Bible said,
『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』
『心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな』
『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』
2017年12月19日(火)
ディボーション聖句
第一コリントの手紙11:27~34
27 したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
28 ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。
29 みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。
30 そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。
31 しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。
32 しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。
33 ですから、兄弟姉妹たち。食事に集まるときは、互いに待ち合わせなさい。
34 空腹な人は家で食べなさい。それは、あなたがたが集まることによって、さばきを受けることにならないためです。その他のことについては、私が行ったときに決めましょう。
[聖句メッセージ]
昨日の続きです。
では、聖句をあげてから説明します。
・ヨハネの福音書5:13~14
『主イエスは宮の中で、信じた人々に言われた。「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」』
・第一サムエル記16:7
『主は仰せられた。「彼らの容貌や見せかけを見てはならない。わたしは彼らを退ける。なぜなら、わたしは人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」』
・第一コリントの手紙10:21~22
『あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊からの罪の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないのです。それとも、私たちは主のねたみと怒りを引き起こそうとするのですか。まさか、私たち人間が主よりも強いことはないでしょう。』
27~28節 (27 したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。28 ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。)
このようにBibleは、神の御子Jesusの十字架上の身代わりの死と弁護を信じたおかげで、神様の永遠のゆるしと救い(天国行き)を受け取れた「神の子」たちは、自分自身の日頃の行いと心の深みをよく吟味しながら聖餐式を行い、もう二度と同じ罪悪や過ちを行わない覚悟と悔い改めの祈りが必要だと、教え説きます。なぜなら聖書は、Jesus信仰を勝ち取れたとしても、真心から悔い改めようと祈り、聖餐式を行わない人には、神の特別な癒やしや油注ぎが与えられないと忠告するからです。聖書は、悔い改める意志のない信仰は、死んでおり、無意味に等しくなると忠告するからです。
また聖書は、このコリント教会の多くの人々は、全く悔い改める意志がなく安易に聖餐式をしたり、いい加減な信仰生活を築いていたので、多くの人々に災いが続出していたと、教え説いています。コリント教会の仲間たちの二の舞は避けるべきなのです。肝に銘じましょう。
・第一コリントの手紙1:18
『十字架のみことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。』
29~34節 (29 みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。30 そのために、あなたがたの中に、弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます。31 しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。32 しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。33 ですから、兄弟姉妹たち。食事に集まるときは、互いに待ち合わせなさい。34 空腹な人は家で食べなさい。それは、あなたがたが集まることによって、さばきを受けることにならないためです。その他のことについては、私が行ったときに決めましょう。)
このように聖書は、主イエスの十字架上の身代わりの死と弁護はあなたを救うために、神の御子イエスが神の世継ぎとしてのプライドを一切捨て去って、あなたの人生での罪悪と過ちや、恥、苦しみ、病気、呪いを全て身代わりに引き受けて贖ってくれた、神の愛のカタチ(福音)だと教え説きます。したがって聖書は、神のみことばを聞いて、日々の罪悪と過ちへの反省心と悔い改める気がない人たちが、安易に聖餐式を行えば、神様を知らない人々と同じような人生での試練や悪霊の攻撃をまともに受ける危険性があると忠告したのです。神聖な気持ちと最初の頃の純粋な信仰心を大切に聖餐式をすることが重要なのです。
あなたは聖餐式の重要性をご存知でしたか?
なぜなら聖書は、純粋に悔い改めようとし続ける神の子たちの聖餐式は、神の特別な油注ぎのチャンスだと、教え説くからです。
このように聖書は、教会での「聖餐式」とは神に選ばれし者達に、特別な聖霊力が注がれる大切な瞬間でもあると、教え説きます。霊の目を醒まして、自らを吟味しながら聖餐式を行うことが重要だと教え説くのです。あなたに罪悪や過ちを悔い改められなくとも、あなたの内なる聖霊はあなたを悔い改めさせる知恵と聖霊力を授けて下さるお方。決してあきらめず、初心を忘れずに聖餐式を行うことが大切なのです。
また聖書は、あなたの主なる神様はあなたの真心を探られるので、このコリント教会の人々ようにいい加減な気持ちで礼拝や聖餐式に臨んでしまい、神を知らない人々と同じような神の懲らしめと敵の攻撃を受けないようにと注意してくれているのです。教会での礼拝、聖餐式などの聖典には、目には見えずとも、神様からの特別な恵み、祝福が隠されていることを再度、胸に書き記してください。
・マタイの福音書18:6~7
Jesusは言った。『わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。つまずきを与えるこの世はわざわいだ。つまずきが起こるのは避けられないが、つまずきをもたらす者はわざわいだ。』
・ヤコブ書2:26
『たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。』
そして聖書は、Bible&メッセージを信じたとしても、真理に伴う思考や行いのない人のJesus信仰と聖霊力は死んでおり、知らぬ間に、周囲の人々にも悪影響やつまずきをも与えてしまうと預言します。Jesus信仰を持った「神の子」と言えども、神の知恵とみことばの行いがなければ、神を信じていない人々と大差などなく、神に与えられた祈祷力や不可能を可能にできる聖霊力を無駄にしてしまうと忠告するのです。もし、あなたに大切な祈祷課題や、救霊したい人がいるのなら、そしてあなたに揺るがぬ幸福人生が必要ならば、Bible&メッセージによる、思い切った意識改革と生活習慣のパラダイムシフトが必要不可欠なのです。日々本気で悔い改めようとし続ける人は皆、必ず永遠にいく倍も報われるからです。
・ローマ信徒への手紙10:11
『聖書はこう言っています。「主イエスに信頼する者は、失望させられることがない。」』
・マタイ福音書13:23
Jesusは約束してくれた『良い地に蒔かれる人とは、御ことばを聞いてそれを悟り行う人のことで、その人はほんとうに良い実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。』
あなたの生活習慣と人間関係に現れる、Bible&メッセージによる意識改革と、神様の祝福と幸運をより多く味方につけられる新しいライフスタイルに期待します。
AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を真心から主なる神様とそのみことばに向き合わせ、初心を忘れさせず、神聖な思いや反省心を大切にして、素直に悔い改め続けられるように助け導いてください。
そうすれば皆、不可能を可能にできる主イエスの十字架信仰による祈祷力や救霊するための聖霊力を手に入れられるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。
AMEN!!!