、主イエスは12弟子たちと最後の晩餐と世界初の聖餐式を終えられると、すぐに ペテロ、ヤコブとヨハネの三人の使徒たちだけを連れて、このゲッセマネの園に、祈りに行かれたのでした。 マタイの福音書18:19~20 主イエスは言われた。『まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。』 33~34節,このようにBible&Jesusは、たった一人で数分程度祈るくらいなら、定期的にJesusFamilyたち2〜3人以上が集まって、心一つに集中して祈ることの方が 絶対的に願い事が叶いやすいと、教え説きます。 あなたは、祈る為に教会の神の家族たちと、定期的に集まって祈っていますか? なぜなら聖書は、教会の神の使命たちと祈祷会すれば、祈りや願い事が叶いやすいと預言するからです。 伝道者の書4:9『ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。』 マタイの福音書7:20『こういうわけで、あなたがたは、彼らを実によって見分けることができるのです。』 33~34節,またBibleは、もし 一人で祈り続けても、大した良い実を結べない時は、このマンネリズムで孤立した祈り方が原因だと、教え説きます。 力強い祈りを引き出すには神の家族たちと結束した祈りをしようと尽力したり、また、一人でも、神と対話するように真心から集中した祈りの環境が必要不可欠なのです。聖書は、人生最大の武器とは祈りだと教え説きます。 ですから世界人類の神様は、わざわざ教会の神の家族との礼拝祈祷制度を設けられ、また、この時のイエスも一人ではなく、わざわざ3人の使徒たちを誘い出して祈ろうとしたのです。祈りの仲間、祈り時を 大切に作って下さい。大した良い実を結ばない、自己満足的な一方的な祈りは悔い改めた方が得策なのです。 33~38節,しかしこの時、3人の使徒たちは、主イエスと心一つに祈ることが出来ませんでした。まな彼らは祈りの重要性が よく分かっていなかったのです。 38節『誘惑に陥らないように、目をさまして、祈り続けなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。』 この頃の三人の信仰生活と祈りはマンネリ化しており、主イエスのみことばの大切さと、これから起こる危機と使命を察知できずに、睡魔に捕らわれて、祈れずに寝てしまったのです。 39~42節,なお、以下は神の具体的な御声や奇跡をキャッチできていた、旧約聖書に出てくるヤコブの孤独の祈りのみことばの箇所です。 創世記32:24~29『ヤコブはひとりだけ残って、御使いと夜明けまで格闘した。ところが、その御使いは、ヤコブの熱心さに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その御使いと格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。すると御使いは言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」すると、御使いは言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と霊的に戦い、御使いと戦って、勝ったからだ。」ヤコブが、「どうかあなたの名を教えてください」と尋ねると、その御使いは、「いったい、なぜ、あなたはわたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。』 39~42節,このように旧約聖書を見ると...世界中の信仰の父と言われている アブラハムの孫で、イサクの息子であったヤコブという人は、一晩中、まるで、神様にすがりついて離れない程に集中した霊的格闘の祈りを捧げていたために、彼は神の超自然的なパワーと、いまだかつて 誰も手に入れたことのない程の奇跡的な祝福をも手に入れられたと、聖書は教え説いています。このヤコブは、神の具体的な御声や神の恵みの応答を はっきり確信できるまでは、神への祈りを やめはしないという覚悟、集中力を発揮して、祈れていたのでした。 あなたは、ヤコブのように神の具体的な御声や神の恵みの応答を はっきり確信するまでは、神の聖霊にすがりついて 絶対に離れないという覚悟のある集中した祈りをすることが ありましたか? なぜなら聖書は、このようなヤコブのような祈りさえ身に着けば、あなたの不可能も可能になれると約束するからです。 またBible&Jesusは、日々 よく神と対話しようと尽力する人や、内なる聖霊の御声を ただ黙って聞き取ろうとする 黙想の祈りを大切に作れている人には大切な人々を救い導ける良い実や、必要な神の奇跡が任されると、教え説きます。神との深いコミュニケーションと、聖書に基づく集中した祈りの時間なくして、神の奇跡や救霊は皆無なのです。しっかり 胸に書き記して下さい。 あなたの生活習慣にも、神との深い対話力と黙想力や、祈りの集中力が表れることを 期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、神との深い対話や黙想が出来る祈りの集中力を増し加えて下さい。 そうすれば 皆にも、神の具体的な御声が届いたり、永遠に報われる幸福人生に必要な神の奇跡や天国行きの洗礼者が 任されるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!
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