Jesus said,
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
2017年3月12日(日)
ディボーション聖句
第ニコリントの手紙11:23~33
使徒パウロは言った。
23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。
24 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、
25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、
27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
28 このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。
29 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。
30 もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。
31 主イエス・キリストの父なる神、永遠にほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないのをご存じです。
32 ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕らえようとしてダマスコの町を監視しました。
33 そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました。
[聖句メッセージ]
本日で、第二コリントの手紙11章は終わりです。
では、聖句をあげてから説明します。
・ローマ信徒への手紙12:16~18
『教会に集められたあなたがたは、互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。』
・第一コリントの手紙3:18~20
『だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕らえる。」また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」ですから、だれも自分自身や人間を誇ってはいけません。』
・ルカの福音書1:51~52
主イエスは言った。『主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。低い者を高く引き上げるのです。』
23節(23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。)
聖書は、使徒パウロは形式的な信仰ではなく、日々のBible&メッセージをしっかりと生き様に現して教会生活を送っていた為に、Jesusのような聖霊力に満たされていき、神の感動的な奇跡や周囲の人々を洗礼に導ける神の特別な権威と御力を任されるていたと、教え説きます。
あなたは形式的な礼拝生活だけで、神の特別な奇跡や周囲の人々救い導く(洗礼)聖霊力を受けられると勘違いすることはありませんか?
Jesusは、使徒パウロのように、誰よりも神のみことばを大切に愛することで、いつどんな時でも神の福音を宣べ伝えようと尽力したり、また誰よりも多くのみことばを実践適用しようと前進し続ける人にしか、神の特別な奇跡や救霊力は表れないと、預言したのです。肝に命じて下さい。
尚、使徒パウロは、真心からJesusを愛して、そのみことばを堅く信じることで弱気にならず、また人を見下さず、時には馬鹿になってまで神の愛の働き(福音宣教)を表現して生きただけでした。これが見えない敵に打ち勝って、神の感動的な奇跡や人生で良い実を結べる聖霊力を生み出す真のJesus魂(本物の信仰)の型です。あなたの神様は、あなたの真心と信仰の動機を探られて、神の奇跡(祈り以上の応答)や人生での良い実を振り分けられるのです。
あなたの生き様に現れる、人生と死後の両方とも良い実を結べる、真のJesus魂とJesus Loveに期待します。
・マタイ福音書20:28
主イエスは言った。『あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子イエスが来たのが、仕えられるためではなく、かえって人に仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。』
23節 (23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。)
使徒パウロは博学でしたが、神の救い主Jesusの命令通りにプライドを捨て去り、全ての隣人に神の福音を宣べ伝える為、そして自らも永遠の報いと幸福感に満ち溢れるために、みことばを証しする為のバカに徹しただけでした。
・マタイ福音書5:18
主イエスは言った。『まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、聖書の御ことばの中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』
・ローマ信徒への5:5
『主イエスの希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。』
23節 (23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。)
そしてBibleは、絶対、努力が報われる人生を築くには、Bible&Jesusのみことばは完全に成就することを確信することが必要不可欠であり、Bible&Jesusのみことばに人生を賭けようとする勇気も必要不可欠だと、教え説きます。
聖書は、神の奇跡と幸運を引き出せる本物の信仰とは、Jesusとそのみことばだけは、永遠に期待を裏切らないことを確信することで、日々の生活習慣と人間関係にそのことを立証して生きる生き様だと、教え説くのです。これが見えない敵の支配から解放された、虚しいご利益宗教の殻を打ち破れる真のJesus信仰の型なのです。
23~27節 (23 彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。私の労苦は彼らよりも多く、牢に入れられたことも多く、また、むち打たれたことは数えきれず、死に直面したこともしばしばでした。24 ユダヤ人から三十九のむちを受けたことが五度、25 むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。)
この時、使徒パウロはコリント教会の形式的なクリスチャンたちが良い実を結べずに、かえってギリシャのマケドニア地区の教会の人々に悪影響を与えていたことを知り、またコリント教会の仲間たちのご利益宗教を教え諭すために、数々の神の奇跡的な証し(体験談)をしていました。
あなたは、周囲の人々を救い導く為の説得力ある証しや愛の伝道活動をするどころか、かえって周囲の人々に悪影響をもたらすクリスチャンライフを築いていませんか?
