Jesus said,
「あなたの信じた通りになるように」
「何も思い煩わなくてもいい」
「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」
2018年1月24日(水)
ディボーション聖句
第二コリントの手紙4:1~6
1 こういうわけで、私たちは、神のあわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、
2 恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のみことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦して証ししています。
3 それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。
4 その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。
5 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。そして私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕える神のしもべなのです。
6 「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
[聖句メッセージ]
本日から、第二コリントの手紙は4章に入ります。では、聖句をあげてから説明します。
・ガラテヤの手紙6:2~6
『神に選ばれたあなたがたは、互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストのみことばを全うしなさい。だれでも、大してりっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。おのおの自分の行いをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分満足だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。人にはおのおの、負うべき自分自身の重荷があるのです。みことばを教えられる人は、教える人とすべての良いものを分け合いなさい。思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、人生で、その刈り取りもすることになります。』
・第二テモテの手紙4:1~2
『神の御前で、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それだけはしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。』
・マタイ福音書28:19~20
主イエスは言った。『それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を主の弟子(クリスチャン)としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべての御言葉を守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』
1~2節 (1 こういうわけで、私たちは、神のあわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、2 恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のみことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦して証ししています。)
このようにBibleは、神にゆるされたあなたの人生での第一の生きる使命と役割とは、周囲を恐れずに勇気を振り絞って、主イエスの十字架の救いとそのみことばを曲げず、また隠さずにハッキリ宣べ伝える事であると、教え説きます。聖書は、この神の使命と役割さえしっかり果たせれば、時折神のみことばや真理から外れたとしても、神の感動的な祈りの奇跡や不可能を可能にして、人を救える聖霊力を手に入れられると、約束するのです。しかし聖書は、その第一の神の使命と役割を怠り続ければ、すべての人は皆、人生の真理であるみことばを行う義務が生じてしまい、結果、神の偉大なる御業と感動的な天国人生さえ、失う恐れが生じると忠告するのです。
あなたは、これらのBible&Jesusの教えた、神の第一の命令や使命を曲げて、神の永続的な祝福や祈りの奇跡や天国人生を確保できると思い上がることはありませんか?
なぜなら聖書で、まことのクリスチャン(神の子)とはJesusの命令や使命を受け入れる人たちである、福音宣教の為に結束して生きるキリスト者たちを指すと忠告するからです。聖書は、神の子として天国人生を獲得できたと信じるのなら、Jesusからの第一の使命とおりに福音宣教して、一人でも多くの人々を天国行きに導く義務、役割が生じると忠告するのです。Jesusのみことばを無視し続けたパリサイ派たちのように、自分たちさえ良ければと隣人を救える福音宣教を怠り続ければ、神の永続的な祝福や天国人生も危機に陥ります。周囲の人々の死後の苦しみや滅びに無関心になり過ぎて見捨てたままでは、クリスチャンも立ち入かなくなるのです。目をさましましょう。
日々のBibleのみことばから、隣人の永遠のほろびや苦しみに無関心にならぬよう、めをさまし、的はずれなクリスチャンLIFEを修正し続けることも重要なのです。なぜなら聖書は、永遠の「神の子」とされたクリスチャンたちは神様が味方である以上、そして神の御子Jesusが天国行きを保証くれたからには周囲に福音宣教することへの恐れだけは禁物だと、ハッキリ忠告したからです。
・ローマ信徒への手紙5:9~10
『私たちはキリストの十字架信仰によって義と認められてゆるされ、主イエスによって神の怒りから救われたのです。そして、主イエスを信じる以前、神の敵であった私たちが、御子イエスの死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、主イエスの十字架を知らない人々に御ことばを伝えずには、いられないはずです。』
・第二コリントの手紙5:18
『これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、イエスキリストによって、私たちをご自分と和解させ、また、神と周囲の人々との和解の務めを私たちに与えてくださいました。』
3~5節 (3 それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々の場合に、おおいが掛かっているのです。4 その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。5 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。そして私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕える神のしもべなのです。)
そして聖書は、あなたの神様はみことばに反抗して自分本意に生き続けている人々の霊の目をくらませて、神の国との間に、見えないおおい(壁)をかぶせると、忠告します。だから聖書は、神の御子Jesusの十字架のみことばと福音宣教の使命に目を醒ます人々もいれば、それらの使命を軽視してつまずき、神の偉大なる恩恵を取り逃がす霊的無知な人々も存在すると忠告するのです。
あなたは、ある程度の危機感をもって、福音宣教をしていますか?
それとも、神様から見えないおおいをかけられたくらいに、危機感を見失ってしまい、福音宣教を後回しに生きている人ではありませんか?あなたは、どちらでしょう?
なぜなら聖書は、永遠の神の赦しと天国人生を約束されたあなたは、Bible&Jesusのみことばを宣べ伝える務めと責任を任されていると、ハッキリ教え説くからです。これらの神の使命と義務を怠ることや弱気で逃げることをやめて、しっかり自覚して福音宣教を第一に生活する人は皆、神の永続的な恩恵と永遠の幸福人生の希望を勝ち取れると約束するのです。
・ピリピの手紙2:19
『あなたがたは永遠のいのちのみことばをしっかり握って、主イエスを信じない彼らの間で、世の光として輝きなさい。そうすれば、わたしたちは、自分の努力したことが無駄ではなく、苦労したことも無駄でなかったことを、キリストの復活の日に誇ることができるからです。』
・第一ヨハネの手紙1:5
『神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがイエスキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。』
5~6節 (5 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。そして私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕える神のしもべなのです。6 「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。)
このようにBibleは、もしあなたが神の福音宣教の使命と義務を自覚して悔い改め、神の務めを果たしていくのなら、あなたの人生は神の希望の光とJesusのよえな特別な霊的権威や奇跡も任されると、約束してくれます。
そして聖書は、そういう神の子の人生は、たとえ数多く失敗したとしても、またどんな敵の攻撃を受けようとも、主イエスの十字架信仰ゆえに人生での圧倒的な勝利と成功に恵まれることになり、何をしても、結局すべてが神のみことばと聖霊ゆえにうまくいくようになれると約束するのです。今年、あなたを通して天国人生を勝ち取れる洗礼者が増し加わることを信じます。あなたには、そのための救い主聖霊が注がれているからです。
AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たし、どんな時も、誰にでも、逃げずにJesusの福音宣教をしっかり証しして語れるまことのクリスチャン勇者、永遠の知者に造り変えてください。
それさえできれば皆、何をしてもうまくいく幸福人生になり変われるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。
AMEN!!!