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使徒の働き20:17~21

2018年12月5日(水) ディボーション聖句 使徒の働き20:17~21 17 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。 18 彼らが集まって来たとき、パウロはこう言った。「皆さんは、私がアジヤに足を踏み入れた最初の日から、私がいつもどんなふうにあなたがたと過ごして来たか、よくご存じです。 19 私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えてきました。 20 益になることは、少しもためらわず、あなたがたに証しして知らせました。そして人々の前でも、家々でも、あなたがたにみことばを教え、 21 ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張しながら伝道してきたのです。 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 では聖句をあげてから説明します。 第一テモテの手紙5:17『よく指導の任に当たっている長老職者は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。』 第一ペテロ5:5『若い人たちよ。長老たちに従いなさい。そして、みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。』 ヨハネの黙示録4:10『神に選ばれた長老達は御座に着いているお方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝んだ。』 17節, Bibleの教える『長老』とはご年配など、高齢者たちを指す訳ではなく、神のからだとなる教会の聖職者や監督者たちをはじめとする、正式な按手礼を受けた主の働き人、聖書に精通している年配者たちのことを 意味します。按手礼とは聖書の基準から「長老(教会監督者)」にふさわしい人たちを任命して、正式な「長老職者」に任命する聖典の一つになるのです。教会の聖職者、長老たちは、正式にはこの按手礼を受けているのです。 また聖書は...世界人類の創造主なる神様は、この世で唯一、神のカラダの役割を果たす機関として「教会」制度を定め、教会内を治めさせる為に『長老職者』となる聖職者や教会長老たちを立てて、神の教会の秩序を守り、すべ治めるお方だと 教え説きます。世界人類の救世主Jesusは、神の教会は権力や多数決ではなく、聖書の神のみことばで統べ治めなければならないと、教え説いたのです。 あなたの関わる教会は、聖書のみことばで運営されていますか? それとも、根拠の乏しい社会常識と個々の価値観や多数決などで運営され過ぎていませんか? なぜなら聖書は、Jesusの教会は神のみことばで運営しなけれざ、存在の意味がなく、見えない敵や罪悪の宝庫になり変わる災いを招くと預言するからです。肝にめいじあいましょう。 第二コリントの手紙12:28『神は教会の中で人々を次のように任命されます。すなわち、第一に使徒、預言者、次に教師、それから奇蹟を行う者、それからいやしの賜物を持つ者、助ける者、治める者などです。』 そして聖書は、主なる神様の召しと選択なくして、神の教会をJesusのような聖霊力で治めたり、健全なみことばを教えられる長老職者にはなり得ないと預言します。神の召しや選択なくして、聖霊は働かれないと預言するのです。 あなたは、将来、長老や聖職者になるべく器ではありませんか? もし その可能性があるのなら、祈り備えることが大切です。神に選ばれし長老や聖職者になるべく人は、数多い神の御声と使命感や責任が伴い、神の召しに反抗しては永遠なる幸福人生は成り立たなくからです。何らかの神の使命や召しがないのか祈り、内なる聖霊に聞くことも重要なのです。 17~21節, この時、牧師や伝道師だけでなく、海外宣教師の勤めも果たしていたパウロは、このエペソ教会から様々なサポートを受けていた為、エペソ教会の監督者たちを集めて、自分達が どのような宣教旅行や牧会をして来たのか、また、どのようにJesusの聖霊力とみことば力が 自分たちに働いてきたのか、熱く証しして報告していました。 使徒の働き17:3使徒パウロは言った。『あなたがたは、キリストが苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならなかったことを説明し、また証しして、私が、あなたがたに伝えているこのイエスこそ、救い主だと論証するのです』 このようにBibleは...「神の子」とされた あなたは、神の御子Jesusこそが 永遠の救い主であることを 聖書のみことばを使って、周囲の人々に福音や真理を証しする為に選ばれて救われたと教え説きます。あなたが 周囲にJesusの十字架の福音を 証ししようとするからこそ、あなたの周囲の人々が 永遠なる神の赦しを受けられて救われる可能性が 生じるのです。