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マタイの福音書22:34~46

2019年5月5日(日) ディボーション聖句 マタイの福音書22:34~46 34しかし、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを黙らせたと聞いて、いっしょに集まった。 35そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。 36「先生。聖書の律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」 37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 38これがたいせつな第一の戒めです。 39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。 40 聖書の律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」 41パリサイ人たちが集まっているときに、イエスは彼らに尋ねて言われた。 42「あなたがたは、キリストについて、どう思いますか。彼はだれの子ですか。」彼らはイエスに言った。「ダビデの子です。」 43イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、 44『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』と言っているのですか。 45ダビデがキリストを主と呼んでいるのなら、どうして彼はダビデの子なのでしょう。」 46それで、だれもイエスに一言も答えることができなかった。また、その日以来、もはやだれも、イエスにあえて質問をする者はなかった。 [聖句メッセージ] 本日でマタイの福音書22章は終わりです。 34節,『パリサイ派』と『サドカイ派』は、当時のユダヤ教の中でも、1、2の人気を誇る宗派でした。また両者は、いつも敵対し合っておりましたが、当時のユダヤ人たちの有力者の大半が、このどちらかの宗派に属していたのです。 尚、パリサイ派とサドカイ派は、同じユダヤ教でしたが、旧約聖書の解釈の違いで論争していたのです。 第二テモテの手紙2:14『みことばについての論争などしないように、神の御前できびしく命じなさい。』 テトスの手紙3:9『愚かな議論、人々の系図、口論、聖書の律法についての論争などを避けなさい。それらは無益で、むだなものです。』 エペソの手紙4:2~5『互いに謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。神の教会のからだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマ(洗礼)は一つです。』 34節,このようにBibleは、神に選ばれて、永遠の救いを手に入れた人々が集まっている教会は、聖書の使命で一つ心を目指すべきであり、聖書のみことば解釈についても互いの一致を測り合いながら、同じ聖霊を受けた者同士、いつも受け入れ合い、決して論争したり分派しないように注意すべきだと、教え説いています。 あなたは、同じ教会の仲間たちと聖書のみことばの解釈で仲違いしたり、論争する傾向がありませんか? なぜなら聖書は、このパリサイ派とサドカイ派の人々のように同じ聖書信仰であるのに、仲違いしたり、派閥形成をしてしまえば、虚しい無意味な宗教に成り下がると預言するからです。聖書の解釈においては歩み寄り、使命の一致を目指さなければ、クリスチャンは無力な宗教者に成り下がるのです。肝に命じあって 常に祈り、和解と一致を計らなければ、神の聖霊は動かれないのです。 まな、あなたは 聖書のみことばを軸にしながら教会のJesusFamilyや属している組織の人々と一致を計ろうと尽力していますか? なぜなら聖書は聖書の真理や神の教会の共通の使命から外れる個人プレイの人々に永遠に報われる幸福人生は皆無だと預言するからです。神の教会に示された使命の一致を計るフリだけの人々に神の奇跡や天国行きの洗礼者は任されないのです。目を覚ましあいましょう。 尚、サドカイ派の人々は 聖書の教える霊魂の不滅や死者の復活と天国人生や天使の存在を信じられず、主イエスの教えとパリサイ派の教えに反発していたのです。その為、サドカイ派は後に崩壊してしまいました。 第二テモテの手紙3:16『聖書はすべて、神の霊感により書かれたものであり、人生の教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。』 34節,このようにBibleは、聖書の全てのみことばは神の霊感で書かれているので、それを否定する人は皆、神と敵対する不幸な人生の結末、死後の裁きが待っていると、教え説きます。その為にサドカイ派は、この後、全く壊滅してなくなったのです。Bible&Jesusのみことばを そのまま信じる者は皆、必ず報われます。 