2019年5月22日(水) ディボーション聖句 マタイの福音書26:36~44 36それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」 37それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。 38そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」 39それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」 40それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。 41誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」 42イエスは二度目に離れて行き、祈って言われた。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」 43イエスが戻って来て、ご覧になると、彼らはまたも眠っていた。目をあけていることができなかったのである。 44イエスは、またも彼らを置いて行かれ、もう一度同じことをくり返して三度目の祈りをされた。 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 36節『ゲッセマネ』とは、エルサレムのオリーブ山の北西側にあった地名。 また「ゲッセマネ」はオリーブの木が多く植えられた庭園風の場所だったために「ゲッセマネの園」とも言われていました。 36節,この時、主イエスは弟子たちとの最後の晩餐後、三人の弟子たちだけを連れて、祈るためにゲッセマネの園に来られたのです。このように聖書は、何か、あなたの人生に大切な物事がある時や神の御心を行う場合は、一人だけで祈らずに、神の教会内で信頼できる まことのクリスチャンたちを三人くらいに選んで 祈ってもらうと、更なる祝福が増し加わると教え説きます。 ローマ信徒への手紙12:12『望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。』 第一コリントの手紙14:15『わたしたちは、どうすればよいのでしょう。私たちは霊において祈り、また知性においても祈りましょう。また、わたしたちは霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。』 コロサイの手紙4:2『あなたがたは目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。』 第一ペテロの手紙4:7~8『万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合い、祈りなさい。愛は多くの罪をおおうからです。』 36~37節,またBibleは、もし あなたにどうしても叶えない願い事があったり、また、あなたに永遠に報われる幸福人生が必要ならば、まるで 神様と対話するかのように 聖書のみことばと向き合って黙想したり、神と親しく会話するように、聖書のみことばを思考しながら、昼も夜も、絶えず祈りに励むベきだと教え勧めます。なぜなら聖書は、神との会話のような祈りや聖書のみことばに基づく思考や黙想なくしては、神の偉大なる御力や奇跡は任されないと教え説くからです。 マタイの福音書18:19~20主イエスは言われた。『まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうち二人がどんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。二人でも三人でも、わたしイエスの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。』 37節,また聖書は...この時、主イエスは ご自分が神の御子そのものであったため、たった一人で神の奇跡や御声を掴める祈祷力を備えていましたが、わざわざ、(ゼベダイの子の)使徒ヤコブと使徒ヨハネや、使徒ペテロの三人を連れて行き、皆で心を一つにして祈る 教会祈祷会の重要性を示されたのです。 あなたは、教会内にいるまことのクリスチャンや教会祈祷会の祈りの援軍なくして、神の御心にかなう願い事や永遠に続く報われる幸福人生に必要な奇跡を刈り取れると勘違いしていませんか? なぜなら聖書は、教会内にいるまことのクリスチャンや教会祈祷会の祈りの援軍なくして、神の御心にかなう願い事や永遠に続く報われる幸福人生は皆無だと預言するからです。 使徒の働き2:42~43『主イエスを信じた人々は使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、いつもお祈りをしていた。すると、一同の心に神への恐れが生じ、神の使徒たちによって多くの不思議としるしが行われるようになった。』 38~41節,このようにBibleを読むと、幸福人生に必要な神の不思議や奇跡を生み出せる教会は、聖職者から語られる聖書のみことばの教えを堅く守ろうと一致する兄弟姉妹たちが、定期的に集まって祈祷会をしていたことが分かります。祈るために、わざわざ集まれる教会の仲間たちに永遠に報われる幸福人生に必要な神の奇跡やしるしが数多く任されるのです。 あなたは、祈祷会に参加していますか? また、祈祷会に参加できなくとも、教会祈祷会に祈祷課題を告げ知らせて、祈ってもらえてますか? 教会の仲間たちが一つ心で祈れる祈祷会を続けている 教会のクリスチャンたちのほうが いく倍も報われるからです。しっかり胸に書き記して下さい。 40~41節,このゲッセマネで、主イエスは使徒ペテロたちに、皆で心一つに集中して祈るように命じられましたが、彼らは一時間も経たないうちに、眠り込んでしまいました。使徒ペテロたちは、自分たちの願い事を中心に、ただいつものように言いたいように 祈ったたげだったので、一時間も祈ることができずに、結果、場か持たず 眠りこけてしまったのです。 41~44節,また聖書で「祈り」とは、ただ自分の言いたいことや願い事だけを 一方的に語るだけのことではないと教え説きます。「祈り」とは、Bibleのみことばを深く黙想して 自分の状況に照らし合わせたり、聖書からの真理や摂理を思考しながら、今、神は私に何を語ろうとしているのか。そして、これから自分は何を考え、何を改めて、また 何をすべきなのか。また、どう祈り、そして、誰のために祈り、何を悔い改めれば良いのか...神様の聖霊からのインスピレーションや具体的な知恵、解決策や方向性を探し出す集中力、霊の格闘でもあるのです。 あなたは、よーく、祈れていますか? なぜなら聖書は、よーく祈れない人々に永遠に報われる幸福人生に必要な神の奇跡が任されないと預言するからです。祈りは、人生で 何よりの武器なのです。 マタイの福音書22:37~38『イエスは言われた。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」これが一番大切な聖書の戒めです。』 41~44節,このように聖書は、神の奇跡や願い事を引き出すのに大切なのは、祈りへの集中力だと教え説きます。祈るための時間と空間を探して、集中する祈りの生活を築ける人々に神の不思議や奇跡が味方するのです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、神との祈り、黙想に集中できる霊感、空間、時間を与え、教会内のまことのクリスチャンたちとめ 数多く祈れるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆に、永遠に報われる幸福人生に必要な神の奇跡と不思議やしるしが多発するからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!
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