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ヨハネの福音書7:27~31

Jesus said

「あなたの信じた通りになるように」

「何も思い煩わなくてもいい」

「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」

2015年10月27日(火)

ディボーション聖句

ヨハネの福音書7:27~31

27けれども、私たちはこの人がどこから来たのか知っている。しかし、キリストが来られるとき、それが、いつどこからか知っている者はだれもいないのだ。」

28イエスは、宮で教えておられるとき、大声をあげて言われた。「あなたがたはわたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知っています。しかし、わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わした方は真実です。あなたがたは、その方を知らないのです。

29わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです。」

30そこで人々はイエスを捕らえようとしたが、しかし、だれもイエスに手をかけた者はなかった。イエスの時が、まだ来ていなかったからである。

31群衆のうちの多くの者がイエスを信じて言った。「キリストが来られても、この方がしているよりも多くのしるしを行われるだろうか。」

[聖句メッセージ]

 昨日の続きです。

・伝道者の書3:11

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。』

・マタイの福音書6:31~34

『そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って、生活のことで心配するのはやめなさい。こういうものはみな、神を知らない異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父なる神様は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、あなたの全ての必要は与えられます。だから、あすのための心配は無用なのです。』

27節 (27けれども、私たちはこの人がどこから来たのか知っている。しかし、キリストが来られるとき、それが、いつどこからか知っている者はだれもいないのだ。)

 このようにBibleは、神のなさることや人生の全てのタイミングを見極めることなど不可能だと、教え説きます。

 ですからBible&Jesusをただ信じて人生を生きていけば、何も心配しなくていいと教えてくれるのです。

 あなたは今ある問題や試練を心配し過ぎて、人生をかえって難しく、窮屈にしていませんか?

 聖書は、何事も心配し過ぎては問題がただ大きくなるばかりだと、忠告してくれるのです。

 神に選ばれたあなたは、Jesusに祈り任せられるくらいが丁度いいのです。

・マタイの福音書5:18

『まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、聖書の律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』

・エレミヤ書29:11~13

主は言われた。『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに応えよう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられるのだ。』

 27節,またBibleは...もし、あなたが日々のみことばを乳飲子がミルクを飲むようにただ蓄え続けて、生活習慣と人間関係に表現して祈り続けられるのなら、いつか、あなたは神の存在を見い出し、そのお方の特別な預言や約束まで与えられるとも、約束してくれています。

 信じるか信じられないかは、あなた次第です。

 しかし聖書は...こうして、日々のBible&メッセージと向き合い祈るあなたの人生には、神の特別な預言と永遠なる約束が与えられる権利が発生したと、ハッキリ教え説いています。

 全てはあなたの信じ方と生き方次第なのです。胸に書き記して下さい。

あなたに与えられる、あなたの全ての必要を満たせる純粋な信仰力に期待します。

・ヨブ記1:21

『私は裸で母の胎から生まれ出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主はすべてを与え、主はすべてを取られる。主の御名はほむべきかな。』

・ヨハネの黙示録3:17

主は言われた。『あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言っているが、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸で死んでいく者であることを知らない。』

28~31節 (28イエスは、宮で教えておられるとき、大声をあげて言われた。「あなたがたはわたしを知っており、また、わたしがどこから来たかも知っています。しかし、わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わした方は真実です。あなたがたは、その方を知らないのです。29わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです。」30そこで人々はイエスを捕らえようとしたが、しかし、だれもイエスに手をかけた者はなかった。イエスの時が、まだ来ていなかったからである。31群衆のうちの多くの者がイエスを信じて言った。「キリストが来られても、この方がしているよりも多くのしるしを行われるだろうか。」)

 しかしユダヤ人の権力者たちは裕福に暮らしていた為に、比較的人生がうまくいっていたと過信し過ぎて、いつの間にか、神のみことばや愛がうっとおしくなって、神の救い主Jesusが来ることは知っていましたが、Jesusを認めて悔い改めるのが面倒くさくなり、結果、永遠なる人生の敗北を刈り取ることになってしまいました。

 彼らは、この世の富と権力や快楽の魅力に取りつかれてしまって、貧しい群衆たちよりも鈍感になり、神の忠告や救いを聞き逃してしまったのです。

 そして彼らは、自分たちは特別な存在だと過信し過ぎて、いつの間にか、神のみことばと神の御子Jesusの敵対者になってしまったのです。

 あなたは自分を過信し過ぎたり、目の前の物事に捕らわれ過ぎてしまい、神のみことばと敵対していませんか?

 Bibleは、人生と心霊の点検書でもあります。心を探り調整することです。あなたに与えられる、神を味方に惹きつけられる思考と生活習慣に期待します。AMEN

(祈り)

 主なる神様、皆の霊の目を開いて、自分を過信し過ぎたり、目の前の物事に捕らわれ過ぎないように、日々のみことばで微調整してして下さい。

 そうすれば皆、神の永遠なる味方と後ろ盾を手に入れられるからです!主イエスのお名前で、期待して祈ります。AMEN!!!

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