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マルコの福音書2:18~22

2019年6月7日(金) ディボーション聖句 マルコの福音書2:18~22 18ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは断食をしていた。そして、イエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食するのに、あなたの弟子たちはなぜ断食しないのですか。」 19イエスは彼らに言われた。「花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。 20しかし、花婿が彼らから取り去られる時が来ます。その日には断食します。 21だれも、真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんなことをすれば、新しい継ぎ切れは古い着物を引き裂き、破れはもっとひどくなります。 22また、だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、ぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒も皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるのです。」 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 第二サムエル記12:13~16『ダビデ王はナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」預言者ナタンはダビデ王に言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。だから、あなたはその罪で死ななくてすむ。しかし、あなたはこの行いによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬであろう。」こうしてナタンは自分の家へ戻った。主は、ウリヤの妻がダビデに産んだ子を打たれたので、その子は病気になった。ダビデはその子のために神に願い求め、断食をして、引きこもり、一晩中、地に伏して祈った。』 第二歴代誌20:3~4『ヨシャパテ王は恐れて、ただひたすら主に求め、ユダ王国の全国に断食を布告した。ユダの人々は集まって来て、主の助けを断食して祈り求めた。すなわち、ユダのすべての町々から人々が出て来て、主に祈り求めたのだ。』 18節,このように旧約聖書は、人が守るべき道徳から大きく外れ過ぎたり、故意に真理を破ってしまって、神様にゆるしを乞わないといけない程の試練や悪運に見舞われる時や、大切な家族と仲間たちが大病になってしまった時など、どうしても叶えたい祈祷課題が生じた時などは、断食する程、集中して祈らなくては効力がないと教え説きます。 あなたは、このような状況に陥っていませんか? 未来や将来について、このままで、全く 問題がない状態ですか? なぜなら聖書は、未来や将来に問題があり不安があるなら、断食する程の集中した礼拝祈祷が一番効力がある解決策に繋がると教え説くからです。 ルカの福音書4:1~2『さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、四十日間、何も食べず、悪魔に試みられた。』 18節,また聖書は、イエスのように、聖書のみことばを深く黙想しながらのインスピレーションに基づく断食祈祷をすると、人は皆、聖霊に満たされたり、霊感が研ぎ澄まされて 大切な物事に気がつきやすくなり、神の幸運もまし加わると、教え説くのです。もし あなたに解決しなければならない問題が山積みならば、断食祈祷の効力を 覚えておくことも重要です。 イザヤ書53:3~4『人々は断食の日に祈った。「主よ。なぜ、私たちが断食したのに、あなたはご覧にならなかったのですか。私たちが身を戒めたのに、どうしてそれを認めてくださらないのですか。」すると主は言われた。「見よ。あなたがたは断食の日に自分の好むことをし、あなたがたの労働者をみな、圧迫して苦しめている。見よ。あなたがたが断食をするのは、争いとけんかをするためであり、自分のためにこぶしを打ちつけるためだ。あなたがたは今、断食をしているが、あなたがたの声はいと高き、主へのものではないので、その祈りは届かない。」』 19~21節,このように、洗礼者ヨハネの弟子たちと敬虔なユダヤ教徒たちは皆、断食の日を定めて、断食祈祷を、半ば強制的に行って、様々な問題を解決していました。しかし主イエスは弟子たちに断食祈祷を強制しなかったのです。その為、ユダヤ人たちは、人生は断食祈祷しなくて、大きな奇跡は望めないのに、なぜ主イエスは弟子たちに断食祈祷をさせないのかと質問したのです。 第一サムエル記16:7『主は仰せられた。「彼の容貌や、見かけを見てはならない。わたしは彼を退けている。なぜなら、わたしは人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」』 18節,そして主イエスは、以下のように答えられました。主イエスは断食祈祷する人々に奇跡は起こりやすいですが、大切なのは断食をする行為そのものではなく、自分の衣食住や欲望を犠牲にしてまで、真心から反省して祈り求める信仰心が重要であり、また 他人を救おうと祈るために飲食を断つ犠牲的な愛の祈りに、父なる神様は感動して、神の特別な奇跡を施されるものだと教え説いたのです。大切なのは、断食そのものではなく、断食する心の動機なのです。真心から隣人の為、また悔い改めようと、断食祈祷する人々に神の偉大な奇跡が任されやすいと教え説くのです。月一回程度の断食は、医学的にも胃腸を休める良い効果があるとも言われています。聖書は、たまには他人の神の祝福の為、自分自身の願い事や悔い改めの為に、断食祈祷することも幸福人生を築く武器となると教え説くのです。 ヤコブの手紙4:3『あなたがたが 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、いつも悪い動機で願うからです。』 20~22節,あなたの神様は、自分勝手さを悔い改めようと心を一新にしようと主イエスに祈る人や、真心から他人のために祈ろうとする純粋な人にだけ、神の大いなる奇跡を数多く任されます。あなたにも心一新に悔い改めようとする程の断食のような祈り心と、真心から他人のために集中して祈れる愛の祈祷力が備わっていくと期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、必要ならば、真心から断食して祈れるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆にも、神の大いなる奇跡や癒しの御業が 数多く任されるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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