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マタイの福音書15:21~28

2019年4月7日(日) ディボーション聖句 マタイの福音書15:21~28 21それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。 22すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」 23しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。そこで、弟子たちはみもとに来て、「あの女を帰してやってください。叫びながらあとについて来るのです」と言ってイエスに願った。 24しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言われた。 25しかし、その女は来て、イエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください」と言った。 26すると、イエスは答えて、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われた。 27しかし、女は言った。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」 28そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 21節『ツロ』とは別名「ティルス」という町。 また『シドン』は別名「サイダ」という町。 この「ツロ」「シドン」は、現在のレバノン共和国に位置し、紀元前1000年頃には古代フェニキア人の主要都市として栄えていた大都市でした。 エレミヤ書25:22,27 神は預言者エレミヤに言われた。『「あなたは、ツロのすべての王たち、シドンのすべての王たちと、海のかなたにある島の王たちに、言え。」「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。飲んで酔い、へどを吐いて倒れよ。起き上がるな。わたしがあなたがたの間に剣を送るからだ。」』 21節,このようにBibleは、かつては栄華を極めたツロとシドンの町は、人心、人命を大切にする隣人愛や良心を生み出せる純粋な神信仰を軽視し過ぎて、富、物質を大切にし過ぎる社会を形成した為、そしてツロとシドンの町民たちは人生で一番大切な愛と真理よりも、自分勝手な快楽と不品行に走り過ぎた為、神様はツロとシドンの自由、繁栄、平和、すべての恵みを剥奪されて、滅亡させたと教え説きます。現在のツロの町の形跡は、小さな集落があるだけで、古代遺跡だけが有名な何もない場所になってしまいました。 このように聖書はツロとシドンのように、大切なモノを見失った国々と大都市の繁栄と平和は長続きせずに、いつか、必ず壊滅すると預言します。あなたの神様は本当に大切なモノを 見失いそうな国や民たちを、そしてこの愛する日本をより良く造り変えるために、あなたを選ばれたのです。聖書を読みながら 大切な真理や隣人愛を吸収しなが祈り備えることが重要です。 あなたが大切にしているもの、宝物、また、あなたが魅力やしあわせを感じさせる物事は 何ですか? 聖書は、全世界、全人生に 本当に大切な物事を教えながら、尽きぬ幸福を与えてくれる神様からのラブレターなのです。 出エジプト記23:22~23神は言われた。『あなたが、もし御声に確かに聞き従い、わたしが告げるみことばをことごとく行うなら、わたしはあなたの敵には敵となり、あなたの仇には仇となろう。わたしの御使いがあなたの前を行き、あなたをカナン人のところに導き行くとき、わたしはあなたの敵、カナン人を消し去ろう。』 22節『カナン人』は...旧約聖書の歴史を読むと、いつも神に選ばれし民の敵となる民族であり、彼らは不道徳の象徴のように書かれています。カナン人の土着宗教である、バアル崇拝では、罪のない子どもをいけにえとして捧げる、野蛮な宗教儀式も行われていたのです。 22節,今日の聖句は、真の神信仰に程遠かった カナン人の女が、主イエスのもとに愛娘の癒しを求めにやって来た箇所になります。尚、当時の悪霊に取り憑かれた病とは、原因不明の不治の病や、原因不明の精神疾患などを意味しています。 23~24節,このようにBibleは、神の御子イエスが世界人類を救うため、全ての人々の罪、咎、過ちのために十字架上で死なれて、三日後に復活するまでは、イエスは神の選民・ユダヤ人だけの救霊と癒しの働きをする予定だったと、教え説きます。しかし、この時ユダヤ人ではないカナン人の女は、決してあきらめずに、ただただ愛する娘の癒しのために、主イエスの奇跡を信じて、癒しを祈り求め続けたのでした。しかし、カナン人の女性はイエスの弟子たちから全く相手にされず、迷惑がられて、追い返されそうになりましたが、決してあきらめませんでした。彼女は、主イエスだけはカナン人をも差別せず、祈りを聞いて、奇跡的な癒しを施されると信じ切っていたのです。 あなたは、カナン人の女性のように、家族、神の家族、友人、知人たちから、冷たくケチつけられても、主イエスにひざまずいて礼拝、祈祷し続けられる覚悟がありますか? なぜなら聖書で、あなたの神様は、周囲の冷たい態度や冷ややかな目を気にせずに、主イエスにひざまずいて 礼拝祈祷し続ける人々の方が 祈り通りの奇跡や癒しを獲得できると教え説くからです。 マタイの福音書7:7~8主イエスは言われた。『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。』 ヤコブの手紙5:14~16『あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主イエスの御名によって、祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。そういう義人の祈りは働くと、大きな力があります。』 25~27節,この時、カナン人の女は 自らの先祖カナン民族全体と自分の罪と神への無知さは、ある意味で人間以下でもあったと省みながら告白して、祈り求めたのです。聖書は、こういう自分と家族や先祖や自分の民族たちの過去の罪悪と過ちを 素直に省みながら、神のゆるしを真心から祈れる人たちの祈りは、大きな神の奇跡や癒しを生み出せると預言するのです。自分自身はもちろん、自身の家族、祖先、祖国が犯した罪や過ちを認めて、主イエスの十字架贖罪信仰を祈り求める人々は神様が義人として認めて下さるので、いつも他人や他民族、他国のせいにする人々よりも、必ずいく倍も報われる祈祷力が任されると預言するのです。肝に命じあいましょう。 ローマ信徒への手紙2:10~11『神の栄光と誉れと平和は、神の選民ユダヤ人をはじめ、神を知らない異邦人にも、善を行うすべての者の上にあります。神にはえこひいきなどはないからです。』 ローマ信徒への手紙10:9~13『もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「主イエスを信頼する者は、失望させられることがない。」ユダヤ人と外国人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主イエスを呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。「主イエスの御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。』 第1コリントの手紙1:18『主イエスの十字架のみことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。』 第1ヨハネの手紙4:18『本物の愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。』 25~27節,カナン人の女性は、娘への愛を堅く握り締めながら、以上のみことばを 真心から信じて行動した為、彼女の祈りに神の奇跡が表れました。 28節,この時、カナン人の女性の敬虔な信仰の言葉を聞かされた主イエスは、以下のように言われました。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」そして、主イエスはカナン人の娘を完全に癒されたのです。 あなたの生き様と人間関係にもカナン人の女のような神を感動させて奇跡を起こせる敬虔な信仰と全き愛が現れることを期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たしカナン人の女のような全き愛と敬虔な信仰心を養い育てて下さい。 そうすれば 皆に、神の感動的な奇跡や不可能さえ可能になる癒しが任されるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!! 

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