この摂理と使命を受け入れるか、それとも受け入れずに、周囲の人々を 見捨てる 虚しい人生で終えるかは、あなたの選択次第です。 しかし聖書は...「神の子」とされた クリスチャンといえども、周囲の人々を 永遠に救おうとする福音宣教や天に宝を積む教会奉仕の使命を軽んじれば、永遠に報われる幸福人生や天国行きの確信を手放しやすく、聖霊による祈りの奇跡や天使たちの特別な味方を 手放す羽目になると預言します。周囲の隣人を 見捨ててまで、身勝手なご利益宗教に走り過ぎるクリスチャンたちに神の感動的な奇跡や天国行きを確信できる程の百倍の恩恵は任されないと預言するのです。肝に銘じてあい、目を覚ましあいましょう。 もしあなたが 周囲の人々に対しての福音宣教や天に宝を積む神の使命できていないのなら、今日から悔い改められるように祈りあいましょう。手遅れはないからです。 ヤコブの手紙2:20『ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。』福音宣教しないクリスチャンほど、虚しい人生はないからです。 マタイ福音書6:33『だから、神の国と神の義とを まず第一に求めなさい。そうすれば、あなたの必要な全てのものは与えられます。』 申命記20:4『あなたと共に行って、あなたのために、あなたの敵と戦い、勝利を得させてくださるのは、あなたの神、主である。』 この世の多くの人々は、仕事の成功、虚しい快楽、物質や富自体を追いかけ過ぎて、本来の自分らしさを 見失ってまで、必要な欲求を 満たそうとしています。しかし、それらが思い通りにいかなかったり、期待を裏切られたりすると、人生がうまくいかないと感じるようになって、非常に 大きなストレスと苦しみや敗北感を 背負うことになるのです。 しかし聖書は、それらが人生の勝利や幸福感の定義とはいえないと教え説きます。それらは、すべて 肉体の死とともに手放さなければならない虚像ばかりで、人は皆、死や病を 意識するようになると、富、快楽、権力、物質など、どれも殆ど役に立たなくなると、教え説くのです。 あなたは経済的成功、権力、物質や快楽ごと自体が、または、結婚生活が、揺るがぬ幸福感や人生の勝利に直結すると考える傾向がありませんか? この世の富、権力、物質、快楽を 数多く手に入れれば入れるほど、すべてを手放さなければならないことになる肉体の死や重病が起きる時、それらは絶望視する糧にしかないことを忘れずに生きることが大切だからです。聖書は、永遠に報われる幸福人生を築くには、死をも消化できる神信仰が必要不可欠だと教え説くのです。今感じている幸福感、生きる喜び、自由、平和を永遠にさせる為には神信仰を大切に生き抜くしかなし得ないのです。現実と真理に目を覚ましあいましょう。 ローマ信徒への手紙8:37『しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方イエスによって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。』 第一コリントの手紙15:57『わたしたちは神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに人生の勝利を与えてくださいました。』 第一ヨハネの手紙5:4~5『なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。人生に打ち勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者たちではありませんか。』 しかし聖書は、Jesus信仰を もてたあなたは、人生と死の意味と永遠なる真理を 悟り行えるチャンスに恵まれており、たとえ 大きな罪や過ちを犯したとしても、主イエスの十字架贖罪信仰のみことばに救われるので、何が起きても幸いに生きられるチャンスを神様から受けられていると預言します。聖書は、聖書信仰を生き様にしているクリスチャンは、たとえ死んでも、永遠なる神の国に移り住めるので、すでに永遠なる人生の勝利者、まことの成功者だ、教え説くのです。しっかり 胸に書き記して下さい。 あなたは、段々と神の国と神の義によるみことばを第一にする思考と生活習慣に変えられていき、何をしても永遠に報われるる幸福人生を歩める真の勝ち組になる為に神様から救われたのです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、周囲の数多くの人たちにJesusの十字架贖罪信仰による福音や真理を 証し伝える使命を 大切にできるように。そして何よりも、神の国と神の義なるみことばと神の愛を 大切にバランス良い思考と生活習慣を築けるように助け導いて下さい。 そうすれば、皆の周囲の大切な人たちが全員 天国行きの洗礼を受けて救われ出し、日々 聖霊の奇跡に守られながら、永遠に報われる幸福人生の道を歩み続けられるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!! 

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