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ローマ信徒への手紙14:14~19

2018年5月15日(火)

ディボーション聖句

ローマ信徒への手紙14:14~19

14

主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。

15

もし、食べ物のことで、あなたの兄弟姉妹が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。

16

ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。

17

なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、神の義と平和と聖霊による喜びだからです。

18

このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。

19

そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。

[聖句メッセージ]

昨日の続きです。

では、聖句をあげてから説明します。

マタイ福音書7:18~21『イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人に入って来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。そのような物は、人の心には、入らないで、腹に入り、そして、やがて、かわやに出されてしまうのです。」イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。』

14~15節,このように神の御子Jesusは、ユダヤ教や他宗教の人々が食べて良い物(清い食べ物)と、食べない方が良い汚れた食物を 区別して制限するのを見て、食べて無害な食物ならば、全てが神の恵みとな変わり、父なる神様に感謝して食すれば、すべてが清い食物になると教え説きました。

実際、世界5大宗教のキリスト教以外のイスラム教、ユダヤ教などは甲殻類や豚肉などは食してはならず、正式の仏教やヒンドゥー教は肉類を食してはいけません。これらが正統的な教えであり、これらを食べれば汚れたり、何らかの罰を刈り取る羽目になると教え説くのです。

あなたはJesus信仰以外(キリスト教徒)の世界5大宗教(イスラム教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教)の教えには、食べると汚れたり、食べると いつかバチなどを受けてしまう食物が 沢山あったことをご存知でしたか?

しかし聖書は、神の御子Jesusが十字架上で流された血潮とその身代わりの贖罪信仰には、キリスト信徒たちのすべての食物や持ち物までも清められる神の力が 備わっていると約束するのです。Jesus信仰者だけは何を食べても、バチや汚れを受けないで済むと、約束するのです。しっかり 胸に書き記して下さい。

マタイ福音書7:22~23『またイエスは言われた。「食物よりも、人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものが人を汚します。それは悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から人のことばとなって口から出て、人を汚すのです。」』

15~16節,そして神の御子Jesusは、人を汚すものは食物ではなく、何よりも、人の口から出る毒づいた言葉、悪意や悪口に満ちた言霊だと教え諭されました。Bibleは、人は皆、多かれ少なかれ、心にある罪悪(怒り、うそ、憎しみ、偽善、貪欲、嫉妬、好色、高慢、不信仰)に満ちた人を汚す言葉の毒を 吐くと教え説いているのです。

あなたは自分や周囲の人生を傷つけ、汚す言葉を 話したことはないと言えますか?

なぜなら聖書は、あなたの話す言葉の内容によっては、神の祝福や永遠なる恩恵を手放す恐れがあると、忠告するからです。聖書は人が語ると呪い、悪運、悪霊を招く言葉の種類や、人が語ると神の幸運と祝福や永遠なる恩恵を呼び込める内容について、具体的に書き記された言霊の書物。聖書は神の清い言霊力を 口にする人は皆、永遠にいく倍も報われますが、汚れた言葉を使って悔い改めしようとしない人は皆、人生の損益や、いつか神の裁きを刈り取ると預言するのです。肝にめいじあいましょう。

また聖書は、神の御子Jesusの十字架上の身代わりの贖罪信仰と、父なる神の聖なるみことばは、人の語る言葉の罪悪(毒と汚れ)を清められる唯一の希望であると教え説きました。胸に書き記して下さい。

第一コリントの手紙13:1『人の語る言葉に愛がないのなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。』

そしてBibleは、相手への思いやりのない言葉と、神の真理と愛に反する愚かな言葉使いは、自らを汚し、傷つけ、また聞く人の心を汚したり、傷つける作用があり、それらの悪いことばは、結果、自分や周囲の徳と幸運を引き下げる悪い効力があると忠告しています。人に語ったりアドバイスする時は、自分の心を大切に取り扱うように慎重に語るべきなのです。

箴言13:13~14『みことばをさげすむ者は身を滅ぼし、みことばの命令を敬う者は良い報いを受ける。御言葉の知恵のある者のことばと教えはいのちの泉、これによって、人は皆、死のわなをのがれることができる。』

箴言14:7『愚かな者の前を離れ去れ。 みことばの知識の言葉はそこにはない。』

箴言6:2『あなたの口の誤ったことばによって、 あなた自身が人生のわなにかかり、 あなたの口の愚かなことばによって、 あなたは敵に捕らえられる。』

コロサイの手紙3:8~10『あなたがたは怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。また、互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、キリストによる新しい人を着たのです。新しい人は、造り主イエスのかたちに似せられて、ますます新しくされ、真の神知識に至るのです。』

16節,そして聖書は、日々のBibleのみことばを大切に吸収して 実践適用しようとする人は皆、自らと周囲の人々の徳を 高められる知識と話術を身につけられるようになり、段々と神の御子Jesusののような品性と神の奇跡や救霊できる聖霊力を養い育てられると、約束します。日々のBibleのみことばを しっかり蓄え、素直に実践適用し続けようとする人は皆、必ず、永遠にいく倍も報われる言霊力と話術を獲得できるのです。

マタイ福音書22:30Jesusは言った。『復活して天国に行く時には、人は食べることもなく、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。』

17~19節,また聖書は、人が皆、肉体の死を迎えて天国に移される時は、今までの肉体ではなく、新しい永遠なる霊的カラダが与えられるので、神の国では、この世界の食事や結婚などの快楽と恵みの仕方ではなく、新たに、今よりも素晴らしい霊的な快楽の喜びと愛の恵みが待っていると預言しています。神の御子Jesusの十字架贖罪信仰を信じて、日々のみことばで悔い改め続けようとしている 教会の兄弟姉妹たちは、肉体の死後、神様や天使のような新たな霊的カラダが与えられ、この世界とは比べものにならない程にすばらしい永遠の神の国人生が始まると、約束するのです。

聖書で、神の御子Jesusは、人は皆、肉体の死が 生命の最期ではなく、死後に神の御もとに連れていかれてからが、永遠なる人生の始まりになると、教え説きます。肉体の死とは、永遠の命に満たされた天国人生の始まりになれるのか、永遠なる地獄の始まりのどちらかのスタートに過ぎないと預言するのです。しっかり 胸に書き記して下さい。

第二テモテの手紙3:16~17『聖書はすべて、神の霊感で書かれており、すべての人生の教えと戒めと矯正と神の義の霊的訓練とのために有益です。それは、神に選ばれた人が、すべての人生の良い働きのために、ふさわしい十分に整えられた者となるためです。』

また聖書は、世界人類の支配者である神様は、「神の子」とされた あなたを みことばで整え、何をしても報われる 永遠の幸福人生に造り変えるために、そして神の認める まことのより良い社会形成をするために、Bibleのみことばと教会制度を設けられたと、教え説いています。

あなたの生き様に神の御子Jesusのような品性や、あなたの関わる教会から偉大な神の奇跡が表れることを 期待します。AMEN

(祈り)

主なる神様、皆を聖霊に満たして霊の目を開かせ、神のみことばの絶対さと永遠の天国人生の希望や喜びを 確信させてください。

そうすれば 皆、日々のBibleのみことばを通して、神の御子Jesusのような品性を手に入れ、人を救える聖霊力や見えない敵に打ち勝ち、不可能を可能にさせられる教会祈祷力を 引き出せるからです!主イエスのお名前で 期待して祈ります。AMEN!!!

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