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使徒の働き17:18~21

2018年11月11日(日) ディボーション聖句 使徒の働き17:18~21 18 エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。 19 そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。 20 私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」 21 アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。 [聖句メッセージ] 昨日の続きです。 18節,『エピクロス派』とは、古代ギリシャのヘレニズム期の哲学者・エピクロスが説いた、現実の苦しみや悩みから解放されて生きる為に、人生を快楽に多く費やすことを主張した快楽主義的な哲学思考。 箴言21:17『快楽を愛する者は貧しい人となり、 酒を愛する者は富むことがない。』 伝道者の書2:1~2『快楽を追いかけて、楽しんでみるがよい。しかし、快楽主義は、なんと虚しいことか。それがいったい何になろう。』 ルカ福音書8:14Jesusは預言した『この世の心づかいや、富や、快楽によって、心がふさがれる人達は、神様からの良い実が熟するまでには、いたりません。』 ヤコブ書4:3『あなたが神に願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。』 このようにBibleは、人生の現実は苦しみや試練が付きものであるのに、自分のしたいことや快楽を追求して生き続ければ、虚しい破滅的人生で終わるしかないと預言します。 このように聖書のみことばは胸を突き刺すような現実が書かれており、人生と死の意味と真理や真実が 明確に書き綴られているのです。 また聖書は...人生と死についての取扱説明書(神の知恵書)である聖書のみことばを スポンジのように吸収しながら、礼拝生活を大切に生き続ければ、永遠に揺るがない幸福感やまことの自由を手にするチャンスに恵まれると、約束するのです。 また聖書は、エピクロス哲学思考(快楽主義者)のように現実苦を 快楽や甘い言葉で逃避しようとすることは、神の恵みや永続的な幸福感を取り逃がす虚しい思考と生き方に過ぎないと教え説きます。やりたいことばかり優先させて生きる快楽主義の人生では、残酷な人生と死の終末がやってくると預言するのです。肝にめいじあいましょう。そして聖書のみことばは、永遠に報われる幸福人生への唯一の道だと教え説くのです。しっかり 胸に書き記して下さい。 第二テモテの手紙4:2~5『みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。というのは、人々が健全なみことばの教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教会の教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。』 またBibleは、多くの人々は、人生と死の意味や真理を知らずに もがき苦しんで生きているために、自分に都合の良いことばかりを言ってくれる仲間たちや教会を探したがりますが、それでは永遠に報われる幸福人生はなし得ないと、預言します。聖書のみことばは、どこの教会に行こうとも変わらない絶対的な真理で真実であり、また人間(仲間)に人間は救えず、たとえ、自分好みと空想論ばかり追求しても、的外れな不幸な人生の終わり、苦しい死の結末を背負いこむだけだと、忠告するのです。自分に都合の良い人ばかりで周囲を固めても、また他人や教会のせいばかりにしても、現実や死から逃げることはできず、何も問題は解決せずに破滅的人生を刈り取ると預言するのです。目を覚ましあいましょう。 あなたはJesus信仰があるといいながら、他人や教会の悪口を言って 他者のせいにして逃げたり、自分の都合で真理を曲げてしまって、不安な未来や死の恐れを背負い込んでいませんか? なぜならJesusは、聖書のみことばだけが、全人生と死の問題を 完全に解決できる、唯一の神の救いの道だと教え説かれたからです。聖書の真理に反して、神の教会と兄弟姉妹など、他人のせいにする人々の未来と死は暗雲に包まれるのです。楽な逃げ道、快楽主義に走って、ひどい倒れ方をしないように祈り、気をつけあいましょう。 尚『ストア派』とは、紀元前3世紀頃 キプロス島キティオン出身の哲学者ゼノンが説いたもので...