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マタイの福音書20:17~24

2019年4月25日(木) ディボーション聖句 マタイの福音書20:17~24 17さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられたが、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。 18「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。 19そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」 20そのとき、ゼベダイの子たちの母が、子どもたちといっしょにイエスのもとに来て、ひれ伏して、お願いがありますと言った。 21イエスが彼女に、「どんな願いですか」と言われると、彼女は言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」 22けれども、イエスは答えて言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」彼らは「できます」と言った。 23イエスは言われた。「あなたがたはわたしの杯を飲みはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によってそれに備えられた人々があるのです。」 24このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 17節,主イエスは、世界人類の罪・咎・過ちを贖い、ご自分を信じる人々を 肉体の死の滅びから永遠なる天国行きへと救い出すために、ただ神の愛によるご計画とご自分の人類を救う使命を成し遂げる為に生き、最後は全く無実なのに、エルサレムの十字架刑へと向かわれました。 箴言16:4『主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、 悪者さえもわざわいの日のために造られた。』 17節,このようにBibleは、世界人類の全人生に死後の滅び、地獄行きを免除され、全人生に永遠に報われる幸福人生を 唯一授けられる人生と死の意味、行き先が書かれた真理の書。天地万物の創造主なる神様が 聖霊によって書かせた、世界人類へのご計画、摂理、奥義が書かれた全人生、全生命の取扱説明書なのです。Bibleを読み蓄えることで、無責任な周囲の雑音に惑わされず、本来のあなたらしさとブレない人生の目的を探ることが重要なのです。日々 祈り求め続ける人、必ず永遠に報われ、救われるからです。 第一コリントの手紙9:24~27『競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように、人生を走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは永遠に朽ちない、神からの冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような人生の走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて、みことばに従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためでもあります。』 17節,目に見える肉体を持つ人生には、誰にでも終点があります。聖書は、この終点の分からない人生、すたわち行き先や目的の定まらない人生ほど、虚しい人生はないと預言するのです。 あなたの人生は終点、行き先、目的が はっきりしていますか? なぜなら聖書は、人は皆、ただ生きているわけでなく、人生と死の意味、行き先、目的、真理、神のご計画、神の隠された人生と死後の世界の摂理を ある程度 悟れなくては、虚しい不幸な人生と死を強いられると預言するからです。 あなたは、ただ 毎日飲み食いしたり、仕事したり、人間関係を築きながらも 欲望のままに生き、知らぬ間に時間が経って死んでいくだけの存在ではないと、教え説くのです。聖書は、誰にでも、神のご計画、人生の意味、目的、使命が与えられているので、神のみことばから探し出すようにと教え説いているのです。それらの真理、奥義を探し出すことが 永遠に報われる幸福人生の醍醐味であり、またその為に人生での試練や苦難があるのだと教え説くのです。目を覚ましあいましょう。 第一ヨハネの手紙4:18『愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。』 18~19節,この時、神のご計画としっかりした人生の目的を悟っていて、愛する仲間たちを救う使命に生きてきたイエスは、人生での困難や十字架上で殺されて、世界人類の贖いの死をなし遂げることに対しての恐れなど、全くありませんでした。聖書は人生での苦しみとは、神に出会える恵みの時であり、死とは、永遠の新天地「天国』での人生の始まりとなり得るチャンスだと教え説くのです。しっかり胸に書き記して下さい。 20節『ゼベダイの子たち』とは元漁師で、実の兄弟である、12使徒のヨハネとヤコブ。 21節,この時、使徒ヨハネと使徒ヤコブの実の兄弟と、その母親は、主イエスに以下の頼みごとをしてきました。「主イエス様、私の息子の二人が、死後に天国に行った時は、どうか、あなたの御座の右と左に座らせて下さい。二人の息子たちは、主に人生を賭けて従っていくつもりですので、どうかお願いします!そのような みことばの約束を私たちにお与え下さい!」と主イエスに懇願しました。 ヨハネの福音書15:13『人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。』 22節,すると、主イエスは使徒ヤコブ、ヨハネとその母に、以下のように質問をされました。「あなたがたは、わたしのように神愛と隣人愛に基づいた みことばの使命だけに人生を費やし、今後とも、福音宣教のためなら、その命まで捨てる覚悟がありますか?」すると彼らは、こう答えました「Amen。その覚悟でございます。」 23節,するとイエスは、彼らに答えられた。「そうですか。たしかにあなたがたも、わたしのようにみことばの使命や福音宣教の人を救う愛のためだけに人生を費やすことができるかもしれませんね。しかし、肉体の死後の天国でもわたしの隣りの地位に座れるのかを、決められるのは 父なる神様だけなのです。もし、そう願うのなら、祈りつつ、ただ、命ある限り みことばに生き続けなさい。」と言われたのです。聖書は、神のみことばを何よりも大切に生き続ければ、永遠に何をしても、うまくいき、永遠に報われ続けると約束するのです。 マルコの福音書4:20『良い地に蒔かれる人たちとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。』ヘブル人への手紙12:1『こういうわけで、このように多くのキリストの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている信仰のレースを忍耐をもって走り続けようではありませんか。』 24節,そして、使徒ヨハネと使徒ヤコブの命がけの信念とビジョンを聞かされた、他の仲間たちの心霊と信仰は、燃え上がり出しました。 このように聖書は、神が教会に集めた仲間たちとは、ただの宗教関係者、仲良しグループではなく、人生と信仰のレースを 命がけで共走しあって刺激し合いながらも、困った時こそ助け合う、永遠に切ってもきれない JesusFamilyだと教え説くのです。神の教会のJesusFamilyとの共走、助け合いなくして、神の最高な報いは引き出せません。あなたにも神の奇跡を任される程の、永遠のJesusFamilyとの相思相愛関係が築けると期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆の霊の目を開き、Bibleから神のご計画と生きる目的を はっきり悟らせ、真の夢とビジョンを掴ませ、教会の仲間たちとまことの神の家族関係をきずけるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆、決してぶれない、永遠に報われる幸福人生に必要な神の奇跡が任され続けるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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