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マルコの福音書12:38~44

2019年7月28日(日) ディボーション聖句 マルコの福音書12:38~44 38 イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが大好きで、 39 また会堂の上席や、宴会の上座が大好きです。 40 また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」 41 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。 42 そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。 43 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。 44 みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」 [聖句メッセージ] 本日でマルコの福音書12章は終わりです。 38節,当時のユダヤ社会は、国教が旧約聖書信仰のユダヤ教であり、法律も旧約聖書の律法が中心であったため、律法学者は宗教と法律の両麺での専門家であり、律法学者たちは高給取りで、非常に大きな影響力を持っていました。 マタイの福音書23:26~33 主イエスは言われた。 『わざわいだ。偽善の律法学者。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。わざわいだ。偽善の律法学者。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。 そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。 わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、「私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう」と言います。こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。おまえたち蛇ども、まむしのすえども。 おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。』 38~40節,このようにBible&Jesusは....当時の律法学者の大半は富と権力に溺れてしまった偽善者たちであり、人々の面前で 自らを少しでもよく見せようと着飾ったり、善人ぶったり、 先生呼ばわりされることを喜び、いつも上席や上座を好むように堕落しており、敬虔な信仰者を装っていましたが、その内面は偽善と不法に満ちていたと、教え説くのです。 あなたは、信仰があると自称しながら、聖書の不法で満ちた生活習慣を築いてたり、また人前で良く見せようとする偽善的な二面性がありませんか? なぜならBibleは、主イエスの十字架贖罪信仰を信じて救われた神の子だと自称したとしても、聖書の不法に満ちたクリスチャンライフを築いたり、人前で自分をよく見せようと格好つけたり、背伸びして偽る人は皆、偽善者であり、神の厳しい裁きや試練の対象者となり得ると、預言するからです。心当たりがあるのなら、今日から主イエスの十字架贖罪信仰を仰ぎ見て 祈りつつ、悔い改め続けましょう。主イエスの十字架贖罪信仰を仰ぎ見て祈り、悔い改め続ければ、手遅れとならないからです。 ヤコブの手紙2:20『ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰が虚しく、意味がないことを知りたいと思いますか。』 ヤコブの手紙2:26『たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、みことばの行いのない信仰は、死んでいるのです。』 第一サムエル記16:7『主は仰せられた。「彼の容貌と見せかけや、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。なぜなら、わたしは人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」』 38~40節,また聖書は、いくら立派な言動をしたり、敬虔な信仰を持っていると自称したとしても、聖書からの真理や周囲に福音宣教して救おうとする隣人愛が伴う生活習慣や生き様が備わっていなければ、そういう人の信仰や聖霊力は死んでおり、虚しい人生の結末が待っていると忠告しています。あなたの神様は、あなたの心の深みと普段 目立たない生活状況を探りながら、あなたへの神の恩恵や聖霊力を振り分けられるお方、見せかけばかりのご利益宗教者や二面性の偽善者だけは 避けるべきなのです。肝にめいじあいましょう。 マタイの福音書23:23 主イエスは言われた。 『わざわいだ。偽善の律法学者。おまえたちは、はっか、いのんど、クミンなど、収入の十分の一を納めているが、聖書の律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実を、おろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。ただし、十分の一もおろそかにしてはいけません。』 第一コリントの手紙13:1『私たちに愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。』 マタイの福音書6:20 主イエスは言われた。 『自分の宝は、天にもたくわえなさい。』 41~44節,そしてBibleは...当時から敬虔な信徒たちは、毎月 平均的に収入の10分の一を献金して、神の働きや使命に貢献していたと教え説きます。この献金を元手に、主なる神様を言い広める働きや隣人愛の労をしていたのです。 あなたは、定期的に、神の働きや人を救い導く隣人愛の使命の為に献金や教会奉仕をして、天に宝を積んでいますか? なぜなら聖書は、自分に関わることだけでなく、定期的に、聖書が教える神の働きと人を救い導く隣人愛の使命や主イエスの教会運営の為にも献金や奉仕をできる人生の方が いく倍も満たされた人生と満たされた死後の天国人生を刈り取れると預言するからです。 しかしこの時、主イエスは偽善に満ちた律法学者たちが、毎月の収入の10分の一以上の多額の献金をしていることを自慢している姿を見ると、律法学者たちを褒めるのではなく、むしろ そこにいた高齢者の貧しい未亡人が、その日の食費の全額 約100円を献金している姿を見て以下のように語られたのです。 43~44節,主イエスは言いました。 「確かに今日は収入の10分の1の多額の献金をした人々が多数おりましたが、この貧しい未亡人の女性が 今日一番の献金者と言えます。なぜなら、あの未亡人は誰よりも多く 天に宝を積む献金をしていたからです。彼女は、献金額は多いとは言えませんが、貧しい中から今日の生活費のあるだけを 全て捧げていたからです。父なる神様は額面だけでなく、天に宝を積む姿勢、心のあり方を見られて、神の奇跡や偉大な恩恵を振り分けられるねです。」 マラキ書3:10『――万軍の主は仰せられる――わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を あなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』 43~44節,このように聖書は...あなたの神様は、あなたのお金に対する考え方や使い方を 見ており、天に宝を 真心から積む献金者や奉仕者は皆、お金や仕事に振り回されない 満ち足りた幸福人生や恩恵を刈り取れると、預言しています。お金に対してケチな人やお金に関することを自慢したがる人より、定期的に天に宝を積める清い心を大切に生きる人たちの方が、いく倍も満たされた幸福人生を刈り取れると預言するのです。 そして、あなたも天に宝を積める 豊かな幸福人生を勝ち取れると期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆の霊の目を開かせ、見せかけと口先だけの虚しい偽善的なご利益宗教者にさせず、またJesusLoveとみことばに基づいた献金や奉仕をして天に宝をつめる、生きたお金や生きた時間を使える 純粋な本物の信仰者にして下さい。 そうすれば、皆に満ち足りた幸福人生が与えられるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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