• sgbc-devotion

マタイの福音書24:3~13

2019年5月10日(金) ディボーション聖句 マタイの福音書24:3~13 3イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」 4そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 5わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 6また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。 7民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。 8しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。 9そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。 10また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。 11また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。 12聖書の不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。 13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。』 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 マタイの福音書13:37~43 主イエスは世界の終末のことを たとえを用いて言われた。『良い種を蒔く者は人の子イエスです。そして、畑はこの世界の人々のことで、良い種とは主イエスのみことばを持っている神の子どもたち、そして、毒麦とは神のみことばを信じない悪い霊の子どもたちのことです。神を信じない毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは、神の裁きを行う天使や御使いたちのことです。ですから、収穫の時に毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。人の子イエスはその御使いたちを世界に遣わします。彼らは、信仰のつまずきを与える者や聖書の不法を行う者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。そのとき、わたしを信じてゆるされた者たちは、父なる神の御国で太陽のように永遠に輝きます。だから、耳のある者は聞きなさい。』 ヘブル人への手紙9:27~28『そして、人間には、一度死ぬことと死後に神の審判を受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を贖うために一度、ご自身を十字架上にささげられましたが、次は、罪を負うためではなく、主イエスを礼拝して待ち望んでいる人々の永遠の救いのために来られるのです。』 3節,このようにBible&Jesusは、世界には、必ず終末があると預言しています。あなたが目に、また耳にしている、この世界の万物には最期の時がやって来ると教え説くのです。物理的にも、目に見えて形あるモノに永遠などないということは、常識です。ですから聖書は、大災害、戦争、大病、死の時や世界終末が いつ来てもいいように、Bible&Jesusのみことばに耳を傾けて、未来の死と終末に備えることも重要だと教え説いているのです。 あなたは、未来にくる死、終末の為に準備できていますか? なぜなら聖書は、永遠に報われる幸福人生や最高の終末を迎えるに神礼拝を続けながら、出来る限り、天に宝を積む教会奉仕や福音宣教の使命を果たして、未来の死や終末に備えるように教え説くからです。聖書は、未来にやってくる死や終末に備えなければ、恐怖に満ちた虚しい死や終末を刈り取ると預言するのです。目を覚ましあいましょう。 また聖書は、創造主なる神様から、この世界での生命、人生を任された人は皆、肉体の死後、必ず、神の御元に連れて行かされ、人生をどう考え、またどのような人生を費やしてきたのか。そして、どんな罪や過ちを犯してきたのか、審判されると教え説きます。そして聖書は、もし あなたが神の御心に反する人生を生きたとしても、今日から主イエスの十字架贖罪を堅く握りしめながら、日々の聖書のみことばを大切に悔い改め続ければ、無罪放免とされ、永遠に報われる天国人生に移されると約束するのです。 3節,この時、イエスの12弟子たちは世界の終末の日について 以下のように質問しました。「イエス様、私たちはBibleの預言する、この世界の終末を信じています。そこで質問です。では、いつ どのようにして、世界の終末はやってくるのでしょうか?教えてください。」 ヨハネの福音書14:1主イエスは言われた。『どんなことがあっても、あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。』 4~5節,そしてイエスは 12使徒たちに、以下のように答えられました。「わたしのみことばを信じて行っている あなたがたは、死や終末を恐れる必要などありませんよ。しかし 、終末が近づくと『私こそ、キリストだ!』『私が神だ!』などと語ったりする、Bibleのみことばを巧妙に曲げてくるニセ預言者たちや、神のみこどはを語らずに多くの奇跡を起こす、ニセ預言者たちが 数多く現れるので注意していなさい。聖書のみことば以外で、神や終末を語る者には気をつけなさい。」と、主イエスは言われました。 6~8節,また主イエスは、以下のように付け足しました。「また終末の前兆を教えましょう。まずら隣国同士が不仲になったり、世界に戦争の気配が出てくることになります。しかし、あなたがたは、それらのニュースや噂に影響されずに、ただ平和を保って、祈り続けなさい。また、終末の前兆として、世界の方々に飢饉で餓死する人々が起こったり、大地震など天変地異の現象も起こり始めるでしょう、しかし、あなたがたは しっかりしていなさい。なぜなら、そのような前兆は 世界中が悲しみを通して、人生で何よりも大切なのは隣人愛や神の真理を知ることにつながり、世界人類の悔い改めと神の救いの糸口ともなるからです。」と、イエスは教えられました。 聖書は、昨今の世界情勢は、これらの事件が多発しており、世界の終末は、遠い未来だとは言えないと預言するのです。 ヨハネの福音書7:7主イエスは言われた。『彼らは、わたしを憎んでいます。わたしが、世について、その行いが悪いことをあかしするからです。』 マタイの福音書10:22主イエスは言われた。『また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人々に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。』 9~13節,そして主イエスは以下のように言われました。「尚、以上のような悲しい終末の前兆が起こり出すと、世界人類の平和は 段々と崩壊していきます。そして、父なる神の真理と福音を知らない人々や信じられない人々は、人生と死の意味や行き先を全く消化できなくなり、神信仰や正しい真理を教え伝えようとする あなたがたを憎み、迫害してくることもあるのです。またこのような前兆が起こると、世界中は聖書の不法がはびこり出すので、あらゆる人々は裏切りあって 愛も冷えていき、殺人事件も多数起こるのです。そして、これら全てのことが、終末の前兆となるので、よく覚えておきなさい」と、イエスは語られたのです。 あなたは、そんなに遠くない未来に、終末や大きな天変地異の予兆が現れ始めていると感じていますか? それとも 終末は、まだまだ、ずっと先だと、言い切れますか? しかし聖書は、どちらにしろ、未来の死、大災害、戦争、終末などが、いつ来ても、良いように聖書のみことばを蓄えながら祈り備えることが重要だと教え説くのです。主イエスを信じて祈り続けられる者は皆、救われるのです。 マタイの福音書25:46主イエスは言われた。『こうして、不信仰な人たちは永遠の刑罰に入り、わたしのみことばを信じた正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。』 13節,そして主イエスは、最後に以下のように約束してくれました。「しかし、わたしのみことばを信じて、祈り悔い改め続けてきた あなたがだは、ただ忍耐していれば、いつ終末や死がやってきても、永遠に報われる新天地「天国」行きが許可されます。ですから、あなたがたは大災害、戦争、終末、死の時も、全く恐れる必要はないのです」 AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、Bible&Jesusのみことばを 何よりも大切にして生きて、聖書の教える罪、咎を 素直に悔い改め続けられるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆、大災害、戦争、大病、終末、死をも消化できるようになって、永遠に報われる 天国人生に移れるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

5回の閲覧0件のコメント

最新記事

すべて表示

ヨハネの福音書7:14~18

2020年2月23日(日) ディボーション聖句 ヨハネの福音書7:14~18 14 しかし、祭りもすでに中ごろになったとき、イエスは宮に上って教え始められた。 15 ユダヤ人たちは驚いて言った。「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか。」 16 そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。 17 だれでも神

ヨハネの福音書7:10~13

2020年2月22日(土) ディボーション聖句  ヨハネの福音書7:10~13 10 しかし、兄弟たちが仮庵の祭りに上ったとき、イエスご自身も、公にではなく、いわば内密に上って行かれた。 11 ユダヤ人たちは、祭りのとき、「あの方はどこにおられるのか」と言って、イエスを捜していた。 12 そして群衆の間には、イエスについて、いろいろとひそひそ話がされていた。「良い人だ」と言う者もあり、「