2018年5月3日(木) ディボーション聖句
ローマ信徒への手紙11:18~24 18
あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。
19
枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう。
20
そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。だから高ぶらないで、かえって 主を恐れなさい。
21
もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。
22
見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。
23
彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされたのです。しかし神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。
24
もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。
[聖句メッセージ]
昨日の続きです。
18節,この『枝』とは、神様に選ばれ救われて、神の教会に繋がっているクリスチャンたちを 意味します。『根』とは、神の御子Jesusとそのみことばを 指すのです。
あなたは、Jesusの十字架信仰とそのみことばに人生の根をしっかりつながり、神の枝である教会にしっかり結び合わされた神の奇跡や永遠なる幸福人生の実を結べる状況にありますか?
それとも、あなたはそれら神の根や枝から離れてしまって、神の厳しい未来の実を刈り取る恐れはありませんか?
なぜなら今日の聖書は、人生は、そのどちらか
だと預言するからです。しかし聖書は素直に悔い改め続ける人は皆、いく倍も報われると約束するのです。
第一コリントの手紙3:20~21『主は、知者たちの議論を無益だと知っておられる。ですから、だれも人間を誇ってはいけません。』
ローマ信徒への手紙3:10~12『義人はいない。ひとりもいない。人生の全てに悟りのある人はいない。すべての人が人生に迷い出て、みな、ともに無益な者となる。そして、真心からの善を行う人はいない。ひとりもいない。』
18節,またBibleは、神が認める完全に正しい人間などおらず、神のみことばなくして、人生と死で迷わずに生きられる幸福はなし得ず、永遠の真理であるみことばを読まずして、人生と死について悟れる人はいないと、教え説きます。
聖書は、所詮、人は皆、それぞれが自分勝手な欲望と利己心が多く働く為に、完全な愛と完璧な正義に生きられる人などいないと、教え説くのです。
ですから聖書は、人は皆、他者と比較して勝ち誇ったり、必要以上に負け意識を持つ事など愚かだと、教え説きます。人は皆、才能や性格が違うだけで大差などなく、人生と人格の価値は、日々、如何にして罪悪や過ちを悔い改め続けられるかにかかっていると、教え説くのです。しっかり 胸に書き記して下さい。
ヨハネの福音書14:6『イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父なる神のみもとに来ることはできません。』
マタイ福音書9:33『もし神から出ておられるのでなかったら、神の御わざは何もできないはずです。』
また聖書は、人は皆、不完全であり、神の御子Jesus(主イエス)の十字架上の身代わりの死による贖罪信仰による悔い改めがなければ、未来や肉体の死後、永遠なる希望や救い(天国行き)を受けられる根拠などない 忠告しています。
ヨハネの福音書15:4Jesusは言った。『わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできないのです。』
19節,「枝」は、良い実を結ぶ為に、木の根から栄養を補給しなければなりません。
聖書は...それと同じように神に救われて「神の枝」となれた人間であっても、木の根となるBible&Jesusからのみことばと教会力や聖霊力なくしては、神の偉大なる恩恵と天国行きを得られる保証はないと、教え説いているのです。
目をさましあいましょう。
ローマ信徒への手紙4:20~22『信仰の父アブラハムは、不信仰によって神の御言葉の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが神様から義と認められたのです。』
20節,『不信仰』とは、永遠なる真理である、神のみことばの命令、勧め、約束、預言を 受け入れられず、反抗してしまうこと。自己満足かつ、形式的ご利益信仰者たちを 指します。
このように聖書は、不信仰な人は皆、いつの日か 神の幸運と祝福の木の枝から折られて教会から外れてしまい、いつの日か必要以上の災いや不運に囲まれる可能性があると預言するのです。しかし聖書は、日々のBibleのみことばを堅く信じて、素直に悔い改め続ける人は皆、いつも神の幸運と祝福の枝にとどまれるので、数多くの良い実や永遠なる幸福人生のチャンスもあると、約束するのです。
また聖書は、もし、あなたが 永遠なる良い実を結べる神の教会の枝にとどまっていられたとしても、神の枝から折られてしまった不信仰な人々と比較して勝ち誇らず、そういう痛い目に合わないように恐れを持って、心霊を引き締めるように忠告しています。聖書は躓き倒れる人々と比較して勝ち誇らず、もっと、更なる神の祝福や永遠なる恩恵を目指すように忠告しているのです。
あなたは、神の枝から躓き倒れた仲間たちと比較して、自分たちの未来や死後は安心だと勝ち誇り傾向がありませんか?
