2019年1月5日(土) ディボーション聖句 使徒の働き25:19〜24 19 ただ、彼と言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することであり、また、死んでしまったイエスという者のことで、そのイエスが生きているとパウロは主張しているのでした。 20 このような問題をどう取り調べたらよいか、私には見当がつかないので、彼に『エルサレムに上り、そこで、この事件について裁判を受けたいのか』と尋ねたところが、 21 パウロは、皇帝の判決を受けるまで保護してほしいと願い出たので、彼をカイザルのもとに送る時まで守っておくように、命じておきました。」 22 すると、アグリッパがフェストに、「私も、その男の話を聞きたいものです」と言ったので、フェストは、「では、明日お聞きください」と言った。 23 こういうわけで、翌日、アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えて到着し、千人隊長たちや市の首脳者たちにつき添われて講堂に入った。そのとき、フェストの命令によってパウロが連れて来られた。 24 そこで、フェストはこう言った。「アグリッパ王、ならびに、ここに同席の方々。ご覧ください。ユダヤ人がこぞって、一刻も生かしてはおけないと呼ばわり、エルサレムでも、ここでも、私に訴えて来たのは、この人のことです。」 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 19~24節,当時の数多くのユダヤ人たちは、旧約聖書の預言を勘違いしていまい、ただ旧約聖書のみことば通りに、神の御子Jesusの救いを 純粋に教え伝えている使徒パウロに対して宗教論争を仕掛け、告訴にまで発展させてしまいました。 あなたは聖書のみことばの解釈や預言を 誤り多きユダヤ人たちのように、自分の都合や社会常識ばかりで判断する傾向がありませんか? なぜなら聖書は、聖書のみことばの解釈が正しいかどうかは、自分一人で考え過ぎず、柔軟な気持ちで神の教会の聖職者や仲間たちに質問したり、証しシェアする習慣さえ築ければ、誤りを修正しやすくなると教え説くからです。自分の都合や社会常識で解釈し過ぎれば、聖書には落とし穴があるので、注意が必要なのです。しっかり 胸に書き記して下さい。 第一ペテロの手紙3:22『キリストは天に上り、御使いたち、および、全ての権威と権力を従えて、神の右の座におられます。』 また聖書は、この時神様は、当時、異教徒であったローマ帝国・ユダヤ地区総督フェストの権力を使って、使徒パウロを 聖書に反していたユダヤ王国領主・アグリッパ王やユダヤ人の権力者たちから守られたと教え説きます。たとえ信仰があったとしても、聖書の解釈を誤り過ぎれば、信仰は人生の落とし穴になるのです。肝にめいじあいましょう。 現代でも、宗教論争は世界平和や経済に、非常に悪い影響をもたらしており、テロや戦争の一番の要因ともなっています。神信仰なくして安定した経済は成り立たず、真の平和社会も成し得ないのが現状なのです。 あなたは神信仰なくして、安定した世界平和や経済発展が成し得ると勘違いしていませんか? Bible&メッセージを読みつつ、世界の現状、摂理を照らし合わせて思考することも大切です。 また聖書は...神の子とされた あなたは、愛するこの日本に永遠なる(人生と死についての)真理を教え伝える伝道者として神様に選ばれていると教え説いており、神のからだなる教会の仲間たちと、共に日本救霊と世界平和を祈る為に選ばれたと、教え説くのです。しっかり 胸の書き記して下さい。なぜなら聖書は、人生で一番大切な使命だと教え説くからです。 では『宗教』とは、一体何でしょうか... 宗教とは一般的には、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、その観念体系に基づいた教義、儀礼、施設、組織などを中心とした社会集団を意味します。 また聖書は、現代宗教は、それぞれの異なる教義(神学)や儀礼の仕方でぶつかり合って、結果、様々な教団教派の派閥を形成し過ぎてしまい、それぞれがまことの神信仰やその真理や摂理ではなく、個々の所属する組織や施設の拡大や維持のために多くの時間と費用を費やし過ぎて、純粋な信仰心よりも、政治的な組織を重んじて、Bibleの教える神信仰の定義とは、程遠くなっていると忠告しています。残念ながらJesus信仰にも、聖書の教えるみことばにあるとはいえない派閥的な教団教派が 乱立しているのです。しかし聖書、神の聖霊、Jesusは一つなはずなのです。 あなたはBible&Jesusのみことばよりも、自分一人の宗教論、宗教教団、教派の神学やルール、伝統を 重んじ過ぎることはありませんか? また、あなたは自己満足な孤立した宗教を していませんか? なぜなら聖書は、日々のBibleメッセージから、自身の信仰のあり方、周囲の信仰者との御霊の一致を 吟味することも大切だと教え説くからです。 また聖書は神信仰で何よりも大切なのは永遠に変わらないBibleのみことばであり、神の御子Jesusの十字架上の愛による救いだと教え説きます。神のみことばと福音宣教の使命を第1にすることで神愛と隣人愛への秩序を保ち続けなければ、人は皆、宗教論争で裁きあって、自滅してしまう危険性があるのです。目を覚ましあいましょう。 テトスの手紙3:8~11『信頼できるみことばについては、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。しかし、愚かな議論、系図、口論、聖書の律法についての論争などを避けなさい。それらは無益で、むだなものです。分派を起こす者は、一、二度戒めてから、除名しなさい。このような人は、あなたも知っているとおり、堕落しており、自分で悪いと知りながら罪を犯しているのです。』 このように聖書で...創造主なる神様は自分本位や自分の都合を主張する宗教論争者や、教団教派の政治にこだわり過ぎる人々は、天国から除名されるほどの罪を犯す可能性があり、神信仰の脱落者にもなり得ると忠告しています。聖書は、これら宗教組織、教団教派の乱立と政治的争いが、人々への宗教不信や、テロ戦争などの火種になっていると言っても過言ではないと、教え説くのです。 マタイ福音書5:9Jesusは言った。『平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。』 第一ヨハネの手紙4:8『愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。』 エペソの手紙4:5『主なる神は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。』 またBibleはJesus信仰はひとつであり、神は平和であり、神は愛そのものだと教え説いています。様々な意見が起きるのは当然ですが、まことのJesus信仰者は同じ方向を見出せると預言するのです。 人は皆、それぞれの神学、身勝手なプライドや伝統意識よりも、聖書に基づいた純粋な信仰心と平和的な愛を働かせた時に、真の平和や本物の神信仰が表れると、Bibleは教え説くのです。必要以上の教団教派意識や自分本位な神学論争、派閥意識は、ただの争いの火種に過ぎないのです。目を覚ましあいましょう。 また聖書は、まことの神信仰は、何よりも 神愛と隣人愛(救霊)を第一にした時に大きな良い実を結ぶと教え説いており、個人の主張、教団教派、宗教組織のルールと伝統ではなく、まことの神信仰は神様からのラブレターと言われるBibleのみことばを核にして、神のカラダの役割を果たす教会生活を軸にする生き様であると、教え説くのです。まことの神信仰のひな形を しっかり 胸に書き記して下さい。 エペソの手紙4:1~4『神に召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。神のからだは一つ、御霊は一つです。』 あなたとあなたの関わる教会に表れる、ただの宗教ではない、真の神の愛とみことばによる感動と奇跡に期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たして、自分本位な神学論争、教団教派の組織力、個人の主張、ご利益宗教意識よりも、何よりも神愛と隣人愛(Jesusの十字架の福音)を 大切に生きられるようにして下さい。 そうすれば 皆、神の力の表れない宗教ではなく、神のカラダとなれる教会を形成していき、神の平和と神の愛に満ちた感動的な人生の実を結べるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!
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