聖書は、もしあなたが神の祝福や幸運を手放したくないのならば、絶えずJesusを証しする愛の働きをあきらめたり、怠ってはならないと忠告するのです。あなたに勇気さえあれば、あなたの内なる聖霊は神の国の特別な権威を任されるのです。胸に書き記して下さい。
尚、使徒パウロはJesusの教えを堅く守っており、真理に背く権力者(宗教指導者、政治家)たちをも恐れず、Bible&Jesusの証しをいつも遠慮せずに宣べ伝え続けた為に、何度も投獄され、むち打ちの刑(肉が飛び散る程のショック死する可能性のあるむち打ち)を8度も受けさせられたり、石打ちの死刑を受けながらも死なずに済んだことのある、神の感動的な奇跡と勝利の証しをしていたのです。
このように聖書は、誰にも遠慮せず、Bible&Jesusのみことばによる証しや、救いをしっかり宣べ伝えようと尽力し続ける人々は、神の圧倒的な勝利と奇跡が訪れると約束してくれます。聖書は、Bible&Jesusを証しする生活習慣を築く人は皆、耐えられない迫害や艱難などなくなり、それどころか、人生の圧倒的な勝利者、伝説的な成功者になれると約束したのです。様々な権力の迫害や無視など、恐れ過ぎる必要はないのです。
26~29節 (26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、にせ兄弟の難に会い、27 労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。28 このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。29 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。)
また使徒パウロは、他にも数々の自然災害や強盗、差別、食糧難、不眠症や、信頼出来る仲間たちからの裏切りなどの敵の攻撃や艱難を受けてきましたが、神様は使徒パウロを見捨てずに全ての問題から奇跡的に助け導き、それどころか、彼を伝説的な勝利者、本物の成功者に変えて下さったと証ししたのです。
・ルカの福音書1:37
主イエスは言った。『あなたの神にとって、不可能なことは一つもありません。』
このようにBibleは、神のみことばを堅く信じているあなたに出来ないことはないと、教え説いています。全ては、あなたの信じ方次第だと教え説いたのです。肝に命じて下さい。
・ヘブル書11:1
『信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。』
信仰とは目に見えないものです。そして聖書は、本物の信仰とは神のみことばの約束を100%以上堅く信じることで、それを生活習慣と人間関係に具体的に適用させて立証しようと尽力するだけのことだと、教え説いています。
あなたは、信仰そのものを勘違いしていませんか? よく吟味しながら生きることが重要です。
29~33節 (29 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。30 もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。31 主イエス・キリストの父なる神、永遠にほめたたえられる方は、私が偽りを言っていないのをご存じです。32 ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕らえようとしてダマスコの町を監視しました。33 そのとき私は、城壁の窓からかごでつり降ろされ、彼の手をのがれました。)
またBibleは、本来の使徒パウロは弱虫で、傷つきやすい普通の人であったと、教え説いています。聖書は、彼は本物の信仰を生活習慣と人間関係に表すことに集中しただけで、結果、神の特別な権威と御力を引き出すことができ、伝説的な偉人として成功できたと教え説くのです。使徒パウロは特別な人ではなかったのです。胸に書き記して下さい。
・マタイ福音書8:13
『イエスは言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。』
あなたの弱さと傷ついた心霊に現れる、不可能さえも可能に出来る一握りの勇気と神の強力な助っ人「聖霊力」に期待します。
AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たし、Bible&Jesusのみことばを100%信じて行わせて、時には、使徒パウロたちのようにバカになれるくらい、パワフルに福音宣教できるように助け導いて下さい。
そうすれば皆、人生の試練と艱難に、楽に打ち勝てるようになり、神の感動的な奇跡やより良い実を結べる人生になり変われるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。
AMEN!!!