Jesus said,
『主に不可能はありません』
『あなたの罪は赦された』
2017年9月24日(日)
ディボーション聖句
第一テモテ5:17〜20
17 よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。聖書のみことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。
18 聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」、また「働き手が報酬を受けることは当然である」と言われているからです。
19 教会の長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。
20 しかし罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。
[聖句メッセージ]
昨日の続きです。
では聖書から、主なる神様の御心、神様から祝福される方法について探っていきましょう。
今日の聖句は、世界人類の創造主なる神様に選ばれて救われ、神の教会に導かれた人々が教会の監督者や長老たちと、どう向き合うべきか書かれている聖書箇所です。
17節 (17 よく指導の任に当たっている長老は、二重に尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。聖書のみことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。)
「よく指導の任にあたっている長老」とは、Jesusの教会専任で人々に仕えている聖職者や長老職者たちに当たります。
・マタイの福音書10:42
主イエスは言われた。「主の働き人たちのひとりに、水一杯でも与えて飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して神の報いに漏れることはありません。」
このように聖書は、神様のみことばを教えるために、日々労苦している教会監督者たちに敬意を払って仕える人は皆、ただそれだけで神の祝福を受けられると、約束してくれます。これらの聖書のみことばにより、Jesusの教会の聖職者たちは「先生」と呼ばれて敬愛されるようになったのです。
あなたと教会の聖職者たちの心一つの祈りを通して、神の偉大なる奇跡が表れることを期待します。
また聖書は、神に選ばれて召された聖職者や教会監督者たちは、目に見えずとも神の国の特別な権威と偉大な祈祷力やみことばの預言力を任されますが、その分、神の働きをいい加減にしていては、神の裁きを受ける羽目になると忠告します。主なる神様は聖職者やクリスチャンたちの表向きの姿ではなく、目に見えない心の深み、動機、日々の行いを見て、神の報いや祈りの応答を振り分けられるのです。
18節 (18 聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」、また「働き手が報酬を受けることは当然である」と言われているからです。)
「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない」とは、Jesusの教会の聖職者たちが献身的に仕えているのに、その語られる聖書のみことばの牧会や奉仕に協力せず、妨げてはならないと忠告しているのです。
あなたは、神の教会の働き人たちの牧会や奉仕活動に敬意を払ったり、協力していますか?
なぜなら聖書は、「働き手が報酬を受けることは当然である」と書いていますが、Jesusの教会の聖職者たちの牧会に協力したり、その働きに充分な謝礼を渡すことが神の御心であり、神の働き人たちにコップ一杯の水さえ与える者は救われるとまで、約束しているからです。献身的な神の教会の働き人たちに協力し続ける人は皆、天に宝を積むことになって、必ず報われるのです。
19節 (19 教会の長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。)
しかし聖書は、神の働き人たちは神様からの特別な権威や優遇がある分、それだけ大きな敵の攻撃もあり、神の家族への聖書教育(人生と死の真理教育や預言)、祈り、霊的成長の責任を神様から一任される激務でもあると、教え説きます。神に選ばれし教会の聖職者並びに、監督者たちは神の家族愛を大切にしながら、いつも聖霊に頼り、何よりもみことばを第一にしなくてはなり立たないと、教え説くのです。
19~20節 (19 教会の長老に対する訴えは、ふたりか三人の証人がなければ、受理してはいけません。20 しかし罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。ほかの人をも恐れさせるためです。)
また聖書は、神に選ばれし教会の聖職者や監督者たちが罪や過ちを犯した可能性がある場合は、安易に罰せず、しっかりとした2~3人の証人を立てて、その裏付けをとってから、責任を問うように教え説きます。神の教会の聖職者や監督者たちを裏付けや話し合いなくして、安易に裁いてはならないと忠告するのです。
そして聖書は、もしあなたの関わる教会の聖職者や監督者たちが罪悪や過ちを犯した可能性がある時は、安易にジャッジせず、二〜三人の証人を立ててから、しっかりした話し合いをするべきだと忠告しています。自分の罪や過ちを棚に置いて、神の教会の奉仕者たちを安易に裁かない信仰心や気量も重要なのです。肝に命じましょう。
また聖書は、教会の聖職者や監督者たちは、教会の神の家族たちから罪悪や過ちを指摘される時は、その説明責任もあると忠告するのです。
そして聖書は、神の教会は、聖書のみことばに反する罪深い仲間たちや勘違いしている仲間たちに対して黙視せず、また陰口を言わず、2~3人の証人を立てて本人に確認し、隣人愛と赦しの精神のもと、家族のように教え正してあげる愛の共同体を作るべきだと教え説きます。これが神に救われた教会の兄弟姉妹たちの使命なのです。しっかり胸に書き記してください。
今日からあなたも、聖書のみことばに反する神の家族たちや、真理や罪について勘違いしている仲間たちに神の使命と隣人愛の精神のもと、しっかりした助言や指摘をするようになり、神の特別な権威と永続的な祝福を任される神の器になれると期待します。なぜなら、それが神の御心だからです。
AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たし、教会の聖職者や監督者たちと心一つに神の教会を立てあげる、神の使命(教会牧会の為の奉仕や協力、Jesus Familyたちへの聖書教育、伝道活動をしっかり果たせられるようにしてください。
そうすれば皆、永遠に報われる神の国の権威と神の子としての特別待遇を受けられるからです!主イエスキリストのお名前で期待して祈ります。
AMEN!!!