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ローマ信徒への手紙3:27~31

2018年3月20日(火) ディボーション聖句

ローマ信徒への手紙3:27~31 27

それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。どういう原理によってでしょうか。行いの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。

28

人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。

29

それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人にとっても神ではないのでしょうか。確かに神は、異邦人にとっても、神です。

30

神が唯一ならばそうです。この神は、割礼のある者を信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者をも、信仰によって義と認めてくださるのです。

31

それでは、私たちは信仰によって聖書の律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、聖書の律法を確立することになるのです。

[聖句メッセージ]

本日でローマ信徒への手紙3章は終わりです。

では、聖句をあげてから説明します。

第二コリントの手紙10:12~13『私は、自慢したり、自己推薦をしているような人たちの中のだれかと自分を同列に置いたり、人と自分を比較したりしようなどとは思いません。世の中の多くの人々が自分を良く量ったり、他人と比較したりして自慢しているのは、知恵のない愚かなことだからです。だから、主イエスを知った私たちは、限度を越えて自分を誇りはしません。神が私たちに量って割り当ててくださった恵みの限度内で誇るのです。』

27節,このように聖書は世の中の多くの人々は自らの暮らし向きの自慢などしたりして、いつも他人と比較したり、誇りたがると教え説きます。しかしBibleは、このような誇りや自慢は神の御前では非常に愚かであり、むしろ信仰にとっては悪循環になり得ると教えるのです。なぜなら聖書は、それらは神様から人生のいっときに与えられた恵みと才能の産物に過ぎないと、教え説くからです。いつか すべて手放して、神の御元に行くことになることを踏まえて、限度内で誇るべきことだと教え説くのです。

あなたはすべての目にして、手にする物質は、いつか手放してしまう、いっときの神様からの恵みや産物に過ぎないことを 忘れていませんか?

なぜなら聖書は、限度を越えて、自分の暮らしむきや持ち物を誇り過ぎて、虚しい人生と死の結末を迎えないことも重要だと教え説くからです。

あなたは周囲の人々と自分の状況や功績を比較しすぎて勝ち誇りすぎることはありませんか?

また、他人の状況や功績を見ては、必要以上に対抗意識を持ったり、嫉妬することはありませんか?

なぜなら聖書は、神様に感謝と栄光を返さずに、自慢し過ぎる人の成功はいつの日か虚しく消え去り、金持ちや成功者たちに必要以上の対抗意識や嫉妬をする人にはまことの成功は訪れないと教え説くからです。また聖書は、それらを追求することよりも、天に宝を積むことが重要だと教え説くのです。目をさましあいましょう。

第二コリントの手紙10:17~18『誇る者は、わたしたちの主を誇りなさい。自分で自慢したり、自分を推薦するような人でなく、主なる神に推薦される人こそ、本当に受け入れられる人なのです。』

第二テサロニケの手紙1:4『それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながら、その従順と信仰とを保っている仲間たちのことを、誇りとしています。』

そしてBibleは...どうせ 誇るのなら、天地万物の造り主であり、全人生の裁き主である神様の存在とその真理を知った恵みや、あなたの救い主Jesusや天国行きの福音を知れた幸いを証して誇るように、教え説きます。あなたの神様の恵みと福音を 勝ち誇って証しする人たちの方が、永遠にいく倍も報われると預言するからです。

エペソの手紙2:8~9『あなたがたは、神の十字架の恵みのゆえに、ただ、信仰によって救われたのです。それは、自分自身の思いと行いから出たことではなく、神からの賜物なのです。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。』

ローマ信徒への手紙10:9~10『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて、神に義と認められ、口で主イエスを告白して救われるのです』

28~30節, そして聖書は、人は皆、どんなに立派な生活や善行を築き続けられたとしても、神の御子Jesusのように自らの人生とその命を犠牲にしてまで、他人の心霊と命を救う完全な愛の人生を築ける人など存在しないと、教え説きます。ですからBibleは、人は誰も神の御前では誇れず、神様を差し置いて自らの功績と善行を自慢することは愚かだと、教え説くのです。見かけが どんなに素晴らしいクリスチャンであっても、また立派な善人や不良であったとしても、人は皆、不完全であり、神の御子Jesusの十字架上の身代わりの死と弁護による福音がなければ、神の赦しと永遠の救いは獲得できないと教え説くのです。現在のあなたが どうであれ、他人と比較し過ぎることは無意味なのです。また聖書は、人は皆、神様の視点から見れば大差などないと教え説くのです。目をさましましょう。

また聖書は、今のあなたの行いや生活ぶりが、どんなに素晴らしくとも...また 昨日までのあなたの生活が自慢できず、また悲惨であったとしても、神の御子Jesusの十字架のみことばを真心から信じて受け入れるのなら、あなたは神様から良しとされ、近い将来、あなたは神様から推薦される程のまことの信仰やより良い人格や恩恵を獲得できると教え説きます。

今のあなたに自信や他者からの信用がなくとも、あなたの内なる聖霊には それが出来ると約束するのです。

あなたは聖書のみことば力と内なる聖霊力の無限なる可能性を引き出せず、仕方なく、小さくまとまろうと苦労していませんか?

なぜなら聖書は、神の偉大なる奇跡と後ろ盾は、個々の信仰次第で大差が生じてしまうと、預言するからです。神の言霊力と内なる聖霊力を 制限し過ぎないことが重要なのです。

箴言13:13『みことばをさげすむ者は身を滅ぼし、 みことばの命令を敬う者は神の報いを受けられる。』

箴言16:20『みことばに心を留める者は幸いを見つける。 主に拠り頼む者は幸いになれる。』

31節,現在、あなたは神の御子Jesusの十字架のみことばで救われて「神の子」としてカウントされていると、約束してくれます。そして聖書は、あなたの父なる神様は、日々のみことばの糧と内なる聖霊様を通して、神の子であるあなたに、今までよりも百倍の恩恵を与えたいお方だと教え説いているのです。この父なる神様からのラブコールを 再度 胸に書き記して下さい。

神の子であるあなたの人生に、父なる神様から与えられる偉大なる奇跡に期待します。AMEN

(祈り)

主なる神様、皆を聖霊に満たし、他人と比較して勝ち誇ったり、ねたむことよりも、創造主なる神様の存在とJesusの福音や聖霊様を 知った人生を証しして誇れる人生にして下さい。

そうすれば 、今までよりも 100倍素晴らしい恩恵が与えられるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!

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