GOD said, 『あなたの罪は赦された』 『わたしのしもべは栄える』 『いつも、喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい』
2016年9月21日(水)
ディボーション聖句
ローマ人への手紙2:23~29 23 聖書の律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。 24 これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている」と書いてあるとおりです。 25 もし聖書の律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが聖書の律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。 26 もし割礼を受けていない人が聖書の律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。 27 また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら聖書の律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。 28 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。 29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、神の御霊による、心の割礼こそ真の割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。
[聖句メッセージ]
ローマ人への手紙2章は、本日で終わりです。
『割礼』とは、神を信じる信仰告白と証しとして、男女性器の一部を切除または切開する信仰的な習俗です。最も普通は、男性に行われる陰茎包皮の切除で、ユダヤ教徒では男児の生後8日に神との契約のしるしとして行っています。
・詩篇103:2~5 『わが魂よ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。そして、あなたの若さは鷲のように新しくされる。』
・詩篇107:19~20 『苦しみのときに、あなたが主に向かって祈ると、主はあなたを苦悩から救われた。主は御ことばを送ってあなたをいやし、その滅びの穴からあなたを助け出されたのだ。』
23節 (23 聖書の律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。)
このように聖書は、神の御子、Jesusの十字架上の身代わりの死と弁護を信じたあなたは、神のみことばの契約のおかげで、肉体の死後、人生でのすべての罪悪と過ちを許されて、永遠の人生に移さると教え説きます。神の御子Jesusを信じた人は皆、それだけで、父なる神様から良しと認められて、永遠に尽きぬ希望が注がれるのです。胸に書き記して下さい。
しかしこの時、使徒パウロは、『それなのに。なぜ? あなたがたは、神の御子Jesusのみことばを信じて、「神の子」としての誇りを持っているはずなのに、今もなお、神の奇跡と祈りを引き出せるみことばに違反して、苦労を背負っているのか?また、神のみことばに反することで、神様を侮辱して大損しているのか!?』と強く語りました。 あなたはこのパウロの質問に、どう答えますか?
24節 (24 これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている」と書いてあるとおりです。)
『神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている』とは、あなたがたが神のみことばや命令を軽視して行わず、何食わぬ顔をして、昔のように変わらずに生活していれば、Jesus & Bibleを知らずに、永遠なる救いを受けられていない人々に対して、全く証しにならず、かえって、悪い影響を与えてしまい、その結果、神のお名前を汚しているとまで注意したのです。あなたは、周囲の人々を見捨てない、しっかりと証しできる生活習慣と、人間関係を築けていますか? もしあなたに永遠なる幸福感と、悔いなき人生が必要ならば、よく自問自答してみて下さい。
25~29節 (25 もし聖書の律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが聖書の律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。26 もし割礼を受けていない人が聖書の律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。27 また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら聖書の律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。28 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、神の御霊による、心の割礼こそ真の割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。)
この『割礼』とは、ユダヤ教徒以外は『洗礼』に当たります。そして使徒パウロは、いくら洗礼を受けて永遠なる救い主「聖霊」を受けられたとしても、聖書のみことばを大切に生きられず、また隣人を救う愛の模範にならなければ、ほとんどの神の奇跡や人を救い導ける救霊力など表れず、何の意味も価値もない、と強く語ったのです。あなたの神様は人の心を見られますが、その心が表現する日々の生活習慣と、人間関係のあり方を見られているのです。肝に銘じて下さい。
・出エジプト記20:7 『あなたは、あなたの神、主の御名前を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。』
・詩篇22:6 信仰の模範的な王様・ダビデは言いました。『私は神の御前には、虫けらに過ぎません。』
・イザヤ書41:14 主なる神様は、祈りの模範者ヤコブに告げた。『恐れるな。虫けらに過ぎないヤコブよ。わたしはあなたを助ける。――主の御告げ―― 』
そしてBibleは、聖なる父なる神様(創造主)と、自分勝手で罪深い全ての人間と比較すれば、それは、神様と虫けらほどの大差があると、教え説いています。そんな虫けら同然の全人類のために、父なる神様はご自分の分身である実子Jesusを送り、世界人類の救いのために、神の御子の尊い命を捨ててまでして、ご自分を信じて悔い改めようとする人々を救ってくれたと教え説くのです。人は皆、虫けら同然と思う生物どころか、他人の命を救うために、喜んで自らの命を捧げることはできません。しかし、あなたの神様はこの無限の愛を、信じる全人類のために成し遂げられたと、Bibleは教え説くのです。これが神の愛です。胸に書き記して下さい。これが愛の模範的な形なのです。
この真理を胸に深く刻みつつ、Jesus & Bibleのみことばを軽視し過ぎたり、むかし通りの生活に堕落して、他者の救いの足を引っ張らないように、目をさますことが重要です。創造主なる神様のお名前を軽々しく、自分の召使いのようにみだりに呼ぶ者とならぬように気をつけましょう。そういう勘違いは、非常に危険だと、Bibleは注意するからです。
・第一ペテロの手紙5:8~9 『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く御言葉の信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。』
29節 (29 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、神の御霊による、心の割礼こそ真の割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。)
そして聖書は、人生で何よりも大切で、尽きない幸福を手に入れるには、神様との深い会話(祈り)の時が大切であり、いかにして、神の命じるみことばを具体的に実践適用することにかかっていると、教え説いています。周囲の人々を救うための模範的生活も、おろそかになり過ぎないように、軽々しく主なる神様のお名前をみだりに呼んでしまい、神様の百倍の報いや奇跡を逃したり、見えない敵の餌食とならないように、心を一新することが大切なのです。
しかしあなたは、神の命じるみことばを具体的に実践できる知者に成長していき、神の御子Jesusに似ていって隣人の模範ともなり。神様からの感動的な報いと奇跡的な願いの応答を手に入れられる人だと、信じます。 AMEN
(祈り)
主なる神様、皆を聖霊に満たし、日々内なる聖霊と親しく交わって祈りつつ、神様が命じるみことばを具体的に実践できる、まことの知者として造り変え、隣人たちを救う模範となれるように用いて下さい。 そうすれば皆、神の御子Jesusのように、見えない敵に打ち勝ち、神の偉大なる御業と感動的な奇跡を数多く引き出せるからです!主イエスのお名前で期待して祈ります。 AMEN!!!