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マタイの福音書25:31〜46

2019年5月17日(金) ディボーション聖句 マタイの福音書25:31〜46 31人の子イエスが、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。 32そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、 33羊を自分の右に、山羊を左に置きます。 34そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。 35あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、 36わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』 37すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。 38いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。 39また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』 40すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』 41それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。 42おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、 43わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』 44そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』 45すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』 46こうして、この人たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」 [聖句メッセージ] 本日でマタイの福音書25章は終わりです。 ヨハネの福音書3:16~18『神は、実に、そのひとり子イエスをお与えになったほどに、世を愛された。それは御子イエスを信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子イエスを世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子イエスの十字架によって世が救われるためである。御子イエスを信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子イエスの御名を信じなかったので、すでにさばかれている。』 ヨハネの福音書3:36『御子イエスを信じる者は永遠のいのちを持つが、御子イエスのみことばに聞き従わない者は、永遠のいのちを見ることがなく、神の怒りがその人の上にとどまる。』 ルカの福音書20:36主イエスは言われた。『わたしを信じた彼らは、もう死ぬことがないからです。彼らは天の御使いのようであり、また、復活のイエスの子として、神の子どもです。』 ヘブル人への手紙9:27~28『人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。』 31~34節,このようにBibleは、人は皆、肉体の死後、神の御元にいかされ、個々の人生の審判を受けてから、永遠の国・天国行きと、そうでない永遠なる苦しみの地獄行きとの二つに振り分けられると教え説きます。全ては神のみことばを基準としたジャッジ次第なのです。 あなたは、どちらに行こうとしていますか? しかしBibleは、主イエスを信じて みことばで悔い改め続ける人は皆、イエスの十字架贖罪信仰の身代わりの死、裁きのおかげで、神の審判を 特別免除されて、永遠の幸福人生となる「天国行き」が内定していると教え説くからです。ただただ、主イエスに感謝して礼拝奉仕し続ければ、永遠に安泰なのです。 31~34節,またBibleは、この世界の終末の時には、再び、イエスが天使たちを引き連れて来られる、リバイバルがあると預言します。そして その時、主イエスを信じる者たちだけは、終末の大惨事や死の滅びや地獄行きの苦しみから免れて、神の国に移され、世界人類の終末がやって来ると預言するのです。 ヨハネの福音書1:12『イエスを受け入れた人々、すなわち、主イエスの名を信じた人々に、父なる神様は、神の子どもとされる特権をお与えになった』 31~34節,また聖書は、Bible&Jesusのみことばを信じて 悔い改め続ける人は皆、ただ、それだけで神のゆるしを受けられて、天国人としての特権を受けられると約束するのです。しっかり胸に書き記して下さい。 マタイの福音書22:37~39『そこで、イエスは言われた。「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」これが一番大切な戒めです。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という戒めは、二番目に大切なのです。』 ルカの福音書6:37~38主イエスは命じた『さばいてはいけません。そうすれば、自分もさばかれません。人を罪に定めてはいけません。そうすれば、自分も罪に定められません。赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます。与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。』 35~40節,またBibleは、飲食に不自由している餓死しそうな人々を助けて与える人、病のある者を見舞って祈る人、福音宣教や教会奉仕などを通して神の使命に協力してねぎらえる人、外国からの客を大切にもてなせる人や、着る物に困っている人に衣服を与える人たちの愛の労は、何よりも尊いと褒め称えます。こういう愛の労を 大切に生き続ける人々に、神様からの素晴らしい奇跡や永遠に報われる天国人生の道が開かれるのです。 あなたは、永遠に報われる天国人生に行けそうですね? なぜなら聖書のみことばが、永遠に報われる幸福人生か永遠なる不幸人生なのか、唯一の尺度となるからです。肝に命じあいましょう。 41~46節,そして聖書は、世界中の餓死者たちの噂を聞いても全く無関心な人たち、外国からの来客を 大切にもてなそうとしない閉鎖的な人たち、着る物に不足している人たちに無関心で助けようともしない人たち、神の教会や神のみことばの働き人たちの労苦に非協力的な人たちや、病の人々の苦しみや見舞いにも無関心で祈りに出向けない人たちを 神様は忌み嫌われると、教え説きます。 このような人生では、永遠に報われる幸福人生は不可能だと預言したのです。気をつけあいましょう。 そして聖書は、財力と権力や人気のある人々にへつらい、そういう人たちにだけ感心を示すズル賢い人々を あなたの神様は、永遠に呪うほどに嫌っているとも、教え説いています。 あなたに、神様から忌み嫌われる要素はありませんか? なぜなら聖書は、今日の聖句から、もし 神様に忌み嫌われる思考や生き様が見つかったのなら、すぐに主イエスの十字架贖罪信仰による神のゆるしを祈り求めて、少しでも多くの愛や神の使命を施せる人生に悔い改め続けることが必要不可欠だと、預言するからです。お互いに悔い改め続けましょう。 しかし、あなたは今日の聖句からしっかり悔い改め続けて、永遠に報われる天国人生を刈り取れると期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、権力、財力と人気のある人ばかりに気を遣い過ぎずに、むしろ、貧困やストレスで滅びそうな人々に福音宣教や教会奉仕などして救い導けたり、絶えず、困り人に真理を教えて、なにかを与えるべき人になり、主の働き人や外国人たちをもてなし、病のある人々を見舞って祈れる主イエスのような愛力と聖霊力を思考や生き様にできるように助け導いて下さい! そうすれば 皆、永遠に報われる幸福人生に必要な神の奇跡と百倍の報いを引き出せるからです!主イエスのお名前で 期待して祈ります。AMEN!!! 

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