また、あなたの周囲には不信仰で神のカラダなる教会やみことばの枝から折られてしまったために、近い将来や死後、災いが訪れそうな危ない仲間はいませんか?
なぜなら聖書は、そういう人に心当たりがあるのなら、その人々が人生の不運で ひどい倒れ方をしないように、速やかに悔い改められるように忠告するか、祈ることも重要だと教え説くけからです。なぜなら聖書のみことばは良いことも、悲しいことも、全て成就するからです。
ヤコブ書2:13~14『あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。私の兄弟姉妹たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。』
マタイ福音書3:13Jesusは言われた。『わたしは斧をすでに木の根元に置きます。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。』
21節,そして聖書は、不信仰で 神の枝から切り倒され、必要以上の人生の苦難の刈り取りで苦しむ人々や見えない敵の誘惑にはまって、人生のマイナスのスパイラルにはまりそうな人々を見て自業自得だと冷ややかに見たり、見て見ぬ振りをしたりなどして、不信仰な人々の失敗やどん底に行くのを 見過ごす人になってはならないと 忠告しています。Jesusや使徒パウロたちのように簡単に見捨てずに、厳かに忠告してあげることも重要な愛の業だからです。
箴言27:17『鉄は鉄によってとがれ、 人はその友によってとがれる。』
ヨハネの黙示録3:19主は言われた。『わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。』
22節,また聖書は...時に、あなたは神の愛と勇気を振り絞って、鉄と鉄が研がれるほどの火花を散らす情熱的な友愛を表して、不信仰な仲間たちにみことばの忠告をしてあげることも、重要な使命だと教え説きます。これぞ「神の子」たちの大切な愛の使命なのです。
あなたは当たりさわりのない、偽りの愛の人間関係ばかり築いてしまっていませんか?
なぜなら聖書は、不信仰な仲間たちに情熱的な愛の叱咤激励のみことばを表現する人は皆、いく倍も報われると預言するからです。目をさましあいましょう。
エレミヤ書18:8主は言われた。『もし、わたしがわざわいを予告したその民が、悔い改めるなら、わたしは、下そうと思っていた災いを思い直す。』
マルコ福音書1:15主イエスは言った。『時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて御言葉の福音を信じなさい。』
23~24節,また聖書は、人は皆、神の御子Jesusの十字架に頼って悔い改めるのならば、神の枝から折れてしまった不信仰な人生であっても、Jesus(主イエス)が接ぎ木となって下さるので、再び、神の祝福の枝や根に繋がることも出来ると約束してくれます。Jesusの十字架贖罪信仰に頼り、素直に悔い改めようとする人生は、いくらでもやり直しが出来ると、約束してくれたのです。目をさましあいましょう。
あなたと、あなたの周囲の不信仰な仲間たちに与えられれ、Jesus(主イエス)の十字架による敗者復活のチャンスと感動的な恵みに期待します。AMEN
(祈り) 主なる神様、皆を聖霊に満たして情熱的な愛を注ぎ、Jesusや使徒パウロたちのように、神の枝や根から外れている不信仰な仲間たちに厳かに叱咤激励して、悔い改めさせられるように助け導いて下さい。
そうすれば皆、不信仰な仲間たちを 神の祝福の枝や根につなぎ合わさせ、神の感動的な奇跡や永遠なる幸福人生を復活させられるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!