2019年3月11日(月) ディボーション聖句 マタイの福音書10:32~42 32ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。 33しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。 34わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。 35なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。 36さらに、家族の者がその人の敵となります。 37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。 38自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。 39自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。 40あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。 41預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。 42わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」 [聖句メッセージ] 本日でマタイの福音書10章は終わりです。 32~33節,Bibleは...人は皆、たとえ、世界中の餓死者や困り人たちを傍観して好き放題に生きてきたとしても、また中途半端な人生で、大した善行や偉業を行えなくとも、そして昨日まで、極悪非道で罪深い人であったとしても、自らの人生を省みて、主イエスの十字架のみことばを信じて、祈り悔い改めようとし続ければ、神のゆるしを受けられ、永遠に救われると教え説きます。 命ある限り、主イエスの十字架贖罪信仰を信じれば、人は皆、人生のやり直しがきくのです。 マタイの福音書10~20~27主イエスは言った『しかし あなたがたは、人生の実によって人々を見分けることができるのです。だから、わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国に入れるのではなく、天におられるわたしの父なる神様のみこどはを行う者だけが入るのです。その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。「主よ、主よ。私たちはあなたのお名前によって御ことばの預言をし、あなたのお名前によって悪霊を追い出し、あなたのお名前によって奇蹟と善行をたくさん行ったではありませんか。」しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。「わたしはあなたがたを全然知らない。御ことばの不法をなす者ども。わたしから離れて行け。」だから、わたしのこれらの御ことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。御ことばの岩の上に建てられていたからです。また、わたしのこれらの御ことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」』ルカの福音書5:32主イエスは言った『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。』 マタイの福音書11:20『それから、イエスは、数々の力あるわざの行われた町の人々が悔い改めなかったので、責め始められた。』 32~33節,しかしBibleは...主イエスを信じて 神の子とされて、天国行きの特権を受けた人々であっても、神のみことばや真理を無視し続けて、全く悔い改めずに、周囲の人たちが 死にいくのを ただ傍観する人生に陥れば、神の特別待遇や死後の天国行きを約束出来ないと忠告しています。自分は 大丈夫、特別だと過信し過ぎないことが重要なのです。 第一サムエル記16:7『主なる神様は仰せられた。「人はうわべを見るが、わたしは人の心を見る。」』 マタイの福音書5:13『あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。』 32~33節,またBibleは、たとえ、人が立派な宗教心や道徳心を持って生きられたとしても、神のみことばを無視して悔い改めなかったり、隣人に、死後の天国行きの福音を宣べ伝える愛の使命を怠り続ければ、永遠に報われる幸福人生を手放すと預言します。福音宣教をうまく語れるか、うまく話せずに失敗するかが重要ではなく、周囲に滞りなく福音宣教したか、しないかが重要なポイントなのです。目を覚ましあいましょう。 また聖書は...神に選ばれし 特別なあなたが周囲の人々の天国行きの救いを、本気になって祈らなくては、また、大切なこの国の神の祝福を祈らなくては、やがて見えない敵や罪悪に振り回されて踏みつけられ、ただ 虚しく死んでいくだけだと、忠告します。人生は、誰でも終わりがやってきます。本気で、祈り続けましょう。 詩篇51:17『神へのいけにえは、砕かれた霊。 砕かれた、悔いた心です。 神よ。あなたは、それをさげすまれません。 』 32~33節,このように聖書は...Bible&Jesusのみことばを聞き流すだけの行いのない自己満足なご利益宗教は、今日から決別することを祈ることも重要だと教え説きます。あなたの神様は、あなたの生きる意味と使命感や悔い改めようとする本気度をチェックして、神様からの恩恵を振り分けられるからです。 34~37節,またBibleは、もし、あなたが主イエスの十字架の福音やみことばの大切さを 家族、親友、知人たちに証し伝えようとすると、皆から誤解されて煙たがられたり、一時的に敵対してしまうと預言します。なぜならBibleは、これらの誤解や迫害は、周囲を救い導くには、誰もが通らなくてはならない試練であると教え説くからです。周囲の人々を 永遠に救い導く為の試練を通り抜けるのに 必要なのは、Bible&Jesusへの信頼と、忍耐心だけなのです。あなたの神様は耐えられない試練を与えないからです。 第二テモテ1:7~8『神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。ですから、あなたは、主を証しすることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために教会の仲間たちと同じ苦しみをともにしてください。』 使徒の働き16:31『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族と仲間も救われます』 38~40節,また聖書は...神に救われたあなたは、どこに行っても、誰に対しても主イエスの十字架贖罪信仰による福音を証し伝えることを躊躇する必要がないと命じています。聖書は...Bible&Jesusのみことばを信じて、あきらめずに祈り、忍耐強く語り続けようとし続ければ、あなたの周囲の人々は救われると、約束するからです。あなたさえ本気になれば、あなたの大切な人々はみな、救われるのです。 しかし同時に,..Bibleは、主イエスの十字架贖罪信仰による福音宣教を 後回しにし続ける人は皆、永遠に報われる幸福人生に必要な聖霊力と隣人を救う愛力が減退してしまうと、忠告しています。目を醒まして、今日から福音宣教することへの考え過ぎや恐れは捨て去ることが重要なのです。あなたは、ただ周囲の人に福音を伝えるだげであり、人を救い、奇跡を起こされるのはあなたの神様だからです。 マタイの福音書5:17~18主イエスは言った『わたしが来たのは聖書の律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、全てを成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、聖書の律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』 41~42節,また聖書は、全てのBibleのみことばと預言メッセージは、必ず、全世界や全人生に成就すると教え説きます。もし、あなたが聖書のみことばや神の教会から語られるBibleメッセージを、まるで幼子のように 受け入れながら祈り、神の使命や真理を 生き様にしようとさえ尽力できれば、あなたの全ての祈りは聞かれて成就すると、預言するのです。Bible&Jesusを信じる者たちだけが、神の感動的な奇跡や永遠に報われる恩恵を手にするのです。 マルコの福音書4:20主イエスは言った『良い地に蒔かれる人とは、御ことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。』 41〜42節,あなたの人生と人間関係に現れる、神の感動的な奇跡や永遠に報われる幸福人生に期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たして、Bible&Jesusのみことばを信頼させて祈らせ、いつ どこででも、また誰にでも、主イエスの十字架の福音を、ただ忍耐して、証し続けられるように助け導いて下さい。 そうすれば、皆の人生と人間関係に神の感動的な奇跡や永遠に報われる幸福人生があらわれ出すからです!主イエスのお名前で 期待して祈ります。AMEN!!!
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