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マタイの福音書9:9~13

2019年3月1日(金) ディボーション聖句 マタイの福音書9:9~13 9イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。 10イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。 11すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」 12イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。 13『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 9節『マタイ』とは 神に選ばれし十二使徒の一人で、このマタイの福音書の著者と言われてるユダヤ人です。当時のユダヤ国(イスラエル)は、古代ローマ帝国の植民地であり、彼はその古代ローマ帝国の徴税人という職に就いていました。 9節,主イエスは 道中、このマタイをローマ帝国の収税所の前で福音宣教してから、すぐに聖職者としてスカウトしたのです。 尚、当時の古代ローマ帝国の収税人の仕事は、当時貧しかったユダヤ人達からは煙たがれる程、高収入かつ特権のある職種でした。しかしマタイは自国ユダヤ人達の苦労と貧困を目の当たりにしながら、経済ばかり追いかける毎日に 嫌気がさしていた為に、すぐに辞職して、主イエスの愛と福音宣教活動に賛同して、ついて行ったのです。 箴言11:28『自分の富と地位に拠り頼む者は倒れる。 しかし、主に拠り頼む正しい者は若葉のように芽を出す。』 第1テモテの手紙6:17~18『この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富と地位に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。また、隣人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えるように。』 9節,この時、イエスのみことば通りに ついて行ったマタイは、そのおかげだけで、ただの高額納税者から、約2000年経った今でも、世界的な偉人、クリスチャンや聖職者の模範として数えられるように生まれ変われたのです。そして聖書は 神に選ばれしあなたも、このマタイのように素直に、積極的に福音宣教や教会奉仕活動に参加し続ければ、誇り高き幸福人生を手に入れられると約束するのです。Bible&Jesusのみことば通りに、素直について行く者の人生は、必ず 永遠に報われ続けるのです。 ルカの福音書6:12~16『イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。すなわち、ペテロという名をいただいたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハネ、ピリポとバルトロマイ、マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと熱心党員と呼ばれるシモン、ヤコブの子ユダとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。』 マタイの福音書22:14(現代訳)『神に招かれる人は沢山いますが、選ばれる人、つまり神の好意を素直に受け取る人はごくわずかです。』 9節,またBibleは、神に選ばれし聖職者とクリスチャンとは、誰でもいい訳ではなく、神様からの特別な指名と才能を受けた人たちだと教え説きます。あなたも、神に選ばれし特別な人だということです。この神のご好意を素直に信じて みことば通りに生き続けようとする者は皆、いく倍も報われるのです。 10~11節,当時の『収税人』は、ローマ帝国政府から一つの地方の税金徴収権を買い取った、請負業務制でした。この税金徴収請負業務の権利はオークションにかけられて、最高入札者に売り渡され、その入札者たちが ローマ帝国政府 から要求される税額以上に税金を集めて、利潤をむさぼり、大儲けをしていたと言われています。その為、当時、貧しくて、敬虔なユダヤ教徒たちが主流だった ユダヤ社会は、贅沢三昧の収税人と不信仰で不道徳な罪人たちを 差別して嫌っていたのです。しかし、主イエスは正しい人々だけではなく、このような収税人や不信仰な罪人たちとも、差別なく会食して福音宣教していたのです。 Bibleは、差別意識が根付いていた、当時のユダヤ社会のように、片寄った 同類のタイプの人々だけと付き合わず、主イエスのように様々なタイプの人々と会食したり、福音宣教など、話す機会を大切に生きるように命じています。 あなたは、様々なタイプ、様々な年齢の人々と会食したり、福音宣教する人間関係を築いていますか? なぜなら聖書は...あなたが出会う 全ての人々には神様からの深いご計画や意図が隠されているので、苦手意識や差別をせず、全ての人々と建設的な人間関係を作り、滞りなく福音宣教すべきだと命じているからです。聖書は、そのような愛に満ちた人々に神の偉大な奇跡が任されると教え説くのです。あなたの神様は差別や派閥意識を忌み嫌う、愛なるお方なのです。肝に命じあいましょう。 ローマ信徒への手紙2:11『なぜなら、神にはえこひいきなどはないからです。』 ルカの福音書5:31~32『そこで、イエスは言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、人生に迷っている罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」 マタイの福音書11:19~20『人の子イエスが来て、人々と食べたり飲んだりしていると、『あれを見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言います。でも、みことばの知恵の正しいことは、その行いが証明します。」それから、イエスは、数々の力ある御わざの行われた町々の人々が悔い改めなかったので、責め始められた。』 11~13節,聖書は...この社会は、人の心の内,なかみよりも、貧富の差、見かけの良さ、地位、名誉、職業や学歴などで、人の魅力、正しさと存在価値までも 判断しがちで、誤っていると教え説きます。聖書は、そのような差別をし過ぎている人は皆、神の偉大な祝福を取り逃がすと忠告するのです。 あなたの人の判断基準は如何ですか? 第1サムエル記16:7『しかし主は仰せられた。「彼らの容貌や、背の高さなど、人の見せかけを見てはならない。わたしは彼らを退けている。わたしは人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」』 11~13節,しかし聖書で...あなたの神様は人を 職業や見せかけの良さや態度などでは評価しないと教え説きます。あなたの神様は人の心の在り方と信仰心や目立たない所で、何を考えて、どう祈りつつ、生きているのかを判断して、いつか ジャッジを下されるのです。しっかり胸に書き記して下さい。そして聖書で、世界人類の救い主イエスは、心の貧しい人々、人生に迷っている人々、罪責感や悲しみに捕らわれている人々、怒りと貪欲に支配されている人々、霊的に鈍感無知で 神信仰を持てない高慢な人など、いつか滅びるしかない人々の霊の目を醒まして救い、また悔い改めさせる為に来られたと教え説くのです。 ヨハネの福音書3:16~18『神は、実に、そのひとり子イエスをお与えになったほどに、世を愛された。それは御子イエスを信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子イエスによって世が救われるためである。御子イエスを信じる者はさばかれない。しかし、信じない者は神のひとり子の御名イエスを信じなかったので、すでにさばかれている。』 第1コリントの手紙1:18『十字架のみことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。』 ヤコブの手紙5:16『あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。そういう、義人の祈りは働くと、大きな力があります。』 13節『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』 またBibleは...あなたの神様は、どんなにあなたが、人生にさまよい、勘違いして、神様に対して高慢に罪深く、自分勝手に生きたとしても、あなたが滅びていくのを ただ黙って見過ごすようなお方ではないと、教え説きます。だから、あなたの神様はご自分の御子イエスキリストは、あなたを贖って救う為に、わざわざ十字架につけられて、贖罪させたと教え説くのです。主イエスの十字架贖罪信仰を信じて 礼拝し続ける者は皆、必ず救われるのです。ハレルヤ!AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、Bibleの言霊力の偉大さとJesusの十字架上の無限の愛力を 心底、悟らせて下さい。 そうすれば 皆、差別意識を捨て去り、数多くの人々に、滞りなく福音宣教をして、天国行きの洗礼者を獲得したできるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!   

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