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第一コリントの手紙13:1~7
Bible said,
『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』
『心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りにたよるな』
『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』
2017年1月20日(金)
ディボーション聖句
第一コリントの手紙13:1~7
1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
[聖句メッセージ]
本日は、第一コリントの手紙13章の『愛』についてです。
1節 (1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。)
『異言』とは聖書の教える不思議な霊的な賜物の一つです。 Jesus信仰者たちが、過去に学んだことのない外国語を突然語り出したり、また、常人には理解出来ない意味不明な複雑な神の国の言語を操ることができる、超自然的な言語知識、およびその現象を指します。聖書は、神の聖霊を受けた人の中には、このような現象が起きることがあると預言するのです。胸に書き記して下さい。
しかしBibleは、たとえ人にどんな特殊能力が備わったとしても、神の御子Jesusのように人を救う情熱的な愛心や伝道の使命(救霊)がなくては、そんな能力は無意味だと、忠告します。隣人愛や救霊の使命のない特殊な才能など、神様は認めないと注意するのです。肝に命じて下さい。
2節 (2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。)
Bibleは、人は皆、どんなに優れた預言力や霊的奥義、また、人生での悟りや多くの知識を手に入れられたとしても、主イエスの愛と救いを宣べ伝えなければ、なんの価値も見出せず、また人が山をも動かすほどの立派な信仰力を得たとしても、主イエスの人を救う隣人愛の実践しなくては、なんの値打ちもないと教え説くのです。Bibleは、人は皆、たとえどんなに多くの才能、知識、権力、富を得られたとしても、死んでしまえば、そんなものは無意味だと教え説いており、永遠に役に立てるのは主イエスの愛による永遠の救いだけだと、教え説くのです。肝に命じて下さい。
あなたは永遠に役に立つことを軽視し過ぎてしまい、そのうち全く役に立たない、無意味になることばかりに、人生での大半の労力と時間を費やし過ぎていませんか? これらの点をしっかり肝に銘じながら、バランスよく天に宝を積みながら生きる人は皆、永遠にいく倍も報われるのです。
・ヨハネの福音書13:34~35 Jesusは言った。『あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もし教会に愛があるなら、それによってあなたがたがわたし、イエスの弟子(クリスチャン)であることを、すべての人が認めるからです。』
・第一ヨハネの手紙4:7~8 『愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。』
3節 (3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。)
Bibleは、人は皆、持っている物を全て売り払って貧しい人を助けられたとしても、また、たとえ人が誰かの身代わりに焼かれたとしても、主イエスの永遠の愛と救いを周囲に教え伝えてあげなければ、人生と死は無意味に等しいとまで、忠告します。なぜなら聖書は、神の御子Jesusの十字架上の身代わりの死と弁護を、周囲の人々に宣べ伝えてあげなければ、永遠なる神の国(天国)に行くことはできないと、ハッキリ教え説くからなのです。
4~5節 (4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、)
Bibleは、真実の『愛』とは、人のした悪をいつまでも思わず、他人をゆるそうとする姿勢であり、いつも周囲の人々への親切と徳を高めることを心掛けようとする姿勢だと教え説きます。 また真実の「愛」とは、他人の才能や持ち物を欲しがらず、決してねたまずに受け入れようとする信念であり、自分の持ち物と才能を自慢せず、神の真理と恵みを知ることで高慢になり過ぎない謙遜さだと教え説いているのです。 あなたの「愛」は、これら真実の愛に近い「愛」ですか? 聖書は、真実の愛を教えながら、愛力を育てられる 神の愛の書物。日々のBible & メッセージを吸収し続けて祈り続ける人は皆、Jesus Loveに癒されていき、神の愛力を受けられるのです。
5節 (5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、)
また聖書は、まことの『愛の人』とは、どんな時も礼儀を重んじる人で、自分の利益と快楽よりも人の徳を大切して考えられる余裕もあり、たとえ怒ったとしても、すぐに気持ちを入れ替えようとする平和な人だと、教え説きます。胸に書き記して下さい。
6節 (6 不正を喜ばずに真理を喜びます。)
聖書は、本物の「愛の人」とは、神の愛の言霊で書かれているみことばを大切に生きる人であり、神のみことばの不正を悲しみ、何よりも主イエスのみことばの約束を大切に信じて、ただ期待して、希望を持って、忍耐し続けられる性質を持つ人だと教え説くのです。
God is Love. 聖書は、神とそのみことばを深く知る事こそ、まことの愛力を手に入れる術だと、教え説くのです。あなたはBibleから真の愛力を吸収しながら、永遠なる癒しを受ける為に 主イエスの十字架上の愛力で救われたのです。
あなたの人生に表れる、不可能を可能にできる神の感動的な愛力に期待します。 AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊力とJesusの愛力で満たし、潤して下さい。
そうすれば、皆とその周囲の人々に神の感動的な愛の奇跡が現れるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。
AMEN!!!