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ローマ人への手紙3:9~17

Bible said, 『主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人は、何をしても栄える』 『心を尽くして主に拠り頼め。 自分の悟りにたよるな』 『幸いなことよ。神の知恵を見いだす人は』

2016年9月24日(土)

ディボーション聖句

ローマ信徒への手紙3:9~17 9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。 10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。 11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。 12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」 13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」 14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」 15 「彼らの足は血を流すのに速く、 16 彼らの道には破壊と悲惨がある。 17 また、彼らは平和の道を知らない。」

[聖句メッセージ]

昨日の続きです。 それでは、聖句をあげてから説明します。

・ルカの福音書18:9~14 神の御子Jesusは言った。『自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりは敬虔なパリサイ人で、もうひとりは悪い取税人であった。敬虔なパリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの悪い取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。」ところが、あの悪い取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」あなたがたに言うが、この罪深い、悔い改めた取税人は、神に義と認められて家に帰りました。神に義と認められた人は、罪深い取税人と比較して喜んだパリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を神の御前に高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」』

9~10節 (9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。)

このように神の御子Jesusは、何か引け目のある人々や、自分の人生での過ちを悔い改めようと真心から反省する人々を差別して扱ったり、そういうやり直そうとしている人たちと比べて優越感に浸る人々を、神様は祝福してくれないと注意して、教え諭しました。

あなたは自らの誤りを反省している謙遜な人や物事がうまく回らない人々を見て、差別したり、比較して優越感に浸ることはありませんか? 他人と比較ばかりして、優越感に浸る幸いは長続きしたいものです。胸に書き記して下さい。

10~11節 (10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。)

『義人はいない。ひとりもいない』、『善を行う人はいない。ひとりもいない』とは、全人類史上で神が認める程に、100%正しい完全な義人など、誰もいないという意味です。

Bibleは、人は皆、自分勝手な偽善的な性質があり、神の御子Jesusのように、他人を救うためにすべての欲望と命まで犠牲にできる完全な愛と思考力や行動力を表せる人などあり得ないと、教え説いているのです。人は皆、神の御子Jesusのようにはなれないので、神の御子Jesusの十字架上の身代わりの死と、弁護が必要だと教え説くのです。あなたは完全で完璧ではありませんが、神の御子Jesusの十字架を信じ悔い改めようとしているので、神に良しとされているのです。ですから、神の御子Jesusの十字架信仰に感謝して生きられれば良いのです。

12~14節 (12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」)

聖書は、人は皆、誰もが人生で罪悪や過ちを犯したり、人生に迷い、それぞれが他人の期待を裏切り、また裏切られながら、生きるものだと教え説きます。人生は思うように、完全、完璧に進まなくて良いものなのです。 あなたは必要以上の完璧主義に陥っていませんか?

そして聖書は、それぞれが、多かれ少なかれ、自らや周囲に期待を裏切られて生きるために傷付いており、お互いに毒を吐いたり、足を引っ張りあったり、愛に冷えて無関心になったりすることもあると、教え説きます。これぞ、人間関係の本質の一つです。そのために聖書は、人は皆、神のまことの愛と完全な聖霊力の糧となり得る聖書のみことばが必要不可欠だと教え説くのです。

・ヤコブ書5:16 『ですから、あなたがたは、互いに罪や過ちを言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。そういう義人の祈りは働くと、大きな力があります。』

そこで聖書は、不完全な人間は皆、神の御子Jesusの十字架を仰ぎ見て祈りつつ、自らの人生での過ちを悔い改めようとさえできれば、神に良しとされ、ゆるされ、やがてその人は癒されていき、神を味方につけられる、その人のあるべき人生を築けるようになれると約束しています。神の御子Jesusを信じて聖霊力を受けられる人は皆、自分や他人の徳と幸福を高められる人生に変えられていくと、約束するのです。ただただ、Bible & Jesusのみことばに期待し続ければ、永遠なる希望力が注がれるのです。

・ローマ書12:10 『兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。』

また聖書は、神の御子Jesusの十字架上の身代わりの死と弁護を受けられた あなたは自分の全てを受け入れ愛してあげるように、教え説いています。そして、その上であらゆる隣人の良いところを見つけ出し、他者を褒め、リスペクトするようにと、教え勧めているのです。なぜならBibleは、それらのことをしようとする人たちは神の平和を造り出し、真の神の子とされて、永遠なる幸運と神様の祝福や後ろ盾を 受けられると約束するからなのです。あなたは、自らと周囲の人々の徳と幸福を高めるために救われたのです。AMEN

(祈り)

主なる神様、皆を神の御子Jesusの十字架力で覆い尽くし、すべてをゆるし、そして、癒して下さい。お願いします。 そうすれば 皆、自らと周囲の人々の徳と幸福を高められる人生に造り変えられていくからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。

AMEN!!!

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