人の破壊的な衝動は判断の誤りから生まれるが、道徳的と知的に長けた人達は、この種の破壊的な衝動に捕われることはないと教え説いた哲学思考。 このストア派は、人はよく学び、自らを律して知的になればなる程に、不幸かつ破壊的な人生を避けることができ、幸いな人生を築きやすいという哲学でした。しかし 根拠に乏しく、高慢に陥りやすい知的主義とも言われています。 伝道者の書12:12(現代訳)『よく注意しなければならないものは、聖書以外の書物である。それらのものを いくら追求しても、結局は疲れ果ててしまうだけだ。』 第一コリントの手紙3:19~20『なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かに過ぎないからです。神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕らえます。また、主は、知者の論議を 結局、無益だと教えます。』 19~20節, またBibleは、人の考える思考、体験談、学問、哲学などは、ある程度は人を賢くしますが、どれも限界があり、根拠も乏しいので、あまり熱中し過ぎずないように忠告しています。聖書は人間が創り出す思考、論理、経験談、学説、哲学は突きつめても永遠に報われる幸福人生はなし得るどころか、勘違いや高慢に陥りやすいので、永遠なる真理、世界人類の摂理と言われる「聖書」を 深く研究するように教え説いているのです。なぜなら聖書だけは、すべての問題を解決できる神の知恵、聖霊の言霊だからです。 神の御子Jesusは永遠に報われる幸福人生を生き抜くには、永遠に揺るがぬ真理、永遠なる摂理の書物「聖書」の知恵が 必要不可欠てまあり、聖書信仰による神の祝福も必要不可欠だと、教え説いたのです。人は皆、勤勉になれば知者になりやすいのですが、神の聖書から人生と死の意味と真理を悟りつつ、神の聖霊力(幸運)を祈り求めて生き続けなければ、結局は虚しい人生の結末、死を刈り取ると教え説くのです。 あなたは人生と死の意味、行き先、真理を はっきり つかめそうですか? なぜなら聖書は、人生と死の意味、行き先、真理を 掴めない人生と死は虚しく、不幸だと教え説くからです。しかしあなたは、聖書から人生と死の意味、使命、行き先、真理を 手に入れ、永遠に報われる幸福人生を築けると期待します。聖書のみことばをスポンジのように吸収しながら礼拝し続ければ、内なる聖霊は全てを助け導いて下さるからです。 19~21節, 古代ギリシャは短期間に文明が発達しており、ヨーロッパ全体の文明や学問に大きな影響を与えた大国であり、非常に優秀な学者、知者の多い国でもありました。 その為、当時のギリシャ人たちは優秀な学者たちの学説をよく知っており、様々な学問を学んでいたアテネの人々は、使徒パウロたちの教えるBibleのみことばや神学が どの学問よりも説得力のある教えだったので驚嘆し、非常に興味を持ったのです。聖書は、今でも世界一権威のある神の知恵の書と言われているのです。 第一コリントの手紙1:21『この世が、人間の知恵によって神を知ることが出来ないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、神に選ばれし者たちの宣教のことばと証しを通してだけ、信じる者を救おうと定められたのです。』 第二テモテ3:16『聖書はすべて、神の霊感によるもので、人生の教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益なのです。』 このように聖書は、全てが神の霊感で書かれている全人類の最高権威的書物であり、人間の学びや悟りでは、決して 手に入れることのない神の奇跡に満ちた「人生と死の取扱説明書」だと、言われています。 そして世界人類の救い主Jesusは、この神の知恵の書である『聖書』から、あなたの幸福人生に必要な神の知恵と預言を吸収しながら、神礼拝を大切に生きて信仰力と聖霊力を磨いて悔い改め続ければ、あなたにも永遠に報われる天国人生が勝ち取れると約束したのです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆の霊の目を開かせて、Bibleから正しい神知識と、人生と死の意味、使命、行き先を 悟らせ、内なる信仰力と聖霊力を 成長させて下さい。 そうすれば、皆の人生と死後に必要な全てが、永遠に満たされ続けるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!! 

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