2018年9月12日(水) ディボーション聖句 使徒の働き11:25~26 25 バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、 26 彼に会って、アンテオケに連れて来た。 [聖句メッセージ] 本日で、使徒の働き11章は終わりです。 では、聖句をあげてから説明します。 25節,この『バルナバ』という人は資産家であり、『サウロ』は裕福なユダヤ教の家系に育った若きエリート政治家の卵でもありました。このサウロは、後にJesus信仰に回心して救われた、伝説的な使徒パウロとなるのです。 そして神様は、この二人を選び、彼らの内なる聖霊のインスピレーションとみことばを通して、世界初のユダヤ人以外の「アンテオケ教会」の牧師となるように命じて、彼らは聖職者の道に専念することになり、世界人類に名を刻む牧師、使徒になり変わったのです。 あなたは、内なる聖霊からのインスピレーションや日々のみことばを 大切に生活していますか? なぜなら聖書は、日々のみことばからの内なるインスピレーションを大切に暮らせなければ、あなたへの神のご計画とビジョンや、永遠に報われる幸福人生を築くことは不可能だと預言するからです。聖書は、人は皆、創造主なる神様から与えられた人生を生き、また、死んでから神の御元に連れて行かれ、何を考えて、何をして生きてきたか、ジャッジされなければならない存在に過ぎないと教え説くからです。肝にめいじあいましょう。 エペソの手紙4:11~13『主イエスキリストご自身が、ある人を牧師また教師として、お立てになりました。それは、神に選ばれた聖徒たち一人一人を整えて、教会で奉仕の働きをさせ、神のからだを建て上げるためであり、ついに、神に選ばれた人達がみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの似姿までに達するためです。』 25~26節, このようにBibleは、Jesusの教会の牧師、聖書教師(神学博士)などの聖職者達は、実は殆どの人々が 神ご自身が召してさせる「天職」でもあると教え説きます。聖書は神の選びなくしては、まことの聖職者として良い実を結ぶことは不可能であり、長続きできないとも預言するのです。もし あなたが 教会の牧師と伝道師や聖職者か、その妻になるようなインスピレーションを 感じ取れるのなら、それは神様から聖職者としての召しを受けている可能性があります。そういう人がいるのなら、一人であれこれ考えまた思い悩まず、すぐに教会の仲間や聖職者たちに相談して祈ってもらうことも大切です。 また自分は聖職者は無理だと感じてあきらめている人も、でも神の働き人の召しを受けていると強く感じた時は、決して、一人考え過ぎずに、また意固地にならず、素直に従うことも幸福人生には必要なのです。なぜなら聖書は、人は皆、神の導きや召しに背く者や逃げる者たちは聖霊の幸福的奇跡や天職を 取り逃すことになり、神の導きや召しに素直に従う者たちは皆、聖霊の幸福的奇跡と天職の恵みが 任されると、教え説くからです。あなたの神様は、あなた自身よりも、あなたの特性と天職、幸福人生の道をご存知な全知全能なるお方。主なる神様からのみけとばとインスピレーションに、人生の舵取りを任せるくらいの気持ちがなければ、死をも超越した幸福人生は皆無なのです。しっかり 胸に書き記して下さい。 また聖書は、人間が神の御声や御心(ご計画)、いわゆる永遠に報われる幸福人生の道を知りたいのならば、決して、自分のやりたいことや自身の思考ばかり働かせては不可能だと、教え説きます。 あなたは、神の御声と御心(ご計画)、いわゆる永遠に悔いなき幸福人生を 祈り求める時、すでに祈る前から、自分自身で結論を 決めつけていたり、自分のその時にしたい方向性や答えが 神の御心や幸福人生の道だとは勘違いすることはありませんか? なぜなら聖書は、本物の内なる聖霊の御声と御心、いわゆる 永遠に報われる、悔いなき幸福人生の道を知りたいのならば、自分のいっときの欲望と意志を とりあえずリセットさせて、心霊を無にして祈り黙想し続けることが 重要なポイントだと教え説くからです。