35節,この日、パリサイ派の有力な学者たちは、サドカイ派の人々が主イエスのBibleメッセージにやり込められているという噂を聞きつけると、まるで競い合うように、主イエスに難問をぶつけにやってきました。パリサイ派は、真理を学ぶ為ではなく、ライバルのサドカイ派との対抗心や党派心だけで、イエスの元に来たのです。 36節,そして、パリサイ派の律法学者たちは主イエスに以下のように質問したのです。「イエス先生、この分厚い聖書のみことばの中で一番大切な戒めは、どこでしょうか?教えて下さい」 37~38節,すると、主イエスはパリサイ派の学者たちに、こう答えました。「いつ どんな時も、神との相思相愛関係を目指しながら、みことばに根ざした生活習慣を築くことが 何よりも大切なことです。そのような生活習慣さえきずければ、人生のすべての物事は、いつか益となり変われるからです。」 39~40節,また主イエスは、以下のみことばを付け加えられました。「そして二番目に大切なのは、自分を大切にしながらも、常に周囲の人々を見渡す余裕を持ち、他人のことを自分のように気配りしてあげる姿勢が大切です。永遠に報われる幸福人生を築くには、周囲の人々に福音や真理を語って励ます隣人愛ある行動と言動が問われるのです。」このように主イエスは愛と真理に根付いた行動こそが、Bible&Jesusの教えている神信仰の基盤だと教え説いたのです。聖書の教えるJesus信仰の基盤は宗教心ではなく、神の愛に満ちた福音や真理を教えて励まし救おうとする情熱的な愛力(神愛、家族愛、友愛)だと教え説くのです。しっかり胸に書き記して下さい。 41節,そして主イエスは、パリサイ人達に質問を仕返しました。「では世界人類の父なる神様が、旧約聖書で預言している世界人類の救い主は、どこの誰から生まれると思いますか?」と質問したのです。 ミカ書5:2 神様は救い主イエス・キリストの預言をされた。『ダビデの町ベツレヘムよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者となる救い主が出る。その出ることは、永遠の昔からの神の定めである。』 42節,すると、パリサイ人たちはイエスに答えました。「ダピデの子孫から、世界人類の救い主は生まれるはずです。」 43~46節,そして主イエスは、更に質問を深めました。「しかしダビデ王は、旧約聖書の中でも、後にお生まれになる救い主に対して「わたしの主」と祈りながら、賛美しています。では、なぜ ダビデは、自分の子孫から世界人類の救い主が生まれることを知っていながら、自分の子孫を 私の主と言われたのでしょう? また、あたながたは、なぜ、世界人類の救い主が ダビデの子孫から生まれると思うのですか? 世界人類の救い主であるお方が、ダピデ王の子孫から生まれるとは、いったい、どういうことでしょう?説明してみなさい。」と、イエスはパリサイ派の有力な知者たちに質問されたのでした。しかし、優秀で権力のあったパリサイ人たちは、その聖書のみことばを解き明かすことができませんでした。パリサイ派の学者たちは、自分本位のご利益宗教に走り過ぎていた為に、神の御心やご計画について説明出来なかったのです。パリサイ人たちのように大した恵みを引き出せない、自分本位なご利益宗教に走り過ぎないように、聖書のみことばから神の御心やご計画を 探し出す姿勢が重要なのです。 ルカの福音書2:11『ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主イエスキリストです。』 第一ヨハネの手紙5:5『世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。』 第一ヨハネの手紙4:15『だれでも、主イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。』 マタイの福音書20:16主イエスは言われた。『このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。」』 46節,パリサイ人の学者たちは怠惰で、身勝手なご利益宗教に走り過ぎていた為に、神の知恵と聖霊力が乏しくなっており、世界人類の救い主が神の御子として、普通の人(マリヤ)から生まれ出ることを 聖書から読み取れず、永遠に報われる天国人生を掴み損ねたでした。このようにBibleは、後の者が先になり、先の者が後になることが 多々あるので、おごり高ぶらず、絶えず神の教会から語られる神の御心やご計画を 探し求める姿勢だけは手放してはならないと預言するのです。 しかしあなたは、おごり高ぶらずに、謙虚に神の教会から語られる神の御心やご計画を 探し求める姿勢を貫き、永遠に報われる幸福人生を獲得できると期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たして 神の教会から語られるBibleのみことばから超常識的な神の摂理と真理や、神の御心とご計画を 悟り行えるように助け導いて下さい。 そうすれば、皆に永遠に報われる幸福人生が もたらされるからです!主イエスのお名前で期待してい祈ります。AMEN!!! 

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