2019年5月15日(水) ディボーション聖句 マタイの福音書25:1~13 1そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。 2そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。 3愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。 4賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。 5花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。 6ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。 7娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。 8ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』 9しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』 10そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。 11そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください』と言った。 12しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません』と言った。 13だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。 [聖句メッセージ] 本日からマタイの福音書は25章です。 1節,主イエスはこの世界人類の終末や死について、当時のユダヤ人の結婚制度を通して、たとえ話をされました。 尚、当時のユダヤ教の結婚の原則は、同じユダヤ教の信徒同士か、ユダヤ人同士としか結婚ができませんでした。 またBibleの教える結婚制度とは、愛し合う男女が、一生涯、身も心も一つになる神聖な夫婦愛を築く恵みであり、子孫繁栄を含む家族愛を築く恵みでもあると教え説くのです。また聖書は、生涯、独身を貫く方が幸福な人生もあれば、結婚しても、子孫を残さずに夫婦愛の絆を深める、子供を産まない夫婦の形が 幸福な人生もあると教え説きます。しっかり 胸に書き記して下さい。なぜはら聖書は、Bibleから正しい結婚観を 持つことも重要だと教え説くからです。 1節,当時のユダヤ人の結婚制度は、結婚を決断した男女が、まず友人・隣人などに報告して、証人となってもらい、両家にも顔を合わせて、婚約式を取り行うのが通常でした。そして、婚約式を終えたカップルは、この瞬間から結婚した夫婦と同様に見なされていたのです。しかし、当時のユダヤ人たちは、この婚約期間に、一緒に住むことが許されておらず、約一年間の別居婚約生活を終えてから、同居結婚生活をスタートできたのです。 また当時の婚約破棄は、離婚と見なされていたので、一旦婚約が成立すると、まず男性は実家に戻り、自らの心霊を磨きながら親孝行に励み、1年後の結婚生活に備えていたのです。 また、一年間の婚約期間を終えた新婚カップルたちは、一週間にわたって近隣住民と祝う「結婚式」と「結婚披露宴」を行っていました。 そして、結婚式&結婚披露宴の当日は、新郎は花嫁を迎える準備に専念し、新婦は新郎が迎えに来るのを待ちながら断食をして待ち備えていたのです。また新婦は、必ず結婚式の前に沐浴場に浸かり、そしてその直後、花嫁衣装が用意され、花嫁介添人は準備を整え、夜に到着した場合に備えてランプの手入れとランプ油を用意し、水曜日の夕方から夜に、新郎が新婦の家に迎えに行くことになっていたのが通常だったのです。 そして、主イエスは、当時の結婚式を 比喩して、たとえ話しをされたのです。 1節,では、以上のユダヤ人たちの結婚式と結婚披露宴についての主イエスからのたとえ話を 解き明かしていきましょう。 1~13節,この「花嫁介添人の10人の娘」とは、これからやってくる、未来の大患難時代を迎える10人の人々を指しており、その中に「終末や死の備えができている賢い娘5人と、全く準備できていない5人の愚かな娘」がいるというたとえ話しになるのです。 主イエスは終末や死の備えができている賢い娘たちとは、主イエスを信じて、油(聖霊)を備えていた人々で、Jesus信仰者を指しています。(油注ぎとは、神の聖霊が注がれたJesus信仰者を意味します。) また、終末や死の備えができていない五人の娘たちとは、油(聖霊)を持っていない人々(未信者)や油を切らした人々(罪を悔い改めない不信仰者たち)を指しています。 あなたは、終末や死の備えができた賢い五人娘のような生活習慣ですか? それとも、油を切らした愚かな五人娘の生活習慣ですか? なぜなら主イエスは、油を切らした人は皆、永遠に報われないと預言するからです。しかし、今日からのあなたは、終末や死の備えができる、真理に伴う生活習慣に悔い改めて、永遠に報われると期待します。 ヨハネの福音書3:18~21『御子イエスを信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。』 ローマ信徒への手紙『こういうわけで、今は、キリスト・イエスを信じる者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、わたしたちの罪と死の原理から、あなたを解放したからです。』 13節,このようにBibleは、主イエスの十字架贖罪信仰を信じて贖われた あなたは、日々のみことばから悔い改め続ければ、何をしても裁かれないと約束してくれます。そして主イエスは、あなたが神の教会礼拝奉仕と日々のみことばを軸にした生活習慣を築いていけば、あなたの終末と死のときは、永遠に報われる神の国の祝宴に招待されると、約束されたのです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、日々のBible&メッセージと神の教会礼拝奉仕を軸にした生活習慣を築けるように悔い改めさせて下さい。 そうすれば 皆、賢い五人娘のように、永遠に報われる幸福人生を獲得できるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!
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