人は皆、自分のしたいこと、行きたい方向ばかり追求し過ぎでは、永遠に報われる幸福人生や天職での成功は皆無だと預言するのです。神のみことばはもちろん、信頼できる周囲の心からの助言に耳を貸せない人に永遠に報われる幸福人生は皆無なのです。目をさましあいましょう。 尚、聖書で神の働き人である「牧師」は数多くの神様からの直接的な御声(預言)や、神の御心の祈りを 任される特権があると教えますが、見えない敵からの攻撃や周囲からの誤解も受けやすいと教え説きます。また聖書で、神に選ばれしまことの聖職者の道は、人生で、数え切れないほどの奇跡や聖霊体験を受けられるエキサイティングな職業であると教え説きます。もし、あなたが聖職者の道が神の御声、永遠に報われる道だと、少しでも感じるなら、パウロ牧師のように牧師と建設業(天幕作り)など、二つの職を掛け持つことも全くありなので、神様からの聖職者の召しを感じる人は、牧師のイメージや型に捕われる必要もありません。なぜなら聖書は、神様があなたを聖職者として召していると感じるのなら、あなたの困った時に内なる聖霊はその時々に必要な神の御声や奇跡わ与えられると、約束するからです。 そしてBibleは、神に召された聖職者「牧師」とは神様に集められた人々に人生と死の真理である 聖書のみことばを教えながら 祈りでサポートしつつ、天に宝を積める教会奉仕の働きを任せ、この世界で唯一、神のカラダの役割りを許された教会を 建てあげるリーダーシップを取る使命があると教え説いています。教会の聖職者、牧師は、神のカラダなる教会の仲間たちを 同じ信仰とみことばの知識で一致させて、心一つに祈り合うことで神の特別な聖霊力を引き出させ、聖徒一人一人が永遠に報われる幸福人生の道を歩み、聖徒たちと愛の救霊活動をする神に選ばれし牧会の働きです。 マタイ福音書18:19~20『まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたし・イエスの名において集まる所には、わたし(イエス)もその中にいるからです』 このように聖書は、神に集められた教会の仲間たちが、同じ信仰知識とみことばの使命で一致して、真心から、信頼し合って祈り続ければ、いつしか 圧倒的な神の奇跡や祈り以上の応答、感動的なJesusのLoveが表れていくようになると、約束します。これが、今や世界中23億人以上とも言われている洗礼者を生み出せた、キリスト教会の愛の奇跡なのです。 あなたは教会の仲間たちと同じ信仰、同じみことばからの使命で一致しようと祈っていますか? それとも、自分の願いごとばかり追求し過ぎていませんか? なぜなら聖書は、神の権威が任された教会のビジョン、使命から離れた クリスチャンの祈祷力や聖霊力は乏しく、虚しい刈り取りがあると預言するからです。神のからだなる教会礼拝や使命から離れ過ぎて、神の教会のみことばから示された使命で一致しようとしなくては、不可能を可能にできる神の偉大な教会力、見えない敵を退け、奇跡を呼び込める祈祷力はなし得ないと、預言するのです。目をさましあいましょう。 あなたがあなたの関わる教会を通して、不可能を可能にできる神の教会力、必要な奇跡や天国行きの救霊者を刈り取れる 愛に満ちた祈祷力が任されると期待します。神の教会とみことばからの使命、ビジョンに参加協力し続ける人は皆、永遠にいく倍も報われ続けるからです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、自我の思考と欲望ばかりではなく、神の教会から語られるBibleのみことばからの使命とビジョンを通して、本物の神の御声と御心(永遠に報われる幸福人生の術)を掴み取り、それを人生に具体的に表現できるように助け導いて下さい。 そうすれば、皆と関わる教会の仲間たちが 同じ信仰とみことばで一致しだして、心一つに祈れるようになり、不可能が可能になれる教会祈祷力や、大切な家族や仲間たちを救い、また永遠に報われる幸福人生の道を歩み続けられる聖霊の満たしを受け続けられるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!
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