2018年6月13日(水) ディボーション聖句 使徒の働き3:1〜8 1 ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。 2 すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。 3 彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。 4 ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。 5 男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。 6 すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、 7 彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、 8 おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。』 [聖句メッセージ] 今日から使徒の働きは3章です。 1節『午後の祈りの時に宮に上って行った』とは...ユダヤ教は、基本的に朝の祈りと午後三時の祈りや夜の祈りなど、一日に三回の祈りの時をもつことが 定められています。また、旧約聖書の一部を聖典としているイスラム教でも、祈りは一日に三回で、日の出前、日中、日没後、と定められているのです。
また聖書は、祈る時はかしこまり過ぎず、心の中でもよいので、絶えず 父なる神様と会話するように、内なる聖霊様に祈った方が報われると教え説くのです。内なる聖霊様と親しく交わるように、数多くの時間を使って会話するように祈る人々の祈りは報われやすいのです。祈りとは窮屈で、退屈な作業ではありません。人生最高のライフラインとなるのです。しっかり 胸に書き記して下さい。
そしてこの時、使徒ペテロたちはユダヤ教徒たちが 毎日午後三時に祈りの習慣を持っていた為、同じ旧約聖書を信じるユダヤ教徒たちの気持ちを察してあげて、またユダヤ教徒たちを 一人でも多く救う為に、共に祈りを 捧げていたのです。 このようにBibleは 人を救う福音を伝える為なら、周囲の人々に合わせてあげられる隣人愛と配慮も重要だと、教え説きます。聖書のみことばから、どこまで配慮すべきか、また配慮し過ぎて罪悪や誘惑に陥らぬように吟味することも重要なのです。 あなたは大切なご家族や友人たちを一人でも多く天国に救い導く為、また神の救いを強められる洗礼を教え勧める為に、口先だけでない、隣人愛とみことばに伴う配慮を 心掛けて生活していますか?
なぜなら聖書は、真理に背く行き過ぎた気遣いや配慮はいけませんが 真理を基準た 出来る限りの隣人愛と配慮を施し続ければ、あなたの大切な人々を天国に救い導くことや洗礼に導くこともなし得ると、預言するからです。 第一コリントの手紙9:19~20使徒パウロは言った。『私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。』 第一テサロニケの手紙5:17『絶えず祈りなさい。』 このように聖書は、神の御子Jesusの十字架贖罪信仰により特別な神の子とされているクリスチャンたちは、他の宗教のように祈る時にわざとらしい形式を意識したり、かしこまり過ぎる必要はなく、時間の制約もないと教え説きます。神の御子Jesusの十字架贖罪信仰による神の国の特権を受けられた人は皆、神様と愛する家族や親友のように、いつ どこででも絶えず会話するように祈れるパイプや自由が 与えられていると、教え説くのです。神の御子Jesusのお名前を使う祈りとは、父なる神様との特別な架け橋、コネクションとなるのです。
あなたは、内なる神様と深いコミュニケーションを取るような祈りの時間を 大切に設けられていますか?
なぜなら聖書は、Jesusのお名前の祈りとは人生最大の武器、多用する者は必ずいく倍も報われると約束するからです。 尚 Bibleで「祈り」とは、神様との直接的なコミュニケーション手段であり、人生の最高な保険でもあると教え説きます。Jesusのお名前で祈る者の人生に、みことばの保証が適用されるのです。 聖書はあなたが JESUSの名前を呼んで、神様に祈る 所々 どこででも、またどんな時も、あなたの神様はあなたの物事や問題に介入して、全てを最善に助け導いて下さると、約束してくれます。 祈らない人生は知らぬ間に損害を招くと、預言するのです。そして聖書は、この祈りを 大切に生きる者たちだけが、強烈な聖霊の奇跡や不思議な助けを引き出せると預言するのです。しっかり 胸に書き記して下さい。 2~3節,「美しの門」とは、礼拝堂(祈りの家)に行く為の入口にある門。 そして このとき、生まれつき足の不自由な人は、この門の前で、いつも信仰深い人々から募金を集めて生活していたのです。また、この足の不自由な人は、使徒ペテロとヨハネからも募金をもらおうと、彼らに近づいて来ました。 4〜5節,しかし 使徒ペテロたちは、この足の不自由な人に、お金を渡さず、それよりも、もっと、あなたの人生の祝福と糧になるモノを与えようと語りだし、Jesusの福音のみことばと癒しの祈りを施したのです。 お金も大切ですが、Jesusのみことばと福音は永遠なる幸福人生を獲得できる糧となり、祈りは将来の必要や癒しを生み出せる糧になるからです。聖書は、お金だけで解決できない物事も多々あると教え説くのです。 6節,「金銀は私にはない」とは...この時の使徒ペテロやヨハネたちは天に宝を積む為と人を救う説得力の為に、あえて給料賃金を受け取らずに、教会(クリスチャン達)から生きる為の食物と必要経費や生活必需品などの献品を受け取りながら生活をしていたので、この時は他人に与える程のお金も 持ち合わせていなかったのでした。しかし、その代わりに使徒ペテロとヨハネは 心を一つにして、この足の不自由な人の癒しや必要の為に、主イエスのお名前で以下のように祈ってあげたのです。「イエスキリストのお名前で祈ります。今すぐ、歩きなさい。Amen!」すると、奇跡的な神の癒しが起こり始めたのでした。 7〜8節, この時、使徒ペテロとヨハネが心一つに祈ると、この生まれつきの足の不自由な人に聖霊が触れられて、彼は 生まれて始めて、大地を踏みしめ踊るように、歩き出しました。そして彼は神様にほめ歌を歌いながら、礼拝に歩いて行ったのです。 このように聖書は、神礼拝やみことばを大切に守ろうと尽力する人々は聖霊に満たされていき、そのようなクリスチャンの祈りは、時に、医学では説明出来ない程の奇跡的な癒しが 起こると預言しています。あなたの日々の信仰生活次第では奇跡的な癒しが起こる可能性があることを 忘れないで下さい。歴史を紐解くと、このJesusのお名前の奇跡的な祈祷力に 驚かされた多くの人々が、Bibleを世界中に言い広める働きを担って来ました。神の教会の聖職者とみことばを大切に生きているクリスチャンたちの祈祷力には神の感動的な奇跡や超自然的な癒しが期待できるのです。あなたの教会の祈りの奇跡に期待します。 マルコ福音書11:27『だから、あなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。』 そして聖書で 癒し主・Jesusは、聖霊が強く働く奇跡的な癒しを引き出す為の祈りの心構えについて、以下のようにアドバイスしてくれました。 聖書は、神の奇跡を生み出せる祈祷力に必要なのは、Jesusのお名前で祈ったことは、必ず そうなると100%信じ切り、先取りの感謝を捧げながら、ただ 神様を信頼して待つ心構えと姿勢が重要だと、教え説いています。神礼拝とみことばを大切に守ろうと尽力して、祈りは必ず聞かれると信じ期待していれば、誰でも、神の奇跡を起こせる程の聖霊力や祈祷力を 引き出せると、教え説いたのです。 聖書は、もし、今のあなたや大切な人々に神の奇跡や超自然的なな癒しや聖霊の不思議な助け、追い風が 必要ならば、神礼拝とみことばを大切にしながら、いつもJesusのお名前を信じて祈り、先取りの感謝をしながら、ひたすら期待して待ち続ければ、必ず報われると預言するのです。そして聖書は、毎日のBibleのみことばを できる限り、言葉や行動に表して生活して生き続ければ、どんな奇跡さえも起こせる聖霊力や祈祷力が任されると預言するのです。
あなたも神礼拝とみことばを大切に生きる生活習慣に整えられていき、近い将来、あなたの祈りを通して聖霊の感動的な奇跡と超自然的な癒しや圧倒的な成功、勝利、繁栄、回復が起こると期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を 聖霊に満たされるような心霊と生活習慣に整え、,主イエスのお名前で祈る事は,必ず成就するんだという揺るがない確信と尽きぬ期待感を増し加えて下さい。 そうすれば 皆、聖霊の感動的な奇跡、超自然的な癒し、圧倒的な繁栄、勝利、成功、回復や情熱的な愛力をも引き出せるからです!主イエスのお名前で 期待して祈ります。AMEN‼︎!