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使徒の働き1:20~26

2018年6月2日(土) ディボーション聖句 使徒の働き1:20~26 20 実は詩篇には、こう書いてあるのです。「彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ。」また、「その職は、ほかの人に取らせよ。」 21 ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、 22 すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」 23 そこで、彼らは、バルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた。 24 そして、こう祈った。「すべての人の心を知っておられる主よ。 25 この務めと使徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちのどちらをお選びになるか、お示しください。ユダは自分のところへ行くために脱落して行きましたから。」 26 そしてふたりのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられた。』 [聖句メッセージ]

今日で,使徒の働きの1章は終わりです。 聖書は、父なる神様が唯一認める世界人類の神の預言的書物と言われています。

また聖書は、熱心に神に祈り求め、人生と死の意味と真理を探し、神の国を叩き続ける者たちに、あなたの内なる聖霊はBibleを通して、永遠なる幸福人生に必要な預言と約束を与える神の書物だと言われているのです。 20節,『彼』とは、使徒ユダのこと。

このようにBibleは、救い主Jesusを銀貨30枚と権力欲しさで裏切った 使徒ユダの事も預言していました。そして聖書は神の救い主Jesusを裏切ったユダは、生まれてこない方が良かったとまで表現されています。聖書は、神様とそのみことばに敵対する人の人生は、永遠の悲劇を生むと預言するのです。しかし聖書は、Bible&Jesusのみことば 信じて従おうとする あなたは、神の救い主Jesusのおかげで、永遠なる幸いのチャンスを手に入れたと約束するのです。あなたの未来と死後の幸福は信仰生活と姿勢、その生き様次第だと教え説くのです。目をさましあいましょう。

またBibleは、人がどう思考して生活すれば アンラッキーになり、また どう思考して生活していけば、いつも神様の幸運や恵みを引き出しやすいかを はっきり預言してくれます。日々のBibleのみことばをスポンジのように蓄え、悪霊や悲運を遠ざける思考と生き方や、神様の幸運と奇跡を数多く獲得出来る人生設計を 吟味しつつ、誤っても悔い改め続ければ報われると教え説くのです。胸に書き記して下さい。

しかしBibleは...使徒ユダのように、BibleとJesusのみことばに反抗してしまい、神愛や隣人愛を軽視して、自分の富と快楽を大切にしすぎる人生を築いていけば、やがて 人生は荒れ果てていき、その人の未来や死後は悲劇だと預言するのです。肝にめいじあいましょう。 20〜22節『その職はほかの人に取らせよ』の『その職』とは、ユダが行っていた 神の使徒職。裏切ったユダの代わりの奉仕者を 新しく選び直しなさいという意味があります。

このように聖書は、天に宝を積む奉仕は重要な働きのため、ユダのように奉仕者が裏切ったり、やめてしまえば、代わりに誰かが補うようにと教え説くのです。なぜなら聖書は、天に宝を積む奉仕や福音宣教活動なくして、未来や死後の確固たる幸運や恩恵は成し得ないと、教え説くからです。神の国においては 経済活動の仕事よりも、神の愛の奉仕活動の方が いく倍も大切だからです。

尚 使徒ユダは、かつては 神に選ばれし優秀な奉仕者であり、救霊・宣教活動の経理担当責任者でもありました。使徒ユダは、数千人をも養える程、大きな献金の管理を任されていき、段々と富の力や経済活動と快楽の魅力に取り憑かれてしまい、何よりも大切な人を救う教会奉仕やJesusたちとの友愛から外れてしまって、彼は、結果 天職と親友や永遠なる救いまで、すべて失ってしまったのです。

あなたは、経済活動の仕事、教会奉仕、家族とのコミュニケーション、自分のしたい事など、生活のバランスが 良くとれていますか?

なぜなら聖書は、永遠に報われる幸福人生を築くには、これら四つの生活バランスが非常に重要だと教え説くからです。 ローマ信徒への手紙12:3使徒パウロは言った。『私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。』 このようにBibleは、使徒ユダのように神に任された特別な才能と富を 過信し過ぎて、自分の能力と恵みで 思い上がらないようにと、忠告しています。人は皆、死んでしまえば、神の御元に連れていかれてから ジャッジされるので、自分勝手な生活を築いて調子に乗り過ぎないように。また、人は皆、所詮、大差などなく、いくらでも代わりの人材がいると、忠告しているのです。目をさましあいましょう。 ローマ信徒への手紙12:16『互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。』 あなたは自分の恵みや能力が、人よりも勝っていると過信し過ぎることはありませんか? なぜなら聖書は、おごりの心は禁物だと教え説くからです。 マタイ福音書6:24『主イエスは言われた。「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」』 また聖書は...人は皆、富を生み出す経済活動や快楽を追求すると、見えない敵(サタン、悪霊)の奴隷となり、本来の自分らしさや人生の意味と真理やまことの夢まで見失い、神の救いや永遠なる幸福感さえ手放してしまうと、預言します。永遠なる幸福感を手に入れるのに大切なのは、神信仰と隣人愛と自分のしたい事や人間が守るべき真理を バランス良く意識しながら生活することが問われるからです。肝にめいじあいましょう。 第2コリントの手紙12:9『「主の恵みは、あなたに十分である。というのは、主の力は、あなたの弱さのうちに完全に現れるからである。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」』 また聖書は、12使徒たちのように 大した学歴がなく、また経験や力不足だとしても、みことばの約束を 信じる大胆さを持って、内なる聖霊に期待しながら、天に宝を積む奉仕や様々な役割りを しっかり果たそうと祈れば、あなたにできない奉仕や仕事もほとんどない、何とかなるモノだと教え諭してくれます。

あなたは 自分にはできない、やりたくないと、天に宝を積む奉仕や やるべき仕事を 逃げる傾向はありませんか?

なぜなら聖書は、天に宝を積む教会奉仕や やるべき仕事を 怠り続ければ、永遠に報われる幸福人生など成り立たないと、預言するからです。あなたに できない役割や奉仕を 神様は与えないのです。胸に書き記してください。 23~26節, この時、奉仕者ユダの後継者は まずリーダーの資質のある「ユスト」と「マッテヤ」を選んでから、皆で祈りクジ引きで決定しました。聖書は、人は 前向きなヤル気と、誠実さ、ある程度の謙遜さと、そこそこの信仰や自信さえ持てれば、人の能力には、さほど大差がなくなると教え説いています。だからこの時、これから世界中に影響を与える 大切な神の使徒(リーダー)を決めるのに個々の能力だけではなく、くじ引き(神の幸運力)で決めたのです。 もし、あなたも大変な奉仕や自信のない役職を任される時は、逃げずに、聖霊の力と助けを祈り求めることが重要です。なぜなら聖書は、大変な奉仕や自信の持てない役割を 逃げず、祈りつつベストを尽くした方が 神の祝福や幸運を受けられやすく、結果、いく倍も報われやすいと預言するからです。

更にあなたが 大変な奉仕や やるべき役割を 断らず、祈りチャレンジするようになって、今までよりも、いく倍も報われる幸福人生になり変われると期待します。天に宝を積む愛の奉仕者たちは、必ず、いく倍も報われ続けるからです。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たして、自分のしたいこと、家族とのコミュニケーション、営利活動や天に宝を積む奉仕活動を バランスよく しっかりこなせるように助け導いて下さい。 そうすれば 皆、今までよりも、いく倍も報われる幸福人生を築けるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!

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