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ローマ信徒への手紙14:1~4

2018年5月12日(土) ディボーション聖句 ローマ信徒への手紙14:1~4 1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見を裁いてはいけません。 2 何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。 3 食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。 4 あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。 [聖句メッセージ] 本日からローマ信徒への手紙は14章です。 では、聖句をあげてから説明します。 第一コリントの手紙9:22『使徒パウロは信仰の弱い人々に対しては、自らも弱い者のように振る舞いました。それは、弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなるように心掛けました。それは、何とかして、幾人かでも霊的に無知な人と弱い人を救うためです。』 1節,このようにBibleは、見えない敵(サタン、悪霊)と自分の欲望や本能に支配されてしまっている為に、神のみことばやまことの愛の大切さを教え説かれても自らの罪悪と過ちに気づけず、頑固で悔い改められない人は皆、霊的に無知な人たちであり、信仰の弱い人たちだと教え説きます。神のみことばを聞いて目が醒め、永遠に報われて生きられる人たちもいれば、見えない悪霊や罪の虜にされて、霊的に眠り続ける苦労人も存在していると、教え説くのです。 あなたは、みことばを聞かされるとき、大部分が理解できる 霊の目が醒めている人ですか? なぜなら聖書は、みことばを理解してアクションできる人たちは、霊的に目が開かれている知者に生まれ変われた神の子だと、教え説くからです。聖書のみことばは、見えない敵(悪霊)や罪に支配されて 霊的に眠っている人なのか。聖霊に気づいて神のみことばを理解して実行できる人なのか、見極められる神様からの幸福人生の判別書。聖霊からのみことばに霊の目を開いて気づけるように、祈り求めることも重要なのです。 また聖書は、Bibleのみことばを聞いても、頑固で、ほとんど悔い改めようとしない人は皆、見えない敵(サタン、悪霊)や罪に支配されて状況でもある為、祈り以上の奇跡や周囲の人々の天国行きを刈り取れない苦労を強いられると預言します。見えない敵や罪の支配から霊の目が開かれて、みことばを実践適用できるように、一人でも大切な人々を救い導けるように、祈り求めることも重要なのです。しっかり 胸に書き記して下さい。 しかし聖書は信仰の弱い人々を 救い出す為にも、こういう信仰の未熟な人々や霊的に眠っている人々を裁いて見捨てないように、祈りつつ忍耐しながら福音や真理を教え続けてあげるように、命じています。そうすれば、いつか霊の目が開かれていく人も起こされると、預言するからです。 あなたは信仰の弱い人々や見えない敵や罪の支配で霊的に眠っている人々を さげすんで怒ったり、裁いて、見捨てる傾向はありませんか? なぜなら聖書は、こういう信仰の未熟な、霊的に眠っている頑固な人たちは、あなたが裁かなくとも自滅してしまうので、決して、見捨てて裁いてはならないと、教え説くからです。聖書は、真理であるみことばを 教えても伝わらない霊的に盲目な人々は、人生の試練や死の穴に落ちて、破滅してしまうので、哀れんで赦してあげるように、そして 冷たく見捨てずに祈り、福音宣教や真理教育をし続けるように命じているのです。 コロサイの手紙1:11『あなたがは神の栄光ある権能に従い、聖霊の力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くして、みことばを守るように教えなさい。』 また聖書は、霊的に眠っている人々や、自らの欲望や敵の誘惑に支配されているかたくなな人々に対して、神の福音と真理を教え諭すのに必要なのは忍耐力と寛容さだと、教え説きます。信仰が弱くて、霊的に眠っている隣人たちを裁かない忍耐力と天国に救い導こうとする寛容と聖霊力を祈り求める姿勢が重要なのです。あなたに与えられる Jesus(主イエス)のような忍耐力と寛容さに期待します。 1節,聖書の『裁く』という意味とは... 一番目。他人のした物事の是非を みことば(真理)によらずして、自己判断だけで白黒 明らかにさせようとする事。 二番目。はっきりと分からない複雑な物事であるのに、白黒 一方的に決めつけて、他人を責めたてること。また、いくら 福音宣教や真理教育をしても、この人は伝わらず、救われることはないと、安易に見捨ててしまうこと。 三番目。他人の罪悪や過ちを一方的に訴えたり、明るみに出して見せしめにしようとする事...などの意味を持ちます。 箴言19:20『神のしもべの忠告を聞き、みことばの訓戒を受け入れよ。 そうすれば、あなたはあとで神の知恵を得よう。』 また聖書は、聖書や教会から語られるBibleのみことば(真理)を用いて、Jesusや使徒たちのように周囲に忠告と叱責をする事は大切な愛の労だと、教え説きます。愛のない人は、他人が救われて幸福になれる為に、必死で、福音宣教や真理教育などはできないと、教え説くのです。 しかし聖書は、必要以上に他人を裁いて見下すように責め立てたり、「あの人は何を言っても無駄だ」などと冷たい傍観者になって、他人を裁いて見捨てることをしてはならないと、教え説きます。なぜなら聖書は、他人に福音や真理を教え諭そうとすることに無関心な人々や救霊に無関心な冷たい人に、神様からの大きな報いと奇跡や永遠なる幸福人生などあり得ないと、忠告するからです。注意し合いましょう。 ローマ信徒への手紙3:10~12『「完全に正しい義人はいない。ひとりもいない。完璧に悟りのある人もいない。すべての人が人生に迷い、みな、ともに無益な者となっている。真心からの善を行う人もいない。ひとりもいない。」』 第二コリントの手紙5:10『なぜなら、私たちはみな、肉体の死後にキリストのさばきの御座に連れられて、善であれ悪であれ、各自その肉体の人生でした行為に応じて、その報いと裁きを受けることになるからです。』 そしてBibleは、人は皆、神様と神の御子Jesus以外には 完全に他人を裁ける権能と権威が与えられていないと、教え説いています。完全である神様以外に人間を完全に裁くことなどできないと忠告するのです。 あなたは、他人だけのせいにする傾向がありませんか? なぜなら聖書は、もし あなたの周囲に裁きたい程に信仰と意志の弱い人や罪深い愚かな人やみことばを勘違いした高慢な人々がいたとしても、ただ祈り忍耐しつつ、できる限りの忠告をして裁かず、あとは神様のジャッジに任せるべきだと忠告するからです。不完全な人間同士は 完全な裁きができないからです。しっかり 胸に刻んで下さい。 使徒の働き1:13~15『「ペテロ。さあ、なんでも、感謝してほふって食べなさい」という、主イエスの御声が天から聞こえた。しかし、使徒ペテロは主に言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、旧約聖書の教える清くない物や汚れた物を食べたことがありません。」すると、再び主イエスの御声があって、彼にこう言った。「わたし主イエスの十字架の血潮により、神がきよめたすべての物を、清くないと言ってはならない。」』 2~4節,また聖書は、神の御子Jesusの十字架上の身代わりの死と弁護による贖罪信仰ゆえに、すべての罪悪をゆるされて清められた「神の子」たちは、何もかもがJesus十字架上の血潮により清められる為に、何をしても、また何を食べても裁かれない自由とチャンスが与えられたと、約束します。 尚、キリスト教以外の他の世界五大宗教の正式な教理を紐解くと、イスラム教、仏教、ヒンドゥー教、ユダヤ教には食べてはいけない食物が、意外にも沢山あります。しかし聖書は、神の御子Jesusの十字架贖罪信仰を 信じたあなたは、もう何を食べてもJesusの血潮により清められる為に、他の宗教の教えとは違って、何を食べても罰や呪いやマイナス的な因果応報は起こらないと、約束してくれたのです。このように、神の特別な赦しを受けられた クリスチャンとは 食の完全なる自由をも与えられた 特別な神の子たちを 意味するのです。この食の特別な恵みを 真心からJesusに感謝して、食前の祈りをすることも大切なのです。ですから、「神の子」たちは食前の感謝の祈りを捧げるのです。毎食毎に食の自由とその恵みを感謝して祈る者は皆、尚、いく倍も報われるのです。 ヨハネの黙示録3:20主は言われた。『見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、その人ののところに入って、ともに食事をし、その人は、わたしとともに食事をすることになります。』 あなたの食の恵みや快楽の喜びを、更に神様が祝福して下さることを期待します。AMEN (祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たし、それぞれが 信仰の弱い人、霊的無知な人、意志の弱い人、真理を勘違いしている頑固な人々を裁いて見下したりさせず、そういう神の恵みを受けにくい、救われにくい人々を救い導ける忍耐力と寛容さと主イエスのような愛力を増し加えて下さい。また、霊的に眠っている人々がいたら、霊の目をさましてあげて下さい。 そうすれば皆、神のみことばを もっと喜んで受け取って行動を起こし、多くの人々を救い導けたり、今よりも百倍以上の神の報いや永遠なる幸福人生をも獲得できるからです!主イエスのお名前で 期待して祈ります。AMEN!!!

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