2018年3月14日(水) ディボーション聖句
ローマ人への手紙2:23~29
23
聖書の律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。
24
これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている」と書いてあるとおりです。
25
もし聖書の律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが聖書の律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。
26
もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。
27
また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら聖書の律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。
28
外見上の神の民が神の民なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
29
かえって人目に隠れた神の民が神の民であり、文字ではなく、神の御霊による、心の割礼こそが真の割礼です。その誉れは、人から認められるものではなく、神から来るものです。
[聖句メッセージ]
本日でローマ人への手紙2章は終わりです。
25節『割礼』とは、神を信じる信仰告白やその証しとして、男女性器の一部を切除または切開する旧約聖書の教える信仰的習俗。一般的な割礼の方法は、特に男性に行われる陰茎包皮の切除であり、ユダヤ教徒では男児生後8日に神との契約のしるしとして行われています。
また新約聖書は 救い主Jesusが表れてからは神の民(クリスチャン)は割礼を受けなくても、洗礼(バプテスマ)さえ受ければ良しとされると、書き記しています。現在の神の民は肉体による割礼ではなく、自らの人生での罪悪や過ちを 素直に省みて悔い改める洗礼式(バプテスマ)が 心の割礼とされているのです。
詩篇103:2~5『わが魂よ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。そして、あなたの若さは鷲のように新しくされる。』
詩篇107:19~20『苦しみのときに、あなたが主に向かって祈ると、主はあなたを苦悩から救われた。主はみことばを送ってあなたをいやし、その滅びの穴からあなたを助け出されたのだ。』
23節,このように聖書は...神の御子Jesusの十字架上の身代わりの死と弁護を信じて悔い改め、祈り求める あなたは、神のみことばの契約の効力により、肉体の死後、人生でのすべての罪悪と過ちを許される 永遠の人生のチャンスを手に入れられると、教え説きます。Jesusを信じて回心する人は皆、それだけで、父なる神様から良しと認められて、永遠に尽きぬ希望とチャンスが与えられるのです。この福音を 再度 胸に書き記して下さい。
しかし今日の聖句で...使徒パウロは、神のみことばを知りながら、なぜ 聖書の教える罪悪や過ちを 手放さないのか、一部の仲間たちに言及したのです。
使徒パウロは、一部の神の民たちに以下のように語りました。『あなたは神の御子Jesusのみことばを信じて、永遠の「神の子」としての特別な権利と誇りを持っているはずなのに、なぜ 今も尚、神のみことば(律法)に違反して悔い改めず、必要以上の試練や苦労を背負う人生を選択してしまうのですか?神のみことば(律法)に反し続ければ、結果、あなたの神様を侮辱することになってしまい、大損することになるのです。』と使徒パウロは強く語ったのでした。
あなたは、この使徒パウロの質問に対して、どう考え、また答えますか?
なぜならJesusは、聖書の預言はすべて成就すると教え説いたからです。
あなたの助け主 聖霊は、あなたを悔い改めさせる為の救い主。ただただ、聖霊の力を祈り求めましょう。わたしたち人間に出来なくとも、内なる聖霊にはそれができるからです。
24節,『神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている』とは...神の子(クリスチャン)たちが 神のみことば(律法)を 知りながら、何食わぬ顔をして改めず、昔のように変わらずに生活し続ければ、周囲の永遠の神の赦しを受けられていない人々に対して、かえって悪影響を及ぼしてしまい、結果、神のお名前を汚す悪循環に陥ると、使徒パウロは預言したのです。
あなたは 周囲の人々の死の行き先を 聖書の律法から予測しながら、Jesusの福音を証しできる生活習慣と人間関係を 築いていますか?
なぜならJesusは、一番大切なのは 教会外でどう言動して、どう証ししながら生きるかが重要なポイントだと、教え諭してくれたからです。
25~29節,この『割礼』とはJesusの贖罪信仰で救われた神の民たちは『洗礼』を意味します。
この時、使徒パウロは 洗礼を受けて永遠なる救い主「聖霊」を受けられたとしても、聖書の律法を大切に生きられず、隣人に神の民の模範を示そうとしなければ、神の民は虚しく、神の祝福も乏しいと教え説いたのです。あなたの神様は一人一人の心の深みや 日々の生き様を探られて、神の祝福と偉大なる恩恵を振り分けられると教え説いたのです。
あなたは全知全能の神の目や人生の最期のジャッジを大切に生きるよりも、不完全で、将来や死に対して盲目な人たちの目や評価を 意識し過ぎる傾向はありませんか?
なぜならJesusは、人目よりも、全知全能の神の目を大切に生きる人々がいく倍も報われると教え説いたからです。
出エジプト記20:7『あなたは、あなたの神、主の御名前を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。』
詩篇22:6信仰の模範的な王様・ダビデは言いました。『私は神の御前には、わたしは虫けらに過ぎません。』
イザヤ書41:14主なる神様は、祈りの模範者ヤコブに告げた。『恐れるな。虫けらに過ぎないヤコブよ。しかし、わたしはあなたを助ける。――主の御告げ―― 』
そしてBibleは、聖なる父なる神様(創造主)と、身勝手で罪深い全ての人間と比較するならば、それは完全な神様と虫けらほどの大差があると、教え説きます。しかし聖書は、そんな虫けら同然のわたしたち全人類の為に、父なる神様はご自分の分身である実子Jesusを送り、世界人類の救いの為に、ご自分の御子の尊い命を捨ててまでして、ご自分を信じて悔い改めようとする人々を 永遠に救い導こうとしていると、教え説くのです。これが海よりも深く、宇宙よりも大きな神の無限なる愛です。しっかり胸に書き記して下さい。
また使徒パウロは...この神の無限なる愛と真理を 胸に深く刻みつつ、Bibleのみことば(律法)を 重んじることで、昔のような罪深い生活に堕落して、周囲の未信徒たちの救いの足を引っ張らないように、目をさますことも重要だと教え説いたのです。創造主なる神様のお名前を 軽々しく、自分の召使いのようにように汚さないように、再度 気をつけあいましょう。
第一ペテロの手紙5:8~9『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く御言葉の信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。』
29節,そして聖書は、永遠に尽きない幸福と希望を手に入れるには、日々 神様との深い会話(祈り)の時が重要であり、如何にして、神の命じる使命と真理を 具体的に実践適用するかを祈り続けることも重要なポイントだと、教え説きます。なぜなら聖書は、個々の人生のまことの使命や方向性を知るのは、全知全能の神様だけだと、教え説くからです。
しかしあなたは、神の命じるまことの使命や真理を 掴み取り、具体的に実践できるように祈り続けて、神の御子Jesusにも似ていき、何をしても永遠に報われる幸福人生を獲得できると期待します。あなたの内なる聖霊はその為に与えられた あなたの永遠の救い主だからです。AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たし、日々、内なる聖霊と親しく交わって祈りつつ、神様が命じる使命と真理を 具体的に実践出来る神の子に成長させ、隣人たちを救い導ける模範的人生を築けるように助け導いて下さい。
そうすれば皆、神の御子Jesusのように、見えない敵に打ち勝ち、神の偉大なる御業と愛の業を 数多く引き出せるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。AMEN!!!