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マタイの福音書20:1~16

2019年4月24日(水) ディボーション聖句 マタイの福音書20:1~16 1天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです。 2彼は、労務者たちと一日一デナリの約束ができると、彼らをぶどう園にやった。 3それから、九時ごろに出かけてみると、別の人たちが市場に立っており、何もしないでいた。 4そこで、彼はその人たちに言った。「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから。」 5彼らは出て行った。それからまた、十二時ごろと三時ごろに出かけて行って、同じようにした。 6また、五時ごろ出かけてみると、別の人たちが立っていたので、彼らに言った。「なぜ、一日中仕事もしないでここにいるのですか。」 7彼らは言った。「だれも雇ってくれないからです。」彼は言った。「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。」 8こうして、夕方になったので、ぶどう園の主人は、監督に言った。「労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい。」 9そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつもらった。 10最初の者たちがもらいに来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らもやはりひとり一デナリずつであった。 11そこで、彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて、 12言った。「この最後の連中は一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました。私たちは一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです。」 13しかし、彼はそのひとりに答えて言った。「友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。 14自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。 15自分のものを自分の思うようにしてはいけないという法がありますか。それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか。」 16このように、あとの者が先になり、先の者があとになるものです。 [聖句メッセージ] 本日からマタイの福音書は20章です。 マタイの福音書13:34~35『イエスは、神の国のことをみな、たとえで群衆に話され、たとえを使わずには何もお話しにならなかった。それは、旧約聖書の預言者を通して言われた事が成就するためであった。「わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。』 マルコの福音書4:11~12『そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。』 詩篇34:18~20『主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼らを救い出される。』 1節,このようにBibleは...人生で何よりも大切な人命、人心、隣人愛、純粋な良心を生み出す神信仰や真理を重んじずに、身勝手な快楽、欲望、利便性や経済ばかりを追求している人の心霊は盲目であり、神のみことばを 簡単には悟れないと、教え説きます。 あなたは如何でしょう? また聖書は、自分勝手な富裕層や様々な偽善的権力者やズル賢い知識人たちに、神の言霊力や神の国の奥義を悪用させないために、わざわざイエスはたとえ話を多用して語られたと、教え説くのです。真心から神の国の奥義や真理を求め、祈り探そうとする人にだけ、人生と死の意味と行き先や神様は表れるのです。目を覚ましあいましょう。 また聖書は、神の奥義や人生と死の意味や行き先は、この世界の不条理と罪悪に気づいて 悔い改めようとする素直な人々と、自らの人生での罪、非、過ちを省みれる 心砕かれた謙遜な人や、神に選ばれし人にしか悟れないように、あらかじめ、書かれていると教え説いています。しかし、あなたはこうして、今、Bibleの解き明かしを聞けているので、神に選ばれて報われる人生を築ける人だと期待します。 2節『デナリ』とは、当時のローマ帝国の通貨単位。『1デナリ』とは、当時の労務者の平均賃金。今回は分かりやすく、日本円の1万円としておきましょう。 1~16節,主イエスは、神の国の価値観をぶどう園の雇用主と労務者にたとえて、以下のように話されました。『ある日の朝早い六時頃、ぶどう園のオーナーは、ぶどう園の労務者を探しに町に出かけました。そして、日給1万円(12時間)で労務者と契約をしたのでした。また、再びぶどう園のオーナーは朝9時頃、労務者を探しに町に出かけ、今度は1日9時間労働の契約をしました。それからオーナーは、同じ日の午後12時と午後3時に町に出かけて、それぞれ、午後六時までの雇用契約をしたのです。また、ぶどう園のオーナーが午後5時頃、別件で町に出かけてみると、そこに、今日の仕事にあぶれた人が寂し気に立っていたので、今すぐ、ぶどう園に行って、働くように雇ってあげたのです。そして、午後六時がきたので、ぶどう園のオーナーは監督者を呼び、午後五時から来て働いた者たちから、順番に、それぞれ日給1万円を支給するように、話したのです。しかし、午後5時からの1時間労働の人も、朝早くから来て、仕事をしていた人たちにも、同じ日給1万円だったので、一番長い時間働いた労務者が、ぶどう園のオーナーに文句を言いにきました。「なぜ? 1日中、暑さに耐えながら、一生懸命働いたわたしの日給と、1時間しか働かなかった人と同額なのですか?私には理解できません。」そしてぶどう園のオーナーは言いました。「忠実に働いてくれた友よ、冷静になって下さい。私は、何も不当なことはしていません。あなたと契約した通りに、わたしは1万円の日給を支払いました。私はただ、皆に同額の日給を与えたいだけなのです。あなたの働きは、素晴らしかった。しかし もう、人をねたまず、文句を言わずに帰りなさい。」 1聖書はこれが神の国の価値観、常識だと教え説くのです。 また聖書は、このたとえ話のぶどう園のオーナーとは世界人類の神様であり、労務者とは私たち人間だと教え説きます。 このように聖書は、今まで十年以上、Bibleの教える救霊の使命や天に宝を積める教会奉仕活動を一生懸命やってきたとしても...昨日まで、やりたい放題で、メチャクチャな人生を歩んだ人が、今日、主イエスを信じて心を一新に教会礼拝奉仕に加わるのならば、神の救いに差別はなく、同じ天国行きに核差がないと約束するのです。主イエスの十字架贖罪信仰は、昨日までのあなたが どうであれ、差別なき神の救いを獲得できるのです。 この世界は、弱肉強食の競争社会であり、年功序列や貧富などの格差社会が常識ですが、神の国の価値観は、平等な神の愛に基づいた互いに担い合う共走社会だということです。神の救いに、手遅れや差別などなく、今日から悔い改め続ければ、あと先もないのです。 マタイの福音書6:3~4主イエスは言われた。『あなたは、人に施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父なる神様が、あなたに報いてくださいます。』 15~16節,あなたに与えられる、神様からの最高の報いに期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、Bible&Jesusの語る、たとえ話を 正しく悟らせて、神の教会礼拝奉仕に参加できるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆の人生に必要な、神の秘密、奥義、真理、預言、約束が与えられて、永遠に報われる幸福人生が約束されるